第76話:最初に背中を押してくれた人

 あと一人。相馬先輩以外にあと一人。俺はちゃんと話をしなければいけない人がいる。


 6月に一度告白されて頭を下げても尚、好意を寄せてくれた生徒会副会長の清澄先輩だ。


 だがこの日は一日を通してすれ違いで、結局話をすることはできなかった。


 相馬先輩とのことで力を精神的にも疲労したので、今朝した約束通り早紀さんに癒しを求めたいところではあったのだが、練習後にスマホを確認すると、


『ごめん、晴斗! 急遽大学の親友と食事に行くことになっちゃった! あっ、女の子と二人だし、その子のお兄さんがオーナーをしている店だから安心してね。でも、もし心配なら……晴斗も来る?』


 なんてメッセージが届いていた。そうか、帰っても早紀さんはいないのか。そのことにがっかりする自分がいることに、俺は少し驚いた。結ばれた途端、早紀さんへの思いが止めどなく溢れている。ここまで人を想ったのは初めてだ。


 夜は会えないことに寂しさを覚えたが、その涙は心の中だけにしまう。


《そうですか。会えないのは寂しいですが、友達とのご飯楽しんできてください》


 と返した。相馬先輩とのことは直接話すのがいいだろう。せっかくの親友との食事の時間に水を差したくなかった。でもせめて、声くらい聴きたかったなと思っているながら家に向かって歩いていると。突然スマホが鳴った。その相手はもちろん早紀さんだ。


『あっ、もしもし。晴斗? 今大丈夫?』


「えぇ……大丈夫ですよ。どうしたんですか、突然。お友達は大丈夫なんですか?」


『全然平気! 電話したのは……ほら、あれ。朝約束したでしょう? それが私の都合で反故にしちゃったから申し訳なかったから直接謝らないといけないなぁって思って……』


「違うぞ、彼氏君! 早紀は君があまりに淡白で拗ねているんだぞぉ!」


『ちょっと麻衣! 余計なこと言わないでよぉ! 晴斗に聞こえちゃうでしょう!?』


「もう、何をいい子ぶってるの!? 素直に言っちゃえばいいのよ! 彼氏くーん、早紀はね、あぁ見えてとっても寂しがりだからちゃんとかまってあげるんだぞぉ!」


『もう麻衣! いい加減にしてよ! 晴斗! 気にしないでね! 酔っ払いの戯言だと思って聞き流してね!』


 さすがにそれは無理があると思いますよ、早紀さん。俺はいったんスマホを耳から離して、彼女に聞こえないようにため息をついてから話を切り出した。


「早紀さん……俺はあなたに会えなくて寂しいですよ。早紀さんも同じ気持ちだったら……すごく嬉しいんだけどなぁ」


『晴斗……うん。その……実はね。私も、その……寂しくて、少しでも晴斗の声が聞きたくなったの。本当なら店の外で話したかったんだけど、友達が邪魔しないからここで電話しろってしつこくて……ごめんね』


「ハハハ。結局邪魔されているじゃないですか。でも、面白そうな人ですね。早紀さんの親友、なんですよね? 一度会ってみたいなぁ、なんて」


『それはダメっ! 晴斗には刺激が強い女だから! もう色々ぶっ飛んだ子だから会わせられません!』


『本人が会いたいっているんだからいいじゃない! 早紀のケチぃ』


 と言う声が聞こえる。このやりとりから、二人が本当に仲のいい親友だということがうかがえる。俺は思わずフフっと笑いをこぼした。


『ご、ごめんね。騒がしくて……やっぱり外で話せばよかったかな……』


「いえ、いいんです。むしろ感謝してます。俺が知らなかった早紀さんの一面が見ることが出来たんで。そのお友達といる時の早紀さんは、とても楽しそうで……俺といる時もそういうあなたでいられように頑張らないとなぁ、って思いました」


 早紀さんの声は俺といる時とどこか違った。おそらく年下の俺といる時は年上である自分というフィルターを通して俺に接しているのだろう。それが気の許せる親友と一緒に居る時は何もなく、素である飯島早紀が出ているのだ。


「今は頼りないですが、いつかあなたを支えられるように頑張りますね。なんて、こんなことでんわではなすことじゃないですね」


『晴斗……ううん、いいの。ありがとう。その日が来るのを楽しみにしてるね! でもそれまでは……私が晴斗のことをたくさん甘やかしてあげるね!』


「はい。ありがとうございます、早紀さん」


『フフッ。晴斗、大好きだよ。声が聞けて良かった』


「早紀さん、俺も……大好きです。電話、ありがとうございました。それじゃ、親友さんに宜しく」


「うん、それじゃね。明日は大丈夫だと思うけど、次の日の練習試合に差し支えたらあれだから……フフッ。楽しみにしててね。それじゃ、おやすみ」


 おやすみなさい、と返したところで電話が切れた。


「お帰り、晴斗。昨夜はお楽しみだったようね?」


 そして、気付けば俺は自宅であるマンションに着いていて、ちょうど仕事帰りだった里美さんと鉢合わせた。その顔はにやにやと噂好きのような気色の悪い笑みが浮かんでいる。そしてその発言から、この人には早紀さんとの愛欲の一晩は完全にバレていると悟った。


「色々話を聞かせてもらうわよ? って言っても早紀ちゃんからほとんど聞いてはいるんだけどね」


「そうでしたか。早紀さんが全部話しましたか……」


「よかったわね、晴斗。支えてくれる人が出来て。私は安心したわ」


「里美さん……心配かけて、ごめんなさい」


「いいの。子供は大人に心配をかけるものなんだから、謝ることじゃないの。さぁ、詳しい話は部屋に戻ってから。晴斗がなんて告白したのか、保護者として聞いておかないとねぇ」


 早紀さんから聞いているのにわざわざ俺からも話を聞くつもりかこの人は。どれだけこの手の話に飢えているというのか。俺が密かに呆れていると里美さんは振り返らずに、突然真面目な口調で


「それと……あの人たちのことは私からも言うようにするから。晴斗は気にしないで目一杯野球を楽しみなさい。そして、夢を叶えるの。いいわね?」


 と言った。そうだった。早紀さんよりも早く、俺の背中を押して協力してくれたのはこの人だ。里美さんがいたから、今俺はこうして希望していた明秀高校で野球が出来た。早紀さんとも出会うことできて、想いを通わすことができた。


「里美さん。ありがとうございます。本当に……ありがとうございます」


「フフ。気にしないでいいって言っているでしょう? 前にも言ったけど、子供が持った夢を応援するのが大人の役目だって。ほら、早くいくわよ」


 もう一度。今度は心の中で里美さんに感謝の言葉を述べて、俺はエレベーターに乗る。


 その日の夜はお酒が入って少し過激になった里美さんにあれやこれや根掘り葉掘り聞かれて恥ずかしかったけれど。とても楽しくて愉快な夜だった。



 そして二日後。


 結局清澄先輩と話すことはできずにこの日を、俺の復帰戦を迎えた。


 明秀高校のグランドに静岡県の常華明城とこはなめいじょう高校野球部がやって来た。


 彼らの保護者と思われる人や個人的に選手を応援している人たちの中に混じってあいつの姿もあった。


 そして。常華明城野球部の選手の中で一人、敵意を隠すことなく剥き出しにして俺を激しく睨みつけ来る男がいた。


 その男の背には1の文字が刻まれていた。


 

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