第75話:この炎は簡単に消えない

 いつもより少し遅くなったが無事に学校の最寄り駅に到着した。悠岐はまだ眠たいのか瞼をこすりながら立っていた。


「悪い、待たせたな」


「晴斗にしては珍しく遅かったね。まぁいつもは僕が待たせているからお互い様か」


 俺と違って悠岐は朝に弱く、いつも俺の方が先について待っていることが多いのだが、今朝は早紀さんと色々あったから俺の方が遅くなった。


 学校への道すがら。珍しく無言で並んで歩きながら、俺は昨日のことを謝るタイミングを図っていた。


 昨日の練習終わり。俺は悠岐と相馬・・先輩に心配されて声をかけてもらったがそれを断って帰宅した。正直なんて話したのか記憶はあいまいだが、少なくとも二人にはかなり心配をかけたと思っている。だからその謝罪をしないと思っているのだが、中々どうして言い出せない。


 普段の悠岐ならそれなりに口数が多い。やれ昨日帰ってからどんなテレビを見ただの好き勝手にしゃべるのだが、今日はやけに静かだ。


 校舎が見え始めるころ。親友はどこか神妙な顔つきで俺を一睨みしてから、安堵のため息をついた。


「どうしたんだよ、悠岐? 俺の顔に何か付いているのか?」


「……いいや。別に、何もついてないよ。ただ、昨日とは比べ物にならないくらい元気な顔になったなって思っただけだよ。心配して損した気分だよ」


「悪かった。心配かけたみたいで。でももう大丈夫だ。週末の練習試合は任せてくれ。ばっちり抑えて見せるからさ」


「ふん。抑えるのは当然だ。常華明城は晴斗を引き抜くために躍起になっていたところだろう? 僕もあそこの監督は好きじゃないからな。わざわざ調整に手を挙げてくれたんだ。思う存分、やってやろうじゃないか!」


「あぁ、そうだな。これに勝って、秋季大会に弾みをつけよう」


 俺達は拳を交わす。悠岐の存在は早紀さんに匹敵するほど心強い。こいつがいてくれて本当に良かったと思う。


「ありがとな、悠岐」


「何をいまさら。あ、あとその首筋の絆創膏。どうしたんだ? 何かあったのか?」


「これか? 昨日夜、早紀さんに噛まれた」


 今日の朝食何食べた? と聞かれた体で俺は平然とした口調で答えた。


「そうか……飯島さんに噛まれたのか……そうか……って、噛まれた!? おい晴斗! 噛まれたってどういう意味だよ!?」


 納得しかけた悠岐だったがすぐに冷静に言葉を思い出して興奮した口調で俺に食って掛かる。やめろ、朝から校門の前で胸ぐらを掴んで揺さぶるんじゃない。悪目立ちするだろうが。


「僕が! どれだけ! 昨日心配したと思っている!? それなのにお前は……お前ってやつは……この裏切者! 卒業する時・・・・・は一緒だって言ったじゃないか! それなのに自分は一人先走りやがって……!」


「や、やめろ……悠岐。朝からでかい声で話すことじゃない。それに……絞まってる! 絞まっているから首から手を離せ……!」


 背はそんなに高くない、小柄な体格のわりに悠岐は力がある。わずかにつま先立ちになりながら俺の襟首をがっちり掴んでいるので俺は徐々に息苦しくなってくる。


「文化祭の時だって、お前が邪魔したせいで奈緒美ちゃんとそんなに話が出来なかったし……自分ばっかりいい思いしてぇ……羨ま死ね!」


「死ねとか軽々しくいうもんじゃないぞ……いや、このまま絞められた冗談じゃなくなるんだが……それより、悠岐……俺が早紀さんと付き合うことには反対しないのか……?」


 悠岐の発言の趣旨は主に俺が意中の女性と一皮むけたことに対する怒りであり、俺が早紀さんと交際することに対して怒っているわけではない。てっきりそこもお怒りポイントかと思ったのだが。


「いいんだよ! お前の顔を見ればあの人がお前の支えになっていることくらい僕にだってわかる。あんな楽しそうなお前は……野球をしている時以外じゃ初めて見た・・・・・


「悠岐……お前……」


 どこか寂しげな顔をしながら悠岐はそっと俺の襟から手を離した。この男には全て筒抜けだったみたいだ。


「だからお前が、心から一緒に居て落ち着ける人と出会えたなら、僕は祝福する。だけど! それとこれとは話が別だからな! 今度・・詳しく聞かせろよな!」


「わかったよ。俺のおごりで飯でも食いながら聞かせてやるよ……ありがとな、悠岐。本当に……ありがとう」


「ふん。親友の僕に隠し事がそう簡単に出来ると思わないことだ」


 満面の笑みで悠岐は言うと、少し駆け足で校門をくぐった。頭が上がらない人がまた一人増えた。



 *****



 三馬鹿は三馬鹿故に、俺の首筋の絆創膏には気付くことはなかった。たが隣の席に座っている寺崎さんは多分気付いている。終日を通して俺の方をちらちらと見てきては、何か言いたげな顔をしていた。


「あ、あの……今宮君。そ、その……首筋の絆創膏は……?」


「あぁ、これ? フフッ。聞きたい? 聞きたいなら……教えてあげるよ?」


「い、いえ! 大丈夫です! 十分わかりましたから! うぅぅ……大人だぁ。大人の笑顔だぁ……」


 ただこの一言で顔を真っ赤にして恥ずかしがるのだから寺崎さんもかなりの初心だと思うのだが。俺は思わず苦笑いをして追撃したら面白そうだと思ったが自重した。むしろこれ以上寺崎さんをいじめたら取り返しの委員長のつかない大物菅波佳苗がやってくるからだ。


 悠岐も朝の宣言通り、昼休み中も含めて一切この疵のことについては触れることはなかった。


 そして迎える放課後。さすがにユニフォームに着替えると襟で隠すことはできなくなるので絆創膏が剥き出しになる。ただ、今日の練習メニューは週末に向けての軽めの調整だ。それに練習中は気になるからと言ってこれを一々聞いてくる余裕はない。


 軽めの投球練習を慎之介相手に行う。7割前後の力で投げられるようになってきた。これなら球速は140キロに届くかどうか。変化球も問題なし。コントロールは安定しているから桐陽高校や星蘭高校のような超強豪校でなければ十分通用する。


「大分よくなってきたな! この調子なら秋季大会は問題なさそうだ。練習試合が楽しみだ!」


「そうだな。上手いことコーナーを突いていけばなんとかなるだろう。常華明城には……絶対に勝つ……!」


 怪我明けでどこまでできるかわからないけれど、気持ちはぐうの音も言わせぬほどに圧倒するつもりで挑む。そしてこの試合で俺の選択が間違い出なかったと証明する。


 もう、恐れるものは何もない。


「はる君! お疲れさま! 元気になったみたいでよかった! はい、タオル。使って?」


 投球練習を終えて、最後の全体練習に向かう前。俺に声をかけてきた小さな先輩マネージャー。その手に握られていたフカフカのタオルを俺はほんの少し気まずく思いながら受け取った。


「あ、ありがとうございます。相馬・・先輩」


 最近とは違う呼び方に、相馬先輩がピクンと肩を震わせた。その表情に刻まれたのは驚きと困惑。


 早紀さんに告白した以上。俺は相馬先輩に対する接し方を変えないといけないと思っている。そう、映画を一緒に観に行く前のような、単なる先輩と後輩。野球部のマネージャーと選手のように。


 だから俺は美咲さん、ではなく昔のように相馬先輩と呼ぶ。


「そっか……相馬先輩……か」


 気まずい沈黙。それを突き破ったのは相馬先輩のため息混じりの呟きだ。俺は先輩が言葉を続けるのを待つ。


「……はる君。元気になったみたいだね……」


 うつむきながら、しかしはっきりと彼女の声が俺の耳に届いた。


 彼女が俺を呼ぶ名は変わらない。変えないという強い意志を感じた。


「はい……その、昨日は、ごめんなさい。心配して声をかけてくれたのに……俺、余裕がなくて……」


「いいの。大丈夫。きっと何か特別な理由があるんだろうって。坂本君にも言い辛いことなんだってわかったから……」


「でもその様子だと、もう……大丈夫、みたいだね?」


 相馬先輩は泣き笑いのような顔で俺を見た。その視線は俺の首筋に向けられている。きっと先輩は、この絆創膏と俺のどこか吹っ切れた様子から悟ったのだろう。


 俺は目を閉じてゆっくりと深呼吸。痛みを伴う告白をする覚悟を決める。


「―――はい。昨日、早紀さんに話をして、それから………」


 言え。言うんだ。ここで言わなければ彼女の、相馬先輩を無駄に傷つけるだけだ。唇を血がにじむほどきつく噛み締めて。俺は絞り出すように、しかしはっきりと伝えた。


「それから……早紀さんに、俺の想いを伝えました。俺は……あの人が好きです」


「それは……それは……私よりも……かな?」


「はい。誰よりも……俺はあの人が……早紀さんが好きです」


 永い。永い沈黙が訪れる。グランドは活気に満ちているはずなのに、俺達がいるこの場所だけはまるで別の空間であるかのようにただただ静寂。


 どれくらいの時間だろう。一分にも満たないはずなのに、俺には永遠と思えるこの空気の中、相馬先輩が重い口を開いた。


「……ありがとう、はる君。ちゃんと今の気持ちを聞かせてくれて。そしてごめんね、はる君。それでも私…………簡単に諦められそうにないや。だって……だって……こんなにも誰かを好きになったのは、生まれて初めてだから」


 瞳に涙をためながら。震える声を必死に抑えて相馬先輩は言う。だが、俺に彼女に手を指す伸ばす権利はない。この涙の原因は俺の選択早紀さんを選んだことによるものだから。


 相馬先輩は袖で涙を拭うと、いつものような花咲く笑顔を作って


「それじゃはる君、明後日の練習試合、頑張ってね! 私応援してるから! 君に送る声援なら、誰にも負けないんだからね!」


 それじゃね、と手を振って相馬先輩は自分の仕事に戻って行った。またタオルを返しそびれてしまった。


 誰かを選ぶということは。誰かを選ばないということ。


 そこに痛みは必ず生まれ、この締め付けるような激痛は避けて通ることはできないし避けてはならない茨道。


 もしも、のことは考えず。今はこの針に刺されたような胸の痛みに耐えながら。


 俺は、俺の選んだ人早紀さんを精一杯愛していくと改めて心に誓った。



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