第49話:早紀の逆鱗

 しばらくすると飯島早紀が一人で戻ってきた。


「は、晴斗は!? 私の晴斗をどこにやったの!?」


「あなた……まだいたんだ。晴斗ならベッドで休んでいるわ。よっぽどあなたの再会が堪えたのね。晴斗ね……泣いていたの。相当辛かったんでしょうね」


 なんであなたの晴斗なのよ、とボソッと呟いた。当然だ、幼馴染なんだから。


「あ、あんた……何を言っているの? 晴斗が泣いてた? 私のせいで? そんなこと……あるわけ……」


「あなたに振られた日の夜。晴斗は一人ベランダで泣いていたわ。それはもう、見ていられなくなる程悲痛な顔をしてね。そこで私は晴斗から、あなたとの思い出を聞いたの。それを聞いて改めて・・・思ったわ。あぁ……なんて純粋で優しくて、いい子なんだろう、ってね」


「…………」


「でもね、あなたはそんな晴斗を捨てたの。あなたの言葉を借りるなら、一時の気の迷いでね。ほんと、どうして今日来れたのかしら不思議だわ。言いたくはないけれど、あなたをここに寄越したご両親も何を考えているのやら……もしかして、ご両親には別れたけど今彼さんとの関係は話していないのかしら? それなら、甲子園で大活躍した晴斗とヨリを戻すように仕向けようとするのも無理もないか。でも残念。これで晴斗とあなた達・・・との縁も終わりかもね。他ならない、馬鹿な娘あなたのせいで」


 確かにこの女の言う通り、私が晴斗と別れたことを両親は知っているが、新しい彼氏がいることは知らないしましてやキスや初体験―――だけでなくもう何度もしている――を済ませていることは尚更だ。だからこそ、仲直りのきっかけとして今日ここに来たのだ。それなのにこの女が―――


「ハァア……あなたが来るまでは私と一緒に二人きり・・・・・・・・・で、甲子園を見て楽しくしていたのに。友達の活躍を見たかったはずなのに、あなたのせいで全部台無し。私の晴斗君との貴重な時間もぶち壊し。どうしてくれるのよ、まったく。はぁ……ねぇ、早く家に帰れば?」


 どこか勝ち誇ったようなそれでいて邪魔者を見るような顔をしている飯島早紀この女を見て、私は一つの答えにたどり着いた。


 晴斗はこの女に騙されているのだ。私と会えない寂しさに付け込んで、誘惑したに違いない。


「あんたね……! あんたが晴斗をおかしくしたのね!? 許さない……私の晴斗を洗脳して……自分のものにしようとして……絶対に赦さないんだから!」


「…………はぁ。本当に……どこまでも救いようのない女ね」


 ギリっと睨みつけるがそれに全くひるむことなく、この女はスタスタと私のもとに近づいて、容赦なく右手を振りぬいた。


 スパンッ――――


 頬をはたかれた。そう認識するよりも前に、この女は言葉を放つ。


「いい加減に目を覚ましなさい。あなたはもう晴斗の彼女でもなければ、幼馴染でもない。ただの赤の他人・・・・よ。別にここにいるのがでなくても、それは変わることはなかったはずよ。だから……諦めてもう帰りなさい。もうこれ以上……晴斗の重しにならないで」


 ヒリヒリと痛む頬を抑えて、私は女を睨む。女は少し俯きながら、血がにじむほど強く、唇を噛んでいる。


「わ、私は……私はまだ諦めない! き、きっと晴斗は気持ちの整理が出来ていないだけだもん! 話せば晴斗ならちゃんとわかってくれるもん! だって、ずっと一緒に過ごしてきたんだもん!」


「……どう思おうと、どう考えようと、それはあなたの勝手。だけど晴斗も言っていたでしょう? もう会いたくないと。一生とも言っていたわね。彼の本心はわからないけれど、今は静かにさせてあげたいの。だから―――」


「うるさい! これは私と晴斗の問題なの! あんたには関係ないの! そうよ、むしろあんたがいなくなりなさいよ! そうすれば晴斗だってきっと―――」


「ハァ……」

 

 髪をかき上げながらため息を吐いた次の瞬間。私はこの女にグッと強い力で胸ぐらをつかまれた。女は自分の方に私を引き寄せ、顔を近づけながらこう言った。


お前・・……いい加減、少し黙れ」


 底冷えするような低い声に、私の身体が震え出す。


「晴斗はお前の顔をもう見たくないって言ったんだ。自分の都合で晴斗を捨てて、自分の都合で元に戻りたい? 寝言は寝て言え。今のお前の言葉は冗談ですらないただの戯言だ」


 晴斗に見せていた慈愛に満ちた声や雰囲気とは一転して、まるで別人のような姿を見せる女。

 

「いつまでも女々しく居座るな。いつまでも晴斗にしがみつくな。今の男とよろしくヤッていればいいだろう? はっきり言って……目障りだよ、お前。こんな奴に気を遣って今まで遠慮していたかと思うと……ホント、笑い話にすらならない。虫唾が走る。反吐が出る」


 ひぃ、と私の口から自然と悲鳴が漏れた。それだけこの女の怒気、いやそれすら超えた殺気を纏っている。


「私にはどうしても我慢できないものが二つある。一つは、外見だけで近づいてくる、女を己のステータスとしか見てない男。もう一つは、男を自分の思い通りに、自由に出来ると勘違いして、男を己のアクセサリーと考えている女だ」


 口元には獰猛な笑みが浮かぶ。その迫力は尋常ではなかった。一体何なんだこの女は―――


「困ったものだ……今私の目の前にはその女が、しかも私の愛する男を泣かした女がいるんだからな……なぁ、お願いだから私の理性がまだ働いている間に、消えてくれないか?」


「……は………はぅ……はぁ……はぁ……」


 私が恐怖のあまりぶるぶると震えるのと見て、つまらなそうに鼻を鳴らしてからドン、と乱暴に突き飛ばした。


 ようやく解放された私はへなへなと床に沈み込むように座り込んだ。そんな私を見下しながら、大きく息を吐き、もう一度髪をかき上げてから女は封筒をポンと投げてきた。


「はい、これ。ここまでの電車代とその無駄になった手土産の代金。これ持って早く帰りなさい。彼氏さん、遅くなったら心配するんじゃない?? あぁ。あなた・・・のことだから元カレの家に行くなんて話してないか。ほんと、あなたってクズね」


 中身を確認すると、そこには数枚の万札が入っていた。


「私は部屋に戻るから、さっさと帰りなさい。いつまでもあなたに構っているくらいなら、私は晴斗の隣にいたいの」


「…………」


「それじゃぁね、元カノさん。もう会うことがないことを祈っているわ」


 女は私のもとを去りリビングに通じる扉をパタンと閉じた。もしこのまま強引に部屋に入ったら、きっと私は通報でも何でもされるだろう。今日のところは帰るしかない。


「うぅ…………晴斗ぉ……」


 私はゆっくりと立ち上がる。ここで蹲っていても晴斗は来ない。むしろあの女がまた笑いに来るだけだ。まずは帰ろう。そして、先輩に連絡して慰めてもらおう。お見舞いに行ったら昔の友達にひどいことを言われたと言おう。そうすれば、先輩はきっと優しく慰めてくれるだろう。


 私の両親にも、晴斗の両親にも、今日のことは伝わるだろうが、あることないこと話してやる。里美叔母さんが隣に住んでいる女を部屋に上がらせて晴斗を誘惑させて楽しんでいると伝えてやる。そうすれば、元々東京行きを反対していた晴斗の両親も怒って地元の高校に編入させると言うかもしれない。そうなれば、今まで通り一緒にいられる。


「待っててね、晴斗。あの女から、あなたを解放してあげるから……」


 私はふらふらとした足取りで家へと帰る。道中でなんて話にしようか、私の両親は、晴斗の両親はこれを聞いたらどんな反応するか、フフフ。とても楽しみだ。


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