第44話:夏の顛末と来客

 結論から言えば、俺の右足の骨は折れていた。


 試合後のインタビューを終えて。あまりの痛みに歩くことが出来ず、スパイクと靴下を脱いで確認したらパンパンに腫れていて内出血を起こしていた。それを見た工藤監督はすぐさまタクシーを呼んで病院へと直行して発覚した。


「今宮君……どうして黙っていたんですか?」


「試合中は痛みがなかったので。気が緩んだら急に痛くなってきました。すいません」


「いえ、今宮君が謝ることではありません。気付けなかった私の落ち度ですから」


 工藤監督は唇を噛んで申し訳なさそうな表情を浮かべた。それを見て俺も申し訳ない気持ちになった。


 痛みの自覚はあったし、事実悠岐には気付かれていた。せいぜい打撲程度だろうと思っていたらまさか折れていた。


「骨折とわかった以上、君は試合に出せません。いいですね?」


「はい。異論はありません」


「大丈夫です。君の分まで、みんなで頑張ります。だから今宮君は精一杯応援してください。いいですね?」


「わかりました」


 三回戦は松葉先輩の力投と城島先輩が奮起して快勝した。悠岐はまともに勝負されなかったがその代わりに4番の城島先輩が大爆発した。


 だが四回戦では松葉先輩の疲労が目立ち、控えの二年生の先輩が打ち込まれた。その中でも悠岐はホームランを打って活躍を見せたのだが、あえなく敗退となった。


 泣いていた。松葉先輩は帽子で顔を隠して静かに、城島先輩は腕を組んだ体勢で滂沱の涙を、日下部先輩は顔をくしゃくしゃにして。悠岐は唇を噛み締めるだけで必死に耐えていた。なぜか問うた。


「一番泣きたい奴が、泣いていないからに決まっているだろう!」


 俺は、涙を流せなかった。その場にいられなかったこと。もしあの時、記録を意識して足を出さなければ怪我はしなかった。そうすれば、もっと上を目指せたかもしれない。その後悔の念が、俺に涙を流すことを許さなかった。


「拓也、晴斗、悠岐。俺が、俺達三年生が果たせなかった夢を……頼んだぞ」


 松葉先輩は決して泣き顔を見せまいとしながらそう言って俺達の肩を叩いた。必ず、この思いに応えなければならないと、心に誓った。



 そして今。俺は怪我で練習に参加できないため一人自宅で甲子園の決勝戦を見ようとしていた。対戦カードは石川県代表の星蘭せいらん高校と岐阜県代表の瑞宝《ずいほう》学院大付属高校。


 星蘭高校は春夏連覇がかかり、瑞宝学院大付属は初優勝がかかっている。下馬評は圧倒的に星蘭高校が有利であり、俺もそれに同意だ。


 一人で見るのも寂しけれど、俺は自宅療養を監督から命じられていたから動くに動けない。令和初のノーヒットノーランをやったことで、勝利後はかなりの数のマスコミから取材攻勢を受けたが、怪我をしていたこともあり、工藤監督が学校に相談し、俺個人への取材は全て怪我が治るまで拒否してくれた。


「学校側の意向だから、話を聞けないのは残念だけど、怪我が癒えたら一番に取材させてもらうからね」


 そういってウィンクをかましてきたのは葉月優佳という女子アナウンサーだが、怪我の完治まで約ひと月。その頃には俺への関心も薄れていることだろう。


 早期復帰するために監督とも相談して手術を行い、今は松葉杖をついての生活を余儀なくされている。その間出来ることと言えば指先のトレーニングくらいでとても退屈だ。


 そんなどうでもいいことを考えていると、甲子園決勝の中継が始まろうとしていた。俺はそのわずかな間に冷蔵庫からウーロン茶を用意しようと椅子から立ち上がろうとしたとき、チャイムが鳴った。


 誰だろうとテレビドアホンを覗くと、笑顔を浮かべて立っていたのはお隣さんだった。しかも手を振っている。俺が言葉を発しようとするより早く、彼女の―――早紀さんはドアをガチャリと開けて入ってきた。住居不法侵入である。


「やっほ―――! 晴斗君、元気してる? 今日は甲子園決勝戦でしょ? 一緒に観ようよ!」


 コーラやポテチやらチョコやらが雑多に入れられたコンビニ袋を掲げる早紀さんが侵入していた。


 彼女の姿は今日も思春期男子の理性を殺しにかかっている。本日のお召し物は駅長姿のカワウソの可愛いイラストがプリントされたグレーのTシャツにぴっちりとしたパンツを履いたラフなスタイル。薄手のカーディガンを羽織っているが彼女の妖美さを隠すには足りない。主に胸のあたりが。


 加えて長い髪はサイドで結んだポニーテールでうなじが覗けていて、清潔感の中に色気が同居しているので、思春期男子としては向き合うためには決死の覚悟が必要だ。


「早紀さん……一緒に観るのはもちろん構いません。一人で見るより誰かと観たほうが盛り上がりますし。ただ、俺が聴きたいのはどうして入って来られたかです。ちゃんと鍵されてましたよね・・・・・・・・・?」


「フッフッフッ。それはだね、少年。里美さんから合鍵を預かっているからだよ!」


 ほれ、と早紀さんが掲げて見せたのは確かにこの家の鍵だ。まるで自分の家の鍵のように可愛いちょっとしたうそをつくことで人気を博しているカワウソのキーホルダーを付けている。


「怪我をして、どこにも行けない晴斗君を心配した里美さんが私に渡してくれたの。晴斗を宜しくって言ってね」


 まったく、あの人は気が利くのか利かないのかよくわからない人だ。むしろこの状況を創り出したことを楽しんでいるのかもしれない。俺がドギマギする様子を隠しカメラで覗き見して笑っているかもしれない。あの人なら―――やりかねない。


「まぁ実際、晴斗君は今片足不自由で大変だし、里美さんは仕事で忙しいし、私は大学夏休みで暇だし。それに今日は甲子園決勝戦だし、せっかくだから一緒に観よう? なんなら私の部屋……来る?」


「……早紀さん、それはまだちょっと……」


「フフッ。まだ、なんだね。これはもう時間の問題かな? でも学校始まったら美咲ちゃんがいるしなぁ……う――――ん、悩ましい」


 腕を組み、唸る早紀さんに怪訝な視線を送るが彼女がそれに気づく様子はない。なんでマネージャーの相馬先輩のことを口にするのか、というか二人は知り合いなのかという疑問が生まれるが、一旦すべて脇に置いて、俺は早紀さんの手を取った。


「いつまでそこに立って居る気ですか? 話なら中で聞きますから、早く入って下さい。試合、始まっちゃいますから」


 右手に松葉杖を、左手に早紀さんの手を、それぞれ握って俺はリビングに向かった。一寸驚いたような表情を浮かべた早紀さんだが、借りてきた猫のように大人しく、そして塩らしくなって俺の後に続いた。


 彼女にはまだ渡していない物がある。それを渡すには、良い機会だ。

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