第45話:突然の襲撃者
「コップ、用意するんでソファに掛けていてください。お皿あったほうがいいですかね?」
「あっ、場所を教えてくれれば私がやるよ! けが人なんだから大人しくしてないと!」
慌てて我に返った早紀さんだが、一応客人の彼女を働かせるわけにはいかない俺と、けが人を働かせるわけにはいかない早紀さんとで争いが勃発したが、結局二人で準備することとなった。共同作業が一番もめない。
準備が整い、テレビの前に設置されているソファに並んで座る。里美さんがベッドに行くのが億劫な時やぐうたらしながらネットテレビを見るために買ったという無駄に大きく高価なソファ。足元にあるテーブルに早紀さんが持って来てくれたお菓子を並べて乾杯した。
「コクッ……コッ……ぷはぁ―――やっぱり暑い日に飲むコーラは最高だね! さてさて、もう試合は始まっちゃっているけど、晴斗君はどっちが勝つと思う!? 私は断然星蘭かな!」
「早紀さん……それ、俺に聞く意味ありますか?」
「万が一ってこともあると思ったんだけど……やっぱり星蘭が有利?」
「当然でしょう。先発はエースの高梨さん。ここまで投げて失点はわずか1点。高梨さん以外にも他校ではエースを張れる投手が二人もいるので疲労も少ないでしょう。今日は最初から飛ばしてくると思います。それに、星蘭のキャッチャーは友哉です。打線も好調のようですし、負ける要素がありませんね」
「やっぱりそっか――――。せっかくなら圧倒的有利なチームを下克上で倒してほしいと思うけど……やっぱり難しいか」
「まぁでも、野球は何が起こるかわかりませんから。もしかしたら高梨さんがとてつもなく調子が悪くて、友哉の頭が熱でスカスカだったら、可能性もありますよ」
「―――それって、ほとんど起こりえないのと同じだからね?」
つまりそれくらい、星蘭高校は完成されたチームと言うことだ。そうでなければ春のセンバツ甲子園大会で大阪桐陽を完封で抑えて優勝するなど出来るはずがない。
打の桐陽、守の星蘭。全てを貫く矛と貫かせない盾。勝ったのは盾。そこに打と頭脳を持つ選手が加わればまさに鬼に金棒。矛盾を装備した最強戦士の爆誕だ。これで優勝候補なわけがない。
「でも……晴斗君たちはその大番狂わせを起こしたんだよね」
「そうですね……ただあれは、情報がなかったことや相手が俺達を格下にみていたことが重なって起きたことです。もう一度やれるかと聞かれたら……正直わかりません」
「ほんと、晴斗君は謙虚だよね。でもマウンドに立つ誰よりも自信満々で―――すごく、かっこよかったよ」
拳一つ分。早紀さんが俺との距離を詰めた。俺の心臓が一段階早く鼓動し始める。8月も下旬だと言うのにセミの鳴き声がやけにうるさく、稼働するエアコンが煩わしく、テレビから聞こえる歓声がやけに小さく聞こえた。
『星蘭高校の1回表の攻撃! 早速のチャンスです! 四球と送りバントでランナーを二塁において、打席に立つのは3番の阿部友哉君! ホームランこそないものの、ここまでの通算打率は驚異の五割越え! この場面、どのようなバッティンを見せてくれるのか!?』
「私すごく感動して……晴斗君が拳を上げた瞬間に涙が止まらなかった……痛みに耐えて、よく頑張ったね……かっこよかったよ。誰よりも、君が一番、素敵だった」
右手を俺の肩に添えて身体をさらに寄せながら、色香のある声で早紀さんは言う。心臓の鼓動がさらに早くなる。その音が彼女に聞こえているのではないかと思うほどにどんどん大きくなっていく。
『ピッチャー……投げました! おおっと、阿部君はじき返したぁ――――!! 打球はセンター後方―――抜けたぁぁぁぁ!! 二塁ランナーは悠々ホームイン。打った阿部君も二塁に到達! 春の王者星蘭高校がまず1点先制しました!』
実況が叫んでいる。どうやら星蘭高校が先制したようだ。だが誰が打ったかとか何点入ったとか、そんなことを確認するより、俺はゆっくりと顔を近づけてくる早紀さんの瞳から目が離せなかった。潤みをもった真剣な眼差しに俺は引き込まれていく。
「早紀さん。俺、あなたに渡したいものがあるんですけど……受け取ってくれますか?」
「えっ……? プレゼント? 私に?」
「フフ。忘れているんですね。まぁいいですけど。少し待っていてください。今取ってきますから」
俺は松葉杖を掴んでゆっくり立ち上がろうとするが、まだ杖に慣れていないためバランスを崩した。倒れる。そう思った瞬間、後方に引っ張られながら身体がくるりと反転してソファの上に倒れこむ。
痛みはない。早紀さんが俺を受け止めてくれたのだ。だがそうなると必然的に、俺と彼女は抱き合う形に、しかも俺が押し倒したような体勢になっているということだ。
この状況であえて自分を褒めるとすれば、咄嗟にソファの背もたれに手を突いたので、俺の頭が彼女にその豊満で無慈悲なまでに理性を削りにくる双丘に埋もれずに済んだことだ。
「晴斗君って……強引なんだね? フフッ、嫌いじゃないよ? むしろ……嬉しいかな?」
小悪魔のような笑みを浮かべる早紀さん。そっと優しく彼女の手が俺の頬に触れる。ドキリとして、抵抗しなければと頭では理解していても身体が動かない。
―――このまま、身をゆだねてもいいのだろうか―――
松葉先輩に託された思いとは裏腹に、今の俺は練習にも参加できない体たらくだ。それが心に重しとなって俺の心を蝕んでいる。そんな時に、早紀さんの優しさに甘えたら、俺はそれなしには生きていけなくなるかもしれない。
だが、彼女になら―――そう思い、抵抗の意志を捨てて彼女との距離をゼロにしようとした瞬間、来訪を告げる音が再び鳴った。無視しようとするがそれは一度では止まらず連続して、二度三度続く。
さすがにうんざりして、俺は自分の身体を起こしてから早紀さんに手を貸した。彼女の顔は赤く染まっていたがその表情は、不満です! とはっきりと意思表示がされていた。来訪者に頭が来ているようで、
「…………私が出てくる。宅急便だったら、許さないかも」
どうか宅急便ではありませんようにと俺は心の中で祈りを捧げ、いまだ早鐘を打つ心臓を落ち着かせるべく深呼吸を来り返す。
「はい、今宮ですが―――」
『ちょっと晴斗! いるんでしょ!? どうして居留守を使うの!? って……あんた、誰? えっ、晴斗は!? 晴斗を出して!』
ドアホン越しに聞こえてきたのは聞き慣れた声。幼い頃から一緒の時間を過ごした幼馴染。中学の三年間で自然と交際に発展し、高校入学して数か月で俺を捨てて同じ高校に通う野球部の一年生と交際をはじめた女。
「……どうして恵里菜がここに……?」
「―――なるほど、
『ちょっと! 晴斗は!? そこに晴斗いるんでしょ!? 怪我しているんだよね? 私、お見舞いに来たの。あと。どうしてもあなたに謝りたかったの……だからお願い、話を聞いて!』
なおも画面越しに叫ぶ幼馴染。俺は先ほどの幸福な緊張から一転、苦しい緊張に襲われた。出来ることならもう会いたくないと思っていた存在の突然の来訪に頭が追い付かない。大丈夫だと思っていたはずなのに、早紀さんや美咲さんのおかげで忘れていたのにどうして―――
「いいわ。そこでキャンキャン吠えられても迷惑だから中で話しましょうか。
早紀さんが怒気を孕んだ声で伝えた。そして玄関に向かう前に、早紀さんは俺の元に近づいて、優しく抱き締めた。
「大丈夫。大丈夫だからね。私がいるから、安心してね」
その温もりはすぐに離れた。俺は思わず手を伸ばしかける。早紀さんはいつものようにフフッと笑ってから玄関に向かい、仇敵を向かい入れた。
「―――いらっしゃい、元カノさん。どの面下げて
腕を組み、見下すように睨みつける早紀さんと、突然の謎の女の登場にキッと唇を噛む幼馴染。
まさかの激突、俺は心の整理をするのに一杯一杯になっていた。
『序盤から試合は動きました! まずは春の王者、石川の星蘭高校が阿部君のタイムリーを足掛かりに三点を先制! 果たして瑞宝学院はエースの高梨君をどう攻略するのか、面白い展開になってきました!』
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