第43話:迎える結末は歓喜か

 私―――飯島早紀―――と隣に座る美咲ちゃんはただただマウンドに立つ明秀高校の18番を背負った投手を見つめていた。


 帽子を取り、汗を拭う。入念にボールをこすって汚れを払うその仕草は、この試合では今まで一度も見られなかった。それが私にとてつもない違和感を覚えさせると同時にどうしようもなく不安にさせる。


「早紀さん……はる君は大丈夫なんでしょうか? なんだかすごく辛そうです……」


「わからない。ここから見た感じでは大丈夫には見えるけど……」


 マウンドに集まる明秀高校内野陣とベンチから伝令として派遣されたエースの松葉先輩。おそらくこの話し合いはエラーをしてしまった坂本君へのケアのために行っているのだろう。


「あと二人。切り替えて、晴斗君」


 私は祈るような気持ちで彼を見つめた。隣に座る美咲ちゃんは手を合わせて泣きそうな目をしていた。


 余りの健気さに今すぐ抱きしめて頭を撫でたくなった。



 *****



 エラーによるランナーが出た瞬間、すかさず工藤監督が守りのタイムをとった。マウンドに集まる日下部先輩をはじめとした内野陣。その中の一人、悠岐は顔面蒼白で俺のもとにやってきた。


「ごめん……晴斗ぉ。ごめん……僕のせいで……」


 試合に負けたわけじゃないのに悠岐は今にも泣きそうな、いや目元にはあふれんばかりの雫が溜まっている。やれやれ。この天才は基本的には自信満々なくせに落ち込むときはとことん落ち込む癖がある。その時はあまりないからその場面に出くわすといつも驚く。そして慰めるのは決まって俺の役目だ。


「馬鹿かお前は。まだ試合は終わってないし、ヒットも打たれてない。記録は継続しているんだから気にすんな。それにな、この試合の決勝打を打ったのはお前だ。誰も責めたりしないさ」


 ぽんぽんと頭を叩く。ようやく顔上げた悠岐に俺は笑みを浮かべてみせた。


「監督からの伝言は、ランナーは気にせず目の前の打者をしっかり抑えなさい。記録のことは忘れなさい、とのことだ。まぁ完全試合はなくなったが、まだノーノーがある。切り替えていけよ? あと、悠岐もそんなに気にすんな。晴斗の言うように、誰もお前を責めたりはしないさ」


「……松葉さん。ありがとうございます」


「やけに素直な悠岐も逆に気味が悪いが……よし! あと二人だ! きっちり抑えて三回戦に行くぞ!」


「「おおぉ―――!」」


 松葉先輩が突き出した拳に皆が合わせる。そしてそのまま空に向かって腕を伸ばす。その指の形は頂点を意味する1。それは己を鼓舞するための宣言だ。


 輪が解散するが、最後までマウンドに悠岐が残っていた。この心配性め。お前が余計な動きをするとみんなに気付かれるだろうが。


「大丈夫だよ、悠岐。俺は大丈夫。だから、次はしっかりアウトにしてくれよ? 相棒」


「……晴斗。うん、任せてくれ!」


 ようやくいつもの調子が戻ってきたのか、悠岐は笑顔で守備位置に戻った。


 気を取り直してあと二人だ。早紀さんへのプレゼントのため気合を入れなおす。


 迎えるは右の9番バッター。今まで通り普段通り投げれば特に気にかけるような打者ではないが、球場は完全試合が途切れたこと、俺が初めてランナーを出したことにより押せ押せムードの雰囲気になっている。


 ふぅ―――と息を吐き。セットポジションに入る。この盤面、理想なのはツーシームやカットボールで詰まらせてのダブルプレーが理想だ。一塁で挑発的に大きなリードを取っている辰巳を一睨みしてから、素早い足上げクイックで投球する。


 今までの投球と比べると溜めが少ない分、球威は多少落ちるがキレと精度に変わりはない。この異様な雰囲気の中で真ん中に来たと逸ってスイングに行くが、手元で内角に食い込んでくるツーシームに差し込まれる。当然打球に威力はなく、俺の前にトントンと転がってきた。


 ゆっくりとマウンドから降りて捕球体勢に入る。日下部先輩は一塁方向を指差している。俺も目で背後を確認するがおそらく間に合わない。ここはひとつ、確実にアウトを取る。


 グラブにしっかり収めてから丁寧にファーストを守る城島先輩に向かって投げる。その瞬間、わずかに右足に痛みが走り、顔がゆがむ。


「―――アウト!」


 それでもボールは城島先輩のグラブに入り、一塁審判は右手を上げてコールした。これで残すはあと一人。


「ハァ……ハァ…………フゥ……」


 痛みを散らすように忘れるように。俺は浅い呼吸を繰り返す。それを不審に思ったのか日下部先輩が何か声をかけてこようとするが、俺は手と目を使ってそれを制した。


 ―――あと一人くらい、大丈夫ですよ―――


 気圧されたように日下部先輩は頷いて、定位置に戻る。俺は城島先輩からボールを受け取りマウンドに立つ。


 打順は先頭に戻って左の1番打者。名前は村林選手。大丈夫。今まで通り投げればきっ・・・と抑えることが出来る。三球、ないしは四球くらいどうってことない。


 ―――大丈夫……まだ投げられる……約束を、早紀さんとの約束を……思い出せっ―――


 早紀さんにプレゼントすると言ったウイニングボール。正直、こんなものしか渡すことが出来ない自分が悔しかったが、あの人は笑みを浮かべてくれた。応援するとも言ってくれた。彼女を喜ばせたいだけなのに、応援してもらっては本末転倒だ。


 ランナーは気にしない。走るなら走ればいいという思いでクイックではなく大きく足を上げて全力で腕を振る。しっかりと落とすことに残っている集中力を注ぎ込んだ。


 投じる球は三球同じ。コースは全て真ん中。結果は―――



『試合終了――――――!! 明秀高校一年生ピッチャー今宮晴斗!! 平成の怪物以来、令和初! ノーヒットノーラン達成しましたぁぁあっぁぁぁあ!!』



 空振り三振。


 選んだ球種はスプリット。俺は初めて日下部先輩のサインに首を振り、自らの意志で決め球を続けることを選んだ。


「やったなぁ晴斗!! お前ほんとすげぇよ!!」


 まるで優勝したかのように、日下部先輩がはしゃぎながらマウンドに駆け寄ってきた。彼だけではない、城島先輩や他の内野陣、外野陣すらも集まっている。この勝利と俺の記録にテンションが上がっているがただ一人、悠岐だけは泣き笑いの顔を浮かべていた。


「やったな、晴斗。これでお前も甲子園のヒーローの仲間入りだな! 親友の僕も鼻が高いよ!」


「お前が打って俺が投げる。これで負けた試合はないだろう?」


「まぁそうだな! それよりも! ボール、ちゃんと日下部さんから受け取ったか? ほっておくと持ち帰る気ぞ、この人」


「おいおい、そんな人聞きの悪いこと言うなよ、悠岐。俺がそんなことするわけないだろう? ほれ、晴斗。記念ボールだ。しっかり渡せよ?」


 日下部先輩からボールを受け取り、俺はそれをしっかりとグラブに収めた。どこにもいかぬよう、大切にしまった。



 *****



『夏の甲子園に新ヒーロー誕生! 明秀高校一年生今宮晴斗! 令和初のノーヒットノーラン達成! 対戦監督も脱帽!』


『緊急取材! 令和の天才投手、今宮晴斗はどのようにして誕生したのか!?』


 様々な見出しで彗星の如く現れた一年生を取り上げた。一部メディアは彼の出身地にまで押しかけて取材を行い、インタビューを受けた者の中には幼馴染がいたという。


 だが、今宮晴斗がマウンドに立つ姿は三回戦以降なく。


 明秀高校の夏の甲子園はベスト8という結果で幕を閉じた。

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