第18話:試合開始と天才の一撃

 明秀高校 対 桐陽高校。


 東東京代表として三年ぶりに出場を果たした名門。


 対するは、夏の大会二連覇、今年の春の大会は辛酸を舐めた分、夏に賭ける思いはどこの高校よりも強い、絶対王者。


 この対戦カード。実況や解説者、高校野球大好きおじさんたちなどの間では、この試合、桐陽高校にとってはあくまで前哨戦。勝って当たり前という認識だった。その点で言えば、初戦ということもあり、プレッシャーを感じていたのは桐陽高校ナインだろう。しかし、そこはさすが甲子園常連校。プレイに固さはない。あるとすれば油断か、慢心か。


 一回表。一死二塁。迎える打者は3番坂本。


『桐陽高校、岩田君。セットポジションから投げました――――!』


 サウスポーの岩田が投じた球種はチェンジアップ。初球は真ん中高めに浮いたストレート。絶好球だったがそれを坂本は敢えて・・・見逃した。その次に投じたのはブレーキの効いた岩田の決め球・・・。コースは真ん中付近だが高さは間違えず、低めに来ていた。


 並みの打者なら空振り。好打者なら泳ぎながら外野までヒット性の当たりを飛ばす。だが、天才ならどうだろう。それは―――


『坂本君、振りぬいたぁぁぁぁあぁっぁぁぁ! 高々と舞い上がった打球はものすごい勢いでライトスタンドに突き刺さったぁああああ! 先制したのは明秀高校! 打ったのは一年生の坂本君だぁ!』


 打った瞬間、スタンドインを確信していた悠岐はバッドを地面に静かに落としてゆっくりとダイヤモンドを一周した。高校野球においてタブーだが、しかし彼がベンチまで戻ってくるまでの間、甲子園球場は静寂に包まれて、やがて爆発した。


「見たか、晴斗? 僕の雄姿を」


 ベンチに戻ってきてハイタッチを交わす。悠岐はどや顔で尋ねてきたので俺はあきれ顔をしてそれに応えた。褒めれば伸びる子なのだ。


「あぁ、ばっちりな。さすが悠岐。」


「フフン。強者を倒すためには心理的ダメージを与えるのが一番だからな。狙い打たせてもらったまでのことさ」


 悠岐の癖、というか趣味、というか、天才にのみ許された打撃論と言うべきか。対峙した投手の決め球を一撃で仕留めて痛打を見舞うことで心理的優位性を創り出す。これはチームにも大きな勢いを生み出す。


 だが、相手も去る者。後続の打者は打ち取られて攻守交替。


「松葉先輩、頑張ってくださいね」


「おう、任せておけ。今日はそれなりに調子がいいからな。なに、あの時と同じさ。俺は行けるところまで全力で行く。だから……後は任せるぞ?」


「先輩、そこはエースとして、『完封してみせるから見とけよ? 見とけよ?』くらいの冗談を言ってください。大丈夫ですか?」


「は、ははは。やっぱ気付いたか。正直緊張で死にそうだ。なにせこんな大舞台、俺は初めてだからな」


 東東京予選大会決勝でも途中で松葉先輩がバテた原因は初回から全力を出しから、だけではない。松葉先輩の最大の弱点は大舞台のプレッシャー。これを克服できれば彼は名実ともに世代最高峰の左腕になる。


 だから、後輩の俺がかけられる言葉は一つ。


「松葉先輩、大丈夫ですよ。あなたが誰よりも努力しているのを俺は知っています。松葉先輩、大丈夫です。あなたは俺達・・エースです。自信持ってください」


「晴斗……ははは、サンキュな。なんかお前にそう言われるとやれる気がしてきたわ」


「松葉さん、万が一に早々にノックアウトされても僕と晴斗でひっくり返して見せるんで、気楽に投げて下さい」


「悠岐、お前はどうしてそういつも……いや、悠岐もサンキュ。吹っ切れたわ。頼もしい後輩だよ、お前たちは」


 大きく深呼吸を一つ。松葉先輩はハァッと気合を吐いてマウンドに向かった。



 *****



 試合は当初予想されていた下馬評を大きく覆す展開で進む。


『四回の表、明秀高校の攻撃は先ほど見事な先制ホームランを打ちました坂本君から始まる中軸から。現在2 対 0とリードしている展開で向かるこの上位打線。両校にとって重要な回になりそうですね』


『そうですね。初回の攻撃以来、桐陽高校の岩田君に完璧に抑えられていますから、坂本君から始まるこの攻撃を、明秀高校は大事にしたいですね』


 テレビ中継では実況と解説がこのようなやりとりがされているが、グラウンドでプレイしている本人たちは露とも知らず。悠岐は岩田の投球練習には目もやらず、ただ目を閉じて精神を整える。


「頼むぞ―――坂本! もう一発打ってこい!!」


「生意気一年坊主のかっこいい姿がもう一回見てみたい!」


 ベンチからの声援なのか煽りなのかわからない声掛けを完全無視して瞑想する悠岐。俺はいつも通りの様子の彼にほっとして、声をかけに行った。ここは一年生同士の激励と言うことで。


「悠岐、ここでお前がもう一発打てばいよいよもって藤浪さんが出てくるはずだ。エースを引っ張り出して勝つことに意味がある。そうだろ?」


「……もちろんだ。あのピッチャーの心をへし折って、エースを引っ張り出してやる」


「そして、藤浪さんからも打てば、お前がこの試合のヒーローだ。頼んだぞ、俺の4番」


「任せておけ、僕のエース。この試合、お前が投げることがあれば一緒にお立ち台だ」


 グータッチをしてバッターボックスへと向かう悠岐。俺は急いでベンチに戻って親友の雄姿を見届ける。


「なぁ、今宮。お前なら坂本をどう攻めるよ?」


 ベンチに戻ると日下部先輩に尋ねられた。藤浪さんのある癖を見抜く観察眼といい、決め球をあえて打つ技量といい、すでに高校生離れしている悠岐に対する攻め方は、同じく超高校級の相手の4番に対して参考になると考えたのだろう。


「そうですね。まぁ多分普通に考えるなら―――」




『さぁ、二度目の対戦が始まります。先ほどの打席、岩田君はチェンジアップを見事にライトスタンドまで運ばれましたが、バッテリーはどう攻めるのがいいと思いますか?』


『そうですね……一打席目は初球の甘いストレートを見逃してからの厳しいコースのチェンジアップを見事に打ち返されましたからね。際どいコースを攻めてまずは様子見ではないでしょうか―――』




「―――なんて考えるでしょう。でも、日下部先輩もミーティングで言ってたじゃないですか。ぶつけてもいいから内角を攻めろって。つまるところそこに尽きますよ」


 プロでもメジャーでも、強打者を抑えるのに避けては通れない道。それがインコースへ投げ込むストレート。見せ球でもいい。大事なのは軌道を頭に刻み込むこと。そうすればアウトコースギリギリのゾーンに投げ込んでも遠くに感じて手が出ない。それはプロの試合でもよく見る光景だ。


「小手先の変化球や、外一辺倒で逃げようとするとあいつの場合は容赦なく攻撃します。まぁ観ていてください。多分、あいつはこの回で仕留め・・・に行きますから」


 桐陽高校の岩田投手はどちらかと言えば変化球主体の投手。だからと言ってストレートの球速が遅いわけではない。140キロ台は出るので十分高校生の中では一線級だ。左腕では松葉先輩がいるので埋もれがちだが、彼もまたプロ注目の選手に変わりない。



『アウトコースの変化球に手が出てしまってカウントは1ボール2ストライク。追い込まれましたね、坂本君』


『そうですね。先ほどホームランにされたとは言えチェンジアップは岩田君の決め球ですからね。そこにカーブを交えてしっかり追い込みました。いい配球です。この攻め方なら、ストレートは強力になりますね』



「おいおい。坂本の奴、簡単に追い込まれたぞ? しかもチェンジアップにタイミングあってねぇじゃねか。どういうことだよ!?」


「日下部先輩なら、次のボールは何を要求しますか?」


「それは……あのスイング見れば坂本の待ちはストレートだろ。追い込まれた以上、全ての球種に対応しようとするはずだから……この打席じゃまだ見せてない真っ直ぐか? 外一辺倒だったし、インコースに要求するかな?」


「その選択がすぐに導き出せる日下部先輩を俺は心底信頼します。ただ、この場合は悪手です。あいつは、それを狙っています・・・・・・


 予想通り、桐陽高校の優秀な・・・キャッチャーは日下部先輩が口にしたのとまったく同じインコースに構えて、岩田投手はそれに応えて今日最速のストレートを放り込んだ。


 悠岐の不敵な笑みが見えた気がした。



『振りぬいたぁああああああ―――!! 打球はグングン伸びて――――再びライトスタンドに飛び込むソロホームランだぁあ!』


『岩田君のボールも素晴らしかったですよ! 外、外、外で追い込んでズバッと内角にストレート。配球としては完璧でした。コースもよかったと思います。しかし、それを見事にスタンドまで運んだ坂本君がすごいとしか言いようがありません…こんな一年生がいたとは……』



「ま、マジかよ……あの攻め方で内角のストレートをライトスタンドに放り込むかよ。化け物か、あいつ?」


「一番自信のあるボールを狙い撃つ。これが悠岐のスタイルの一つです。まぁ岩田投手には気の毒ですが、この試合は多分、もう投げられませんね」


 がっくりと膝をつく岩田投手に声をかける桐陽高校内野陣。悠岐の思惑にキャッチャーは気付いているだろうか。もし気付いていなければ、たとえエースが出てきても再現映像になりかねない。


「ちなみに、俺なら外角にスプリットを選択します。あいつにまともにストレート勝負をするなら三打席目以降です」


 もちろん、見せ球には使うが、それでもインハイなど打ちようがない球か打ってもファールにしかならないコースに放る。岩田投手のボールは、残念ながらボール一個分だけ真ん中に寄っていた。


「フン、僕たちを相手にエースを温存なんて舐めた真似するからだよ。いや―にしても気持ちよかった。最高な気分だ。見たかよ、僕の内角捌き!? 我ながら完璧だったと思うけど、どうだった!?」


 鼻を鳴らしたかと思えばキャッキャッと騒ぐ悠岐に俺は落ち着くようにぽんぽんと肩を叩いた。なんだその、上手く出来ただろう?褒めろよ飼い主、と訴えてくる犬のようなつぶらな瞳は。ぶんぶんと回るしっぽが見える。


「さすがだ、悠岐。お前が味方で心底よかったと思ってる。いや、マジで」


「そうだろう、そうだろう! 僕もお前と一緒に野球が出来て嬉しいよ、晴斗!」


 敵にすると悠岐ほど恐ろしい選手は早々いない。だが味方だと悠岐以上に頼もしい選手を俺は同世代ではあと一人しか知らない。悠岐に寄せる信頼と、松葉先輩や日下部先輩に寄せる信頼は別物。こいつの存在もまた、俺の救いだ。


「これで3点のリード。俄然有利になったが……ついに王者が牙を剥くか。エース様の登場だ」


 案の定、そして思惑通り、エースの藤浪さんがマウンドに立った。彼の放つ殺気にも似たオーラはベンチにいる俺達にも届いた。そして、彼が向ける視線は二打席連続ホームランを放った悠岐に向けられていた。


「フン。上等だ。高校最強エースだかなんだか知らないが、僕がその幻想をぶち壊してやる」


「お前……ほんとラノベ好きな。いや俺も好きだけど、台詞を声には出せないわ」


 こぶしをマウンドに向ける悠岐。挑発行為と見做されかねない行為だが、幸いなことにベンチ内で、かつすぐにおろしたので審判に気付かれることはなかった。


 試合は四回表。3 対 0で明秀高校がリード。そして試合は中盤から終盤に向かう。

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