第6話:二人だけの祝勝会と誘惑【女子大生:飯島早紀】
急いで帰って支度したが、早紀さんの部屋を訪ねることができたのは最後に彼女に連絡をしてから一時間も過ぎていた。
時刻はすでに20時を過ぎているが、早紀さんは不満を言うことなく、むしろ慌てなくていいからと気遣ってくれた。
「いらっしゃい、晴斗君。待ってたよ。さっ、早く入ってご飯にしよう?」
出迎えてくれた早紀さんは試合の終わりに会った時とは違う格好をしていた。マシュマロのようなふわふわとした可愛らしいピンク色のパジャマ。何よりも晴斗の目に毒なのは彼女の綺麗な足を惜しげもなくさらけ出している丈の短いボトムパンツ。美人な早紀さんの可愛いパジャマは反則級に似合っていた。
「フフッ、どうしたの? 顔赤いよ?」
「いえ……何でもありませんよ? 僕は至って普通です、はい」
「もう、言葉遣いが変になってるよ。さっ、そんなことより一日疲れているお客様は席について。今ご飯用意するからね」
彼女に促されて席に着いた。
早紀さんの部屋は俺が住まわせてもらっている叔母さんの部屋と同じ間取りで2LDK。新築とまではないが比較的新しい賃貸マンション。オートロック式のエントランスに二重ロックのカギ、インターフォンも画面付きで防犯面もしっかりしている。女性の一人暮らしには安心設備だ。
それはさておき。早紀さんの部屋は花の女子大生にしては落ち着いていた。ベージュのカーテン、木目調で統一されたテーブル、テレビ台に作業机。その上に社会人御用達のPで始まるメーカー製ノートパソコンが置いてあった。可愛さよりも実益に比重をかけているのがうかがえた。
「お待たせ! まずはこれでも食べて! すぐにスープ用意するからね」
そういって出されたのは生タコのカルパッチョ。しゃきしゃきの水菜と玉ねぎスライスの上に生タコが乗せられている。ソースはオリーブオイルと醤油を中心にした自家製で、にんにくの匂いとさっぱりとしたレモンの香りもした。
お言葉に甘えてサラダを一つまみして口に運ぶ。新鮮で瑞々しい野菜の食感にドレッシングの酸味と香味、さらに鼻を通るワサビのつんとした辛味も合わさっていて普段食べているサラダが味気ないように思えてしまうほどだ。
「はい、次はこれね。熱いから気を付けて飲んでね。なんなら、私がフーフーしてあげようか?」
「だ、大丈夫ですよ! ほんと、からかわないでください!」
「ホント、晴斗君は可愛いね。それじゃメインを持ってくるね」
二品目はオニオングラタンスープ。これまた本格的で、バターを塗って一度トーストしたフランスパンの上にチーズが被せてあり、さらにオーブンで焼いているので器の中でグツグツと煮立っている。
一口よそって熱さに耐えながら飲んでみると黒コショウが玉ねぎの甘みをさらに際立たせて疲れた身体に沁み渡る。お世辞抜きで何杯でも飲みたくなる逸品だ。
「そしてこれがメインデッシュのローストビーフ! あと男の子だからご飯も欲しいでしょう? ガーリックライスもあるから食べてね」
薄くスライスされたローストビーフは、表面はこんがり焼けているのに綺麗な赤身が際立っている。別皿で用意されているのは、すりおろした玉ねぎとにんにくを赤ワインとはちみつ、醤油で煮詰めたソース。香りだけでわかる。これは間違いなく肉に合うと。
大皿によそってあるのはガーリックライス。カリカリになるまで炒めたにんにくとローストビーフのソースを少量混ぜて炒められたシンプルな作りだが食欲旺盛な野球部男子高校生には暴力的な匂いだ。早く食べたくてうずうずする。
「お待たせしたね。さぁ、食べようか!」
「はい! いただきます!」
俺はお預けをされていた犬が解放されたように、客観的に見ればあまりよろしくないが、前のめりで目の前に並べられた豪勢な料理の数々を皿によそっては口に運んだ。その様子をニコニコと頬杖をついて眺める早紀さん。こうも見つめられては気恥ずかしくて箸が進まない。
「さ、早紀さんは食べないんですか?」
「美味しそうに食べている晴斗君を眺めているだけで幸せかな。どう、美味しい?」
「もちろんです! 俺も叔母さんが仕事で忙しいときは料理をすることもあるんですがこんなに美味しく作れません。それにこんなに品数をたくさん……全部作ったんですよね?」
「そうだよ。試合の後急いで買い物して仕込んだんだよ。私もそこまで手際がいいわけじゃないから時間はかかったけどね。でも、晴斗君に喜んでもらえたなら頑張った甲斐があったかな」
そう言ってニコっと笑う早紀さんはとても綺麗で、そして可愛かった。晴斗はそんな彼女に向き合って座り、手料理を頬張っている事実を今さらながら意識して、急に恥ずかしくなって熱を帯びた頬を手で扇いだ。
「あれれー? どうしたのかな? また顔が赤くなってるよ?」
ニヤニヤとからかうような早紀さん。しかし年下であるとはいえど俺も男子のはしくれだ。言われっぱなしなのは性に合わない。それに俺は、負けず嫌いなのだ。
「そりゃそうですよ。早紀さんのような綺麗な人が俺のためだけに手料理をふるまってくれて、こうして一緒に食べているんですよ? 照れないわけないでしょう?」
箸をおいて、出来る限り真面目な表情を作って早紀さんにはっきりとした口調で本音を伝えた。今までで最高の決め顔だ。
「そ、そう……あ、ありがとう。って、こら! 年上をからかわないの! 勘違いしたらどうするの? 責任、取ってくれるの?」
「……えぇ。俺でよければ、責任……とらせてください」
身を乗り出して笑顔を作り、早紀さんの頬に手を当てて優しく撫でた。すると早紀さんの頬からぼっと音が鳴ったように錯覚するほどの速さで茹でダコ状態になった。
―――晴斗、振られたばかりで辛いかもしれないけどよく聴きなさい。女性を捕まえて離しておきたくなければ積極的かつ適度なタッチストロークは欠かさないようにしなさい―――
―――あとタイミング。いつでもどこでもではなく、ここぞという場面でやるのよ? いいわね?―――
―――それと言葉選びね。これは難しいけれど、何も気障なことを言えと言うわけじゃないの。私は貴方のことを思っています、この思いをしっかりと乗せること。いいわね?ストレートに言うもよし、伝え返しもよし。まぁ頑張りなさい、若者よ――――
彼女に振られて落ち込む俺に、叔母さんは色々な助言をくれた。その一つがこれであり、早紀さんの頬に手を当てたり、我ながら恥ずかしい台詞を吐いたりしたのはこの助言があってこそ。効果は言うまでもなく、覿面だったようだ。
「……」
早紀さんは無言になって俯いてしまった。思っていた反応と違う。てっきり―――
「もう! からかわないでって言ったでしょう!?」
―――と少し怒り気味の返事が来ると思っていたのだが当てが外れた。
そこで俺は今の状況を冷静に考えてみた。
うん、やばいな、これは。まるで口説いているみたいだ。からかわれたことへの仕返しにしてはあまりにも度を越している。やりすぎたかもしれない。
慌てて頬に当てた手を引こうとしたが、しかしそれは叶わなかった。早紀さんの繊細な手が俺の手に被せられたからだ。
彼女の表情はどこかうっとりとした憂いを帯びていて、目を奪われた。
「ねぇ、晴斗君。私、本気になっても……いいかな?」
儚げに笑いながら早紀さんは言った。俺は、気の利いた返事をすぐに出すことはできなかった。
心臓の高鳴りだけがやけにうるさく聞こえた。
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