第4話:晴斗君との出会い【女子大生:飯島早紀】
「晴斗君の名前が全国紙をはじめにネットニュースにもなってる。フフッ。でも誰にも渡さない。私が晴斗君の女になる」
私は一人ほくそ笑んでいた。
自分で言うのもなんだが、私は大学では嫌になるほど声はかけられるし、下品な視線や会話を聞くことは日常茶飯事。デートの申し込みは数知れず、街を歩いているとナンパはされるし芸能事務所のスカウトだと名乗る者もいる。
私はそれらを全て鎧袖一触してきた。皆、自分の身体目当てなのが透けて見えた。そんなのはアルバイトだけで十分だ。
そんな時。私は晴斗君と出会った。高校に通うために叔母の住む東京に上京してきたのだという。純朴な少年だが、彼は自分のことを見てもただのお隣さん、としか見ていないようだった。その理由を彼の叔母さんに聞いたら、どうやら幼馴染の彼女と遠距離恋愛しているとのことだった。
隣に居候している一途な純朴な高校少年。そんな彼の印象が『ただの隣に住む高校生』から気になる『年下の男の子』に変わった出来事があった。
春も中盤に差し掛かったGWの大型連休のある日。仕事で散々な目にあわされて憂鬱な気分になっていた。時々あるがこの日はとびきりで早退させてもらった。トボトボと足取り重く行く当てもなく歩いているとジャージ姿の晴斗と偶然会った。
「っあ、飯島さん? こんなところで何しているんですか?」
知らない間に明秀高校まで歩いてきてしまったようで、アップで外周を走っていた晴斗に声をかけられた。
「えぇっと……君はお隣さんの…今宮君だったけ? ちょっと散歩してたのよ。今宮君は野球の練習中?」
「えぇ。とは言っても一年生は球拾いか基礎トレーニングですけどね。俺の場合は監督から下半身強化とスタミナづくりのためにランニング中心のメニューです」
「それじゃずっと走ってるってこと? 嫌にならないの?」
「嫌にはなりませんよ。必要なことですから。今の俺には九回を投げ切れるだけの体力はないですし、下半身の粘りもないので制球も甘いですし。中学までは球速で何とか出来ましたが高校は甘くないですから。この後は体幹トレーニングです。これがまた地獄なんですよね」
ハハハ、と晴斗君は頬をかきながら苦笑いを浮かべながら話した。私が抱いていた野球に対するイメージはとにかく夏の暑い中で白球を追いかけるイメージしかなかったが、その実態は地味な練習の積み重ねだった。勝つためにはボールを追いかける以外のこともするのだとこの時初めて知った。
「それより、飯島さん。大丈夫ですか? なんか元気ないみたいですけど?」
彼はそういうと私の顔を下から覗き込んだ。私の身長は168センチ。女性にしては背の高いほうであり、さらにこの日は滅多に履かないヒールを履いていたので彼よりも上背が高かった。
「んん!? だ、大丈夫だよ。ちょっと仕事で、嫌なことがあってね。早退してきちゃった」
「そうだったんですか……。飯島さんはもう十分頑張ってます。嫌なことがあったら無理せずお風呂でも入って休んでください。そしてまた明日、元気な顔を俺に見せて下さい」
ニコッと笑って彼は私の頭に手を置いて優しく撫でてくれた。野球をしている男の子にしては柔らかくて綺麗で、その感触がとても気持ちよかった。
「あぁ! す、すいません! つい癖で……俺の彼女が落ち込んだ時にはよくこうすると喜んでくれたのでつい。お、俺もう行きますね! じゃぁ気を付けて帰って下さい! また明日!」
頬を赤く染めながら晴斗君は走り去っていった。私は呆然とその後姿を見つめていた。正直に言えば、この時から私は彼をただのお隣さんから一人の男性として意識するようになった。
我ながら単純だと今でも思う。だが、上京してからというもの下心丸出して声をかけてきたり口説いてきたりする男は数えきれないほどいるが、本気で心配して、優しくしてくれたのは彼が初めてだった。それが無性に嬉しかった。
それからというもの、私は朝練に向かう晴斗君に声をかけるようになった。と言っても一言二言のあいさつ程度。興味のなかった野球の勉強も始めた。
まずはプロ野球を毎日見れる環境を作るためにケーブルテレビと契約。さらに選手名鑑を買い、高校野球の特集の組まれているテレビや雑誌を観て勉強した。まぁこれは彼との来るべき会話のための予習だったが、仕事でも活用できた。おじさまの中には野球好きが多かった。
そんな挨拶だけの関係が二か月近く続いた。最初は挨拶だけだったが徐々に会話もできるようになった。その中で彼には地元に幼馴染の彼女がいること、その子のことを大切にしているというのがわかった。だから私はもやもやを抱えながらもこの思いを胸に秘めたまま過ごしていたのだが、あの出来事が起きた。
「ため息ばかりしていると運気が逃げるぞ、若者よ」
彼が珍しくベランダで落ち込んでいたから思わず声をかけて話を聞いた。すべてを聞き終えた後、私は彼の頭を優しく撫でた。あの時彼がそうしてくれたように。
でもまさか例の幼馴染の彼女さんから別れを告げるとは。遠距離で彼が連絡を寄こさなかっただけで別れを切り出すとは。でもおかげで私にもチャンスが回ってきた。
「私なら……晴斗君を悲しませたりしない。たくさん甘えさせてあげるのに……」
思春期真っ盛りの高校生男子が幼馴染の彼女に振られたばかりで傷心中。だが押しすぎてはだめだ。小学校一年生と六年生くらいの歳の差があるので引かれてしまうかもしれな。だからここはあえて今までと変わらず、しかし少し距離を詰めて接するようにしよう。
「可愛い晴斗君。私が癒してあげるからね」
私はスマホの待ち受け画面を見つめる。そこに映っているのは彼の肩を抱くようにして映る2ショット。東東京大会決勝後、球場外で私は彼に声をかけて写真をお願いした。
これを撮ってくれたのは日下部先輩と呼ばれていた男子。確かキャッチャーをしていた子だ。
どうやら声援を送ったのが私だというのに気づいていたようで、恥ずかしがっている彼を的確に煽り、写真を撮らせてくれた。
閑話休題。
自然と肩に手を置いて密着できた。何なら背中から抱き着きたかったがそれはさすがに公衆の面前では憚られるので自重した。うまくいけばこれからそういう機会は増えることだろう。
「晴斗君、おめでとう。今夜はうちでささやかなお祝いしない? 叔母さんの許可はもらっておくから」
離れ際、彼の耳元でささやいた。顔をリンゴみたく真っ赤にして「えっ!? 」と驚いて様子を見せたが、その頃には私は彼のそばを離れていた。なにせ帰ってお祝いの準備をしないといけないからだ。
「じゃあまたね! 晴斗君! 」
ここからはずっと私のターンだ。私はお祝いに美味しいケーキを買うべく検索を開始した。
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