第2話:準決勝、先発です!【女子大生:飯島早紀】

 私立明秀高校めいしゅうこうこうは東東京では有数の野球の名門校だ。甲子園大会出場の常連校であり優勝経験もある。近年は他校のレベルも上がってきているので毎年とはいかないが、それでも監督を長く勤めている工藤克也くどうかつやは今年こそはと確信していた。その理由は一年生の超ルーキーの存在だ。


「さすがにエースの松葉君には疲れが見える。でも彼と同じくらいの投手となると彼しかいない……初めての先発が準決勝っていうのは荷が重いかもしれないけど、やってくれると信じるしかないですね」


 工藤監督はちびちびと風呂上りの楽しみである晩酌を楽しみながら、戦略を練る。

 三年生には申し訳ないとは思う。同時にプロ注目の本格派左腕の松葉泰介を地方予選で潰すわけにはいかない。彼もまた才能に愛された選手だ。だが準決勝の相手は昨年敗れた徳修館高校。松葉に匹敵する投手をぶつける必要があるが、それは一人しかいない。


「今宮君。君の先発デビューにはこれ以上ない舞台だけど、やってくれるよね?」


 今宮晴斗。中学生日本代表のエースに選ばれて世界大会で優勝した経験を持つすでに世代最強と名高い投手。工藤監督は大事な一戦を彼に託すことに決めた。

 大事な一戦に一年生投手を起用した愚かな監督と言われるか、それとも世間の度肝を抜くピッチングを披露するか、工藤監督は当日のことを想像しながら酒を楽しんだ。



 *****



 週半ばの水曜日。甲子園東東京予選の準決勝の試合が行われる球場の一番高い場所に、俺は立っていた。正直頭がふわふわしている。地に足がついていないとはこのことか。


 ―――今日の先発は今宮君、君で行きます。私は君なら十分徳修館打線を抑えられると判断しました。初回から全力で飛ばしてください。松葉君。君はここまでの蓄積疲労があるから今日は控えスタートだけど心構えはいつでもいけるようにしておくこと。いいでね? 甲子園まであと二つ。悔いなく、全力を尽くそう!―――


 工藤監督の発表には度肝を抜かされた。まさか宿敵の敵を相手にして一年生の自分を先発に抜擢するなんて。分散してきたと言えエースの松葉さんの蓄積疲労は計り知れない。休ませるためとはいえ、なぜ先輩たちを差し置いて俺がマウンドに立つことに。


「おいおい、大丈夫か今宮? 顔面蒼白だぞ?」

「日下部先輩……やばいです。口から心臓が飛び出そうです」


 試合開始直前。二年生キャッチャーの日下部先輩がマウンドに来て声をかけてくれた。


「大丈夫だ。お前の球がいいことはこのチームのみんなが知ってることだ。松葉先輩も納得してる。思い出せよ、うちのエースの言葉を。お前なら大丈夫だ。自信を持て」


 ―――晴斗、頼んだぞ。お前なら抑えられる。自分を信じろ。監督はあぁ言ったが、俺は今日投げる気はないからな?任せたぞ、次期エース候補―――


「―――ありがとうございます、先輩」

「よし! いい顔になったな! 俺のミット目掛けて全力で投げてこい! 勝つぞ、この試合」

「はい!」


 松葉先輩の言葉と思い。日下部先輩の安心感。工藤監督の信頼。そして試合はもちろんベンチ入りできなかった野球部員たちの夢に応えるため、俺は本当の意味でマウンドに今、立った。

 初球はストレート。コースは左の先頭打者の外角低め。

 打てるものなら、打ってみろ。


「ストラ―――ク!」


 指にかかったスピンの効いた直球は日下部先輩の構えたミットに寸分違わず吸い込まれて小気味いい音を鳴らした。

 電光掲示板に映し出された球速は、147キロ。それを見てにわかにざわつき始める敵ベンチと観客たち。そんな中、してやったりと笑みを浮かべるのは明秀高校ベンチの監督、選手たち。


「絶好調ですね、晴斗。これなら安心です」

「試合開始前は緊張で真っ青だったから心配していましたが、さすが日下部君ですね。いい方向に気合が入ってくれたようだ」

「日下部も来年にはプロ指名間違いなしのキャッチャーですからね。気分よく投げさせてくれますから」


 バシーンと、監督とエースが雑談している間に2ストライク目がコールされた。先ほどとまったく同じ外角低め。そして二人が選択した最後の球は―――

 縦に大きく割れるカーブ。その球速125キロ。この球速差の前に、打者は全く反応できなく三振に倒れた。


「これは……本当に俺の出番はなさそうですね」


 松葉は苦笑いを浮かべるほどの後輩の立ち上がりに苦笑いを浮かべた。



 この日、高校野球界に一人の逸材が名乗りを上げた。東東京大会準決勝。昨年の甲子園出場校、徳修館高校打線を123球、9回5安打1四球無失点に抑えたチームを勝利に導いた一年生投手。その名を今宮晴斗。彼の名前は瞬く間に全国に広がった。

 工藤監督をはじめとして、松葉先輩や日下部先輩にもみくちゃにされた上にメディアの取材攻勢にも合い、心地いい疲労感と徒労感に襲われながらもなんとか帰宅した。ベッドに横になりたいがその前に風呂に入ろうかと荷物を降ろすと、スマホが点滅しているのに気が付いた。相手は、元カノからだった。


『今日の試合すごかったね! 私、やっぱり晴斗のことまだ好きみたい……もう一度やり直さない? 』


 開いた口が塞がらないとはこのことだ。というか高校生になって、大事な試合の先発を初めて任された上に一試合投げぬいたからただでさえ疲れているのに、一週間と立たないうちに心変わりして、それを気にすることなく送ってくるとは。こrでは百年の恋も冷めるというものだ。

 俺は返事をすることなくスマホを放り投げようとしたとき、またメッセージを受信した。今度の相手は、早紀さんからだった。


『晴斗君、今日はお疲れさま! ナイスピッチングだったみたいだね! 応援行けなくて残念だったよ。決勝は週末だよね? 応援に行くから頑張ってね! 今日はゆっくり休んでね!』


 元カノに振られた日の翌日。朝練に向かおうと家を出たら偶然鉢合わせた早紀さんに連絡先の交換を迫られた。時間もあまりなかったし、減るわけでもないしいいじゃないと言われたのもあるが、なにより早紀さんのような人から申し出られたら断る理由がなかったのが正直なところだ。


 ありがとうございます。まさか先発にするとは思いませんでしたが勝つことが出来てよかったです。早紀さんが応援に来てくれたら、頑張れます! 今日よりいい投球が出来る気がします(笑)


 冗談交じりで返事を返し、俺は風呂へ向かった。汗と泥にまみれた身体を一刻も早く洗い落としたい。それから叔母さんが帰ってくるまで時間は改めて入念にストレッチをしよう。



 *****



「エヘヘ。晴斗君から返事きたぁ。私の応援があれば頑張れる? これは……応援行くしかないわね!」


 早速、早紀は予定変更の連絡をバイト先に入れる。何かと融通の利きやすい職場で助かるとこの時ばかりは思った。当日は何を着ていこうかと今から頭を悩ませる。化粧も仕事より控えめにしつつ、色気も出さなければ。


「頑張ってね、晴斗君」


 肉食獣が牙をむく日は近い。かもしれない。

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