3話 ご存知なのですか、大僧正!?
ホロギウムの魔法陣について、説明しよう。
魔術師たち数名、時に数十名が、この世界に漂う霞の如き魔力を集め、時間をかけて描いた陣に触れると、設定された魔法が発動する。
別の場所に瞬間移動できる転移魔法陣。
火や水などが飛び出す罠魔法陣。
いわば、魔力という水がたっぷり詰まった蛇口のような物で、触れさえすれば、たとえ魔法の才能がからきしであっても、任意の魔法がいつでも使える。
そして、陣を破壊されたり、魔力が枯渇すれば、使用は不可となる。
さて、時を動かそう。
場所は、中都リヒト=ミリク。
夜半であるはずだが、妙に明るい。
「「「「「わあああああぁぁぁぁ!!!!」」」」」
魔王軍から放たれた火球の
「
悲鳴を上げた若き雑兵たちを、兵士長が一喝する。
だが、無理もない。
中都を囲む城壁から臨む平野に立ったもの。
ホロギウムの民にとっての、恐怖そのものと呼べる存在。
地球でいうところの、十階建てのビルに相当する巨体。
鹿のような細長い顔に、獅子のようなたてがみが生えている。
その頭からは兎のような耳が二本突きでており、眼球はなく、闇色。
身体は、ぞろぞろの黒いカーテンのようにはためき、実体が掴めない。
今のところ、くるぶしが三つの足が七本、指が一三本の手が一七本という異様。
「……兵長」
「皆まで言うな。分かっている。見ているだけで、気が狂いそうだ」
魔王が、じわりじわりと中都に近づいてくる。
「偉大なる勇者の名に懸けて、
魔法障壁は攻撃こそ防いでくれるが、向こうから入り込む魔物や魔族は通してしまう。街中での乱戦だけは避けなければならなかった。
「兵長、
「よし! 一斉に放てぇ!!」
筒のない大砲といった物体から、雷撃が迸り、魔王に向け真っ直ぐに突き進む。
「まぁ、無傷であろうがな」
兵士長は皮肉な笑みを浮かべながら言う。
ホロギウム最大の都市の全兵力を投入した程度で倒せるなら、七億年の歴史に奴は君臨してなどいない。
六〇年前、二人の転生勇者とその仲間たちが倒し、五〇年の平和が訪れた。
そして、一〇年前。あっさりと復活した。
「おのれ……!」
前衛を任された兵士長の読み通り、只人であれば灰も残らぬ雷撃を受けても、魔王は僅かほどの痛痒も感じていない様子だ。
―――だが、何かがおかしい。
魔王が全盛であった六〇年前を知らぬ兵士長には、推察するしかないことだが。
―――魔王とは、あれほど虚ろな存在であったのか。
また、その肩に乗った、魔王軍の参峰らしき魔術師も、様子がおかしかった。
「人間共ォ!! 転生者シンジを、とっとと連れて来ォォォォい!!!!」
「……兵長、さっきからあの老人は、何を喚いておるのですか」
「分からん。放っておけ。今は眼前の敵に注視せよ」
「はぁ……」
シンジとは誰のことなのか、兵士長は分からない。
だが、長年の経験と勘で、これだけは分かった。
「そのシンジという者と関わったら、とてつもなくしょうもないことに巻き込まれそうな気がするのだ」
※※
同時刻。
中都の魔法障壁を
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
人狼の大きな口から、呼気が漏れ続ける。
「たかが、人間の小娘が、素手でこのガルオウの前に立つとは」
金髪を一つ結びにした、胴着姿の少女に、男は、そのような態度を取っていた。
由緒正しき魔族の一人である自分に与えられた『邪魔な魔法陣を破壊し、結界魔術師どもを皆殺しにせよ』という任務は、容易く果たされるはずであった。
だが、突如現れた
「クソがッ!!」
既に当初の余裕は消え去り、無我夢中で繰り出す右手の爪。
しかし、流水の如き身のこなしで避けられ、隙だらけの腹に強烈な拳を貰う。
「うぐっ!?」
胃の
明らかに少女の細腕に、なぜそれほどの力があるのかは謎。
今は、眼前の小癪な敵を屠り、再び魔王に引き立てて貰わねばならない。
ここいらで、読者は、既にお気づきであろう。
彼は前章で、黒幕ラースが化けていた人狼の
人狼ガルオウ。勇者の魔王討伐と共に没落した魔族の末裔。
単独で敵陣に入り込み、要所を破壊する捨て駒の鉄砲玉であった。
「強いな、小娘、ならば、これはどうだッ!?」
ガルオウは、左手の爪で腰につけた袋を引き裂く。
すると、粉塵が爆発するように舞い、少女の視界を塞いだ。
「ハハハッ! 貰ったァ!!」
鋭い牙が、がぶり、と、少女の肩に食い込む。
―――勝った。
「……下らぬ拳ね」
少女の冷静な声が、人狼の
「
瞬間、首をガッと掴まれ、抱き寄せられる。
「
牙がより少女に食い込むが、万力のような力でガルオウも動けない。
―――捕まったのは、俺の方!?
気付きは、すでに遅かった。
「覇ッ!!」
ズン、と少女の膝が、人狼の
「内臓までは潰さないであげたわ。あなた程度、殺す価値もないもの」
肩の深手を治癒魔術で治しながら、武闘家の少女―――フィアが言った。
彼女に守られた結界魔術師たちが、礼を言いに来る。
「ありがとうございます、辺境の姫よ。あれはまさに、伝説のアキマ神拳!」
「ご存知なのですか、大僧正!?」
「うむ、世が乱れるとき、東の山岳より救世主が現れる、と」
「なるほど! 今宵、都の空に死を
「さぁ、我らは仕事に戻るぞ。魔法障壁への魔力供給を絶やすな!」
「「「「「応ッ!!」」」」」
何やら勝手に盛り上がり、フィア様ばんざーいなどと言いながら魔法陣をせっせと維持し続ける彼らを、フィアは微妙な表情で眺めていた。
「お疲れさまでした、アキマ神拳の救世主フィア様」
「半笑いで言うのはやめてくださる? ラットさん。
あとアキマ神拳ってなんですか」
「どうやら、異世界の伝説が、妙な
しかし良かったではありませんか。フィアシロウ様があれほど誉めそやされることは珍しい」
「次その名で呼んだらぶっ飛ばすわよラットさん」
魔法障壁が破られる危険が過ぎ去った今、リヒト=ミリクは守られるであろう。
フィアは、一つ結びにしていた高級な絹の如き金髪を解くと、言った。
「さて、シンジのバカを見つけ出しましょうか」
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