12話 あなたのケツを頂戴仕る

 身体が、意思に反してぐらりと倒れる。

 時間がゆったりと流れ、ジオの脳裏にある光景が浮かぶ。

 誰よりも大きなオークと、小さなオークが交わした、在りし日の会話。


『ジオよ。我らは二人で一つだ。俺は武を。貴様は知を。さすれば、一族は永劫に繁栄を続けるであろうよ』

『はい。なれば、わたしは旅に出て見聞を広め、僧侶となりまする』

『フハハ! レッサーオークの僧侶とは前代未聞よ! せいぜい励め! 誰よりも小さく、賢い弟よ!』


「さすが、兄者の拳は、重いッ!」


 グッ、と、倒れそうになる身体を踏み止まらせる。


 歯も、鼻も折れている。

 瞼は前が見えないほどに塞がった。

 完全に崩壊した顔面で、ジオは笑みを浮かべた。


「が……やはり、知恵無きオーク。大振りを続けて、おりますな」

……だと……?」


 ザオは、言われて初めて、自分の息が上がっていることを自覚する。


「貴様、そのために、この俺を挑発したというのか」

「いえ、いえ、もう一度、貴殿と殴り合うてみたいと思ったのです」


 そして、と、ジオは言うと同時に、身体を急激に沈み込ませる。

 ザオは、対応できない。

 その直後、強烈な打撃が、彼の顎に命中した。


「一度でいいから、兄者に勝ってみたかった。ただ、それだけの話です」


 大きくしゃくれた、硝子の顎グラスジョーを撃ち抜き、ジオは、そう言った。


「……見事」


 K.Oされたザオは、ただ一言、そう、弟を讃えた。


※※


 シンジの首に剣を突き刺した瞬間、鋭敏な耳が、ジオたちの勝利の雄叫びを聞いた。

 命令主の城が落とされたのであれば、この里を滅ぼす意味もあるまい。

 この少年は、たった一人で“最強の駒”の足止めに、成功したのだ。

 その命を賭して。


「見事でした。旅人殿」


 少年をたおした剣を引き抜き、剣客エルフは踵を返す。


 ―――ドクン!


せん竜爪りゅうそう……そう


 ―――まさか。

 気付いたときにはもう、遅かった。

 ヌライムの家。床がヌルヌルだったことを忘れていて、足を取られたのだ。


大太鼓オオダイコ……ッ!!」


 剣客エルフに届き得る“牙”。

 竜槍歩兵の“鼓動”の力が、届いたのだ。


「……しばらく、痔に、なる、ぞ」


 その尻に、槍の穂先が刺さっていた。


 シンジは、最後の気力を、減らず口と致命傷になり得ない馬鹿げた攻撃カンチョーに使い果たすと、ずるりと滑るように倒れた。


 彼の名誉にかけて、断じて、ヌルヌルの床に滑ったからではないと強調する。


 剣客エルフは、今まで相対した中で最も弱く、最も粘り強かった敵の身体を抱きとめる。


「なるほど」


 エルフは、彼の傷を見て、シンジが生きているからくりを理解した。


 シンジは、一方的に攻められる中でも、ほんの少しずつ、じりじりと押し返していた。

 だからこそ、剣客エルフ必殺の一撃に、下がることができた。

 それが、薄皮一枚分、致命傷を回避したのだった。


 死地にあっても生き抜く覚悟。

 勝てぬと分かっても敗けぬ覚悟。


 いずれも、自らの命を塵芥ちりあくたより軽んずる剣客エルフにはできぬ心意気だ。


「私の敗けです。


 エルフは、自分の腕の中で、血まみれの死に体だというのに、どういう訳か、すやすやと寝息を立てている男を見て、艶やかに微笑んだ。


 その尻には槍が刺さったままで、止め処なく血が流れていたのだが。


※※


 翌日。夜。今日も賑わうシルキの町で、人影が足早に駆けている。


 見た目は、どこにでもいる中年の男。

 獣人でも、ゴブリンでも、人狼でもない、只人。

 表情には得体の知れぬ者から逃げ惑う焦りが伺える。


「ラース殿、どこへ行かれる」

「ひぃ!?」


 闇から迫る、剣客エルフの声と剣に、身を竦ませる。


「やはり只人でございましたか」

「い、いつから気付いていた……?」

「最初からでございます。わざわざ言うべきことではありませんでしたので」


 種同一性障害。

 偶然見つけた変化の指輪によって、獣人になれた男。


「しかし、所詮は只の人が姿を変えただけ。本物には及ばない」


 その言葉に、ラースは色を成す。


「お前も、俺を排斥したクソ亜人種共と同じことを言うのか。

 どこまでも、まがい物はまがい物だと!!」


 憤怒と哀切に歪むラースの声を、エルフは正面から受け止める。


「……それで、良かったのです」

「は?」

「まがい物はまがい物として、在るがままに生きれば良いのです。

 我らは誰も、『』ないのですから」


 エルフは、の受け売りの言葉を贈った。


「指輪を捨て、深く謝罪すれば、恐らく、“ナタクの里”は、あなたをさえ受け入れるでしょう。あそこは、そういう場所です」


 しかし、幼い頃より差別され、蔑まれ、貶められ、仲間だと思っていた獣人からも受け入れられず、性根から歪んでしまった男には、届かなかったようだ。


「どいつもこいつも、俺を馬鹿にしやがって……殺してやる、気味の悪い魔物もどき共も、オーク共も―――」

「……ふむ」

「亜人種なんているからいけねぇんだ。魔王を倒したのだって、只人の勇者率いる一党パーティだ。ホロギウムには、エルフも、獣人も、オークもいなくていいんだよ! だから、皆殺しにしてやるんだ! この俺がッ!!」

「あなたは、大恩ある我が主人を殺しましたね」


 狂乱の一人語りに、エルフの冷たい声が被さる。ラースが押し黙る。


「遺体を焼き尽くそうと、シルキの獣人警察の鼻は誤魔化せません。あなたには逮捕状が出ております」

「あ……あぁ……」

「それ以前に、?」


 剣客の目が、血の色に光る。


「ひぃぃ!!」


 地面を蹴る音がラースの耳に届いたとき、既に、それは彼の身体に突き刺さっていた。


「ぎゃあああああ!!!! いてぇ! なにこれ!? 抜いて! 抜いてくれぇ!!」


 剣客エルフは、尻にシルキの棒が突き刺さったままのたうち回るラースを見ながら、こう言った。


「黒幕ラース。の命により、あなたのケツを頂戴ちょうだいつかまつる」


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