10話 助けて下され……旅人、シンジ、殿

『はたしじょう

 はいけい おぞく の みなちん へ

 あした しろ に うかがい ます

 ちくび を あらって まっていて ください

 けいぐ 』


 致命的な誤字が数多くある『はたしじょう』を、ザオは握り潰した。


「よもや、下賤な魔物もどき共に、我らが取り囲まれるとは」


 少数の見張りを残し寝静まった深夜のうちに、戦いは始まっていた。


 凍てつくような夜の砂漠を、砂渡りスナザメで大きく迂回したコブリンたちに城の背後を突かれたのが、ケチのつけ始めだった。


 明らかな陽動作戦であったが、砂塵に紛れるように、妙な粉を撒かれ、配下の魔物たちが興奮し、言うことを聞かなくなった。


 仕方なくオーク兵による追手を差し向けるも、どうやら粉には強化バフ効果もあったらしく、あっさりと逃げられた。


 そして、正面切って突撃してきたジオ率いる里の者たちに取り囲まれ、今に至る。


ご気分はどうですかな。オーク頭領殿」


 我を忘れるほどの憤怒が、脳髄を支配しかける。だが、岩石のような頭に浮かんだ青筋をどうにかやり込めて、ザオは言う。


「それで、冥府への土産は決まったか、レッサーオーク」

「余計な血は流させませぬ。一対一の決闘にて、勝負を付けましょうぞ、ザオ殿」


 ジオが僧衣を脱ぎ、丸太のような腕と足を曝け出す。


「ふん」


 ザオも応じ、と、に力を込める。


「やっぱり、身体つきではレッサーちいさいジオさんは敵わないわね」


 オーク軍と魔物もどきたちが取り囲む簡易決闘場を遠巻きにしながら、フィアが顔をしかめる。


「レッサーオークよ。ガルオウ様不在の今を狙うとは、小汚いまがい物らしい所作よ」

「ザオ殿、死合しおう前に、一つよろしいか」

「なんだ?」

。我らは皆、騙されております」

「……そのような言葉に、この俺が揺れ動くとでも?」

「思いませぬ。ただ事実を申し上げたまで。貴殿方を統率する魔族などおらぬ故、この決闘が大将戦。お覚悟めされよ」

「ハハッ! 小さきオークが抜かしよる」

「いざっ!」


『あんなに大きいオークさん相手では、ジオさんだって勝てませんよぉ』


 フィアの背後にコソコソと隠れるようにしながら、マイトが泣き言を漏らす。


「まぁ、この姫さんが教えた秘策がはまるかどうかってとこだろうよ」


 フィアの金髪からひょっこり顔を出したラルも固唾を飲む。


「ラル、シンジさまは大丈夫なの?」

「……あいつ、『姫さんの方にいろ』なんて言いやがった」


 ラルは歯噛みしながら、こう絞り出した。


「ということは?」

「あいつはまた、死にかけやがる気でいるってことだ」


 直後、オークとレッサーオークのぶつかり合う爆発的な音が、城内に轟いた。


※※


 時間は、昨夜に遡る。


 ナタクは、頭の良いゴブリンだった。

 故に、略奪を繰り返す同族を見下していた。

 しかし、商売を始めると、ヒトからは見下された。

 誰も信用せず生きてきたから、金の切れ目に縁も切れた。


 そうして、苦労して成り上がり、分かりやすく思い上がり、当たり前のように堕落し、再び無一文となった頃だった。


 道端で、血に塗れ倒れ伏すエルフを見つけた。

 巷で、剣客として知られる者だった。


 助けた理由は、逃げてきた借金取りから身を守らせるためだった。

 用が済めば奴隷として闇に売り飛ばしてやろうと、その程度に思っていた。


 しかし、エルフの境遇を知り、放っておけなくなった。


 様々な魔物や死霊の魂を混成させて作られた、キメラエルフ。邪教の儀式。

 魔力はなく、定まった性別もなく、そもそもエルフですらない。異形。

 孤児のまま、己の剣技だけをたのんで生き続けてきた。剣客。

 意思がなく、命令がなければ何もできない。虚無に満ちた心。

 すべてから忌み嫌われ、自分自身に興味を持てない。


 まるで幼児のようにナタクに付き従うばかりのエルフに、彼は思った。


 自分のような者にしか頼れぬこの哀しい命を、少しでも幸せにしてやりたい。

 そのためには、この子に恥じぬような生き方をしていかなければならない、と。


 ナタクは変わった。ヒトを信じ、ヒトに信じられる商人に生まれ変わった。

 その過程で、同じような者に目をかけるようになった。

 いつしかそれは集落となり、ナタクの里となった。


 口さがない者は“魔物もどきの里”などと呼んだが、いつしかそれも定着し、蔑称ではなくなっていった。


 身体を悪くしてシルキの屋敷で療養することになった頃、レッサーオークの僧侶が里長代理を買って出てくれた。


 ヒトを信じていれば救われるのだと思った。


 だが、そればかりではなかった。


殿。この方の言葉は、私の言葉と思え』


 オアシスの水源が魔族に狙われていると分かった。


『承知しました。あるじナタク。よろしくつかまつります。ラース殿』


 ナタクは、頼るべきヒトを間違えてしまった。


『どうか、役立ててください、ラース殿』

『任せてくださいナタク殿。里のことは、このラースが、お守りいたします』


「いけない……戦っては、いけ、ない……ジオ、皆……」


 そこで、エルフの名を呼ぼうとして、ナタクは自嘲気味に微笑む。

 そういえば、あの子には、名前を付けなかったな。


「私は、騙され、て、いた……」


 名付けなかったのは、所詮は下卑たゴブリンでしかない自分の“子”となるより、自由に生きて欲しかったからだ。


「どうか、どうか……」


 ナタクは、息絶えるその瞬間まで、里の民と、剣客エルフのことを思っていた。


「助けて下され……勇……いや、旅人、シンジ……殿……」

「黙れ、死にぞこないのゴブリンが」


 その顔を踏みつけにする男の毛むくじゃらな足。


 人狼ウェアウルフなどいない。

 剣客エルフの言葉に、嘘偽りはない。


「あのに見つかったときは、ちょっと驚いたが」


 獣人ラースの指に、が光っていた。


「俺の描いた、絵図の通りだ……ククッ」


 黒幕の笑みはやがて、大きな哄笑に変わる。


「―――ふぅ。では、あの剣客に指示を出し、任務に向かうとするか」


 ひとしきり笑い終えると、卑劣漢はナタクの身体に変化して、彼の骸を火の魔法で焼き尽くした。


※※


 ジオとザオが決闘を始めたのと同時刻。


 空っぽになった里に、竜皮の鎧と地味な鉄兜、左には大盾、右には竜槍を持った少年が、剣客エルフを待ち構えていた。


「読まれていた、というところでしょうか」


 淡々と呟く剣客エルフ。

 臆病者は、不測の事態に大駒を動かしたがるものだ。

 そういった心性を、この歳若い、鎧姿の転生者に読まれた。


 だからといって、やることが変わるわけではない。


「勇者殿。お命、ちょうだいつかまつる」


 シンジは無言で、中腰になり、右手の槍を引き、左手の盾を突き出す。

 竜槍歩兵の基本的な姿勢。


「良い構えです。日々の鍛錬の賜物」


 剣客は、端的に彼の努力を褒め称えた。


「我がに及ぶべくはありませぬが」

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