9話 救った命に、殺しをさせるかよ
魔物とは魔王に与する者のことだと、先ほど書いた。
しかし、シンジに協力した
今、シンジとジオと対面するナタクもまた、そのような例外の一人だ。
使用人が五人も六人も動き回る屋敷の応接室。成金ゴブリンは、革張りの豪華な安楽椅子に座り、でっぷりと太った蛙のような顔に粘着質な笑みを貼り付けて、こう言った。
「ようこそいらっしゃった勇者殿。ジオ殿も、変わらぬ里長代理として申し分のない働き、まこと、感謝に耐えませぬ」
グフフフ、と笑う声は生理的な嫌らしさを感じないでもないが、白々しい、というには、いささか毒気を抜かれる丁寧な応対であった。
「……ナタク殿も、ご壮健のようで」
「初めましてナタクさん。俺はシンジ。シンちゃんと呼んでくれても良いですよ。あと勇者じゃなくて旅人なんでそこんところはシクヨロ」
ジオはどことなくぎこちなく、シンジはいつも通り、軽い挨拶。
成金趣味そのものなガウンを羽織ったナタクの脇には、メイドよろしく剣客エルフが控える。今は普段の軍服のような服を脱ぎ、簡素な平服だ。身体のラインがよく見え、いつにもまして性別が分からない。
「グフフ、こちらのエルフめがヒトを招くなど初めてのことです」
「申し訳ございません、ナタク様」
「責めているのではないよ。まったくお前は融通が利かなすぎる」
ナタクは、恐縮するエルフに、その腰をパンパンと叩きながら鷹揚に笑う。
主人と従者というより、まるで義理の親子のような雰囲気を思わせた。
「ナタクさん、このエセ宝塚エルフについて訊きたいんだけど」
「ヅカ……? なんでありましょうか」
シンジのおかしな物言いに虚をつかれつつ、ナタクが聞く体勢をとる。
「何でこいつに殺しを命じる」
「……そのことですか」
「アンタが救ったんだろう」
「成り行きでありましたが、そのようなことになりました」
「―――救った命に、殺しをさせるかよ」
「「……!!」」
その冷たい声色と眼光は、ジオの巨躯をぶるりと震わせ、剣客エルフに臨戦態勢を取らせるものだった。
「一言では、申し上げられぬ事情がございます。お前、もう下がって良い」
「はい、ナタク様」
言われて、何の疑問を呈することなく、剣客エルフが下がっていく。
その姿を見送り、ナタクは、はぁ、と深い溜息を吐く。
「あれも、なかなか不幸な身の上でしてな。剣によってしか、己を立てられません」
「しかしながらナタク殿、それにつけても我々の里を襲わせるのは
ジオの言葉に、ナタクは一瞬、呆けたような顔をした後、さっと青ざめた。
「それは、何かの間違いでは」
「何をおっしゃる!」
やおら怒声を発するジオ。
「この期に及んで知らぬ存ぜぬを決め込むおつもりか! 貴殿の謀略は、既に我ら見通し済みですぞ!」
「……ほう」
ナタクの表情から、薄くあった笑みが消えた。
算盤を弾く、冷徹な商人の目となった。
「ジオ殿」
そして、鋭く射貫くような声を発する。
「馬鹿な考えはやめるよう、里の者たちに言い含んでほしい」
「何を……!」
「私は、急用ができたので、これにて。シンジ殿、次は夕食にお招きいたします」
「おうよ」
「どうか慎重なご判断を」
「任せろ」
「やいシンジ、適当に返事してんじゃねぇ」
小人に頬をつつかれるシンジを見て、ナタクの口角が再びニタァっと上がる。
「その様子では、大丈夫なようですな。グフフフ」
豪商のゴブリンは、喉の奥で反吐でも吐くような笑い声を上げ、部屋を辞した。
「ふん、ナタク殿は、シンジ殿を侮っていらっしゃるご様子」
「ふむ……」
憤るジオとは対照的に、シンジは、思案深げに一声唸る。
「シンジ殿、如何しました」
「いや、何か、思ってたんと違うっていうか」
「はぁ? よもや、今さら臆したとでもいうおつもりか?」
「ジオの方こそ、なんか熱くない? インテリオークさんなのに」
「む……」
ジオは、何らかを見透かすようなシンジの目に、たじろいだ。
「もうひとっ風呂、いっとく?」
「……お供いたします。拙僧からも訊きとうことがございます」
「なに?」
「先ほどの苛烈な憤り。シンジ殿も、誰かに命を救われたご経験が?」
「……うん。命っていうか、人生を救ってもらった」
「その恩人は、今、シンジ殿がいらした異世界におられるので?」
「元気になって、元気にやってる。恩は、返せた、と、思う」
「それは結構」
いつになく歯切れの悪い少年の声を聞き届け、レッサーオークのしゃくれ顔が、優しい微笑みを作った。
帰りしな、屋敷の門前で、見送りの者がいた。
「剣客殿」
「ヅカちゃん」
シンジからの呼び名がいよいよめちゃくちゃなことになっているが、怒ったり突っ込んだりもせず、剣客エルフは平静と同じく、事務的な口調で言った。
「あそこには、人狼なぞおりませぬ」
「はぁ?」
ジオが、素っ頓狂な声を出す。
シンジは無言でその言葉を受け、シルキの夜空を見上げた。
「では、失礼いたします」
「ちょ、少し待たれぬか剣客殿!」
「ナタク様に、この屋敷から動くなと命じられましたので」
ジオの静止も聞かず、足早に去る剣客エルフ。
「指示待ちエルフの癖に頑固だよな、あいつ」
「シンジ殿はゆったりし過ぎではありませんか?」
「いや、むしろ点と点が繋がった気がする」
「なんと」
ジオが目を見開く。シンジの「なんにしても、明日だ」の声を聞いた。
その後、また岩風呂で汗を流し、じっくり話し合った二人。
翌日。決戦の日がやってきた。
※※
翌日の早朝。剣客エルフは、主人ナタクの声に呼び出された。
「エルフよ。里を潰して参れ」
「承知いたしました」
指示は端的。そして、返答も短いものだった。
「ふん、汚い字で、ガルオウ殿の城に“はたしじょう”など送り付けよって。あのふざけた勇者もどきの仕業であろう」
言って、蛙のような顔を憤激に歪める。
「気味の悪い魔物もどき共が調子に乗りよって。この帝国の汚点。シルキの汚物。必ず皆殺しにして―――」
剣客エルフは、出立の準備を整えながら、彼に訊く。
「ところで、あなたはなぜそのような格好をしておられるのですか」
ナタクの顔から薄笑いが消え去る。
「よもや、その程度の変装で、我が目を欺けるなどとお思いですか、ガルオウ殿」
ナタクを装う顔に冷や汗が浮かぶ。
その指には、光るものがあった。『変化の指輪』。
辛うじて、と言った風に威厳を保った声で、彼は言う。
「それが、貴様に与えられた命令と何のかかわりがある?」
「……行って参ります」
そうだ。今は姿の見えぬ主人はおっしゃられた。
『この方の言葉は、私の言葉と思え』
と。
ナタクは、昨夜でかけたきり、帰ってこないままだった。
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