16話 一億パーンチ

 転生者シンジの実質的な初戦は、善戦、といってよかった。


「魂にも寿命があるからな、使いたくなかったんだけど」


 すべてが圧倒的に勝る死霊魔術師ネクロマンサーに、自らの魂を削ることで放つ切り札を使わせたのだから。


「ま、言っても数万年分の数年だけどな」


 だが、結果として、精神に直接作用する攻撃でシンジの心臓は止まり、倒れ伏すことになった。


「お前は厄介な敵だった。シンジ・アサキ」


 それを見下ろすジョンが、薄ら笑いの賛辞を贈る。

 司令塔と攻撃手を失ったからか、亡霊とサラマンダーも、どこかに消えた。


「さて、行くか。さすがに、アキマと戦争すんのは厄介だしな」


 しかし、腹立ちの収まらない下劣な勇者は、少年の遺体を踏みつけにすることを優先事項とした。兜を剥ぎ取る。外傷はそうない、土気色の肌。


「俺をコケにしてくれた礼だ」


 言って、土足でその顔を踏もうとする。


「させねぇぞ」


 が、その懐から、もぞもぞと這い出してきた小さき妖精が、その短い手足をいっぱいに広げて、蛮行を阻止した。


「お前、何で生きてる」


 ジョンは、ラルを踏み潰す前に、訊いておこうと思い立った。微かな魔術の巻き添えでも、食らえば死んでしまうのが小人妖精である。なにかからくりがあるのなら、知っておかねばならない。


「シンジが、おいらにをかけてくれたんだ」


 ラルが言い終えた瞬間、割れた地面のそこかしこから、死んだはずの騎士たちが這い出してきた。そして、いなくなったと思っていたサラマンダーも。彼らの口には、小分けにされた水袋が咥えられていた。


「蘇生の、聖水だと?」


 くくっ、と、ジョンは喉を鳴らし、ややあって、たまりかねて笑いを爆発させた。


「あはははは!! なにやってんだ、この餓鬼ジャップは! こんなチビを? 役立たずの兵士どもを生き返らせてどうするってんだよ、おい!?」

『シンジが我らに言ったのだ』


 初代シル・アキマの霊が笑い続ける男に言った。


『傷つき、瀕死に陥った者がいれば、使え、と』

『我々には実体無き故、魔物サラマンダーたちに頼んだ』

『知っているか、ミリク二世。シンジがホロギウムにやってきたのは、親友の命を助けるためだと』

『その代償として、自分の世界のすべてを失ってきたことを』

『その身を賭してでも、誰も死なせない。彼はその矜持きょうじを、ここでも果たしたのだ』


 歴代の王たちが次々とジョンに言い立てる。


「誰も死なせない、か。くくっ、―――アハハハハ!! バカじゃねぇの!? 英雄気取りで、テメェが死にやがったってか!!」


 しかし、なおも哄笑こうしょうは止まず、より一層鳴り高く響いた。


『彼の覚悟を知ってなお、嘲笑あざわらうか』

『堕ちたな、勇者ミリク二世……いや、もはやその名で呼ぶのも汚らわしい』

「うるせぇな。今からこのヒーローさんが生き返した奴、全員ぶっ殺してやるから待ってろ亡霊ども―――ん?」


 ジョンの行く道、シンジの前。


「なんだ、お前ら、死体の前に集まりやがって」


 生き返った騎士たちが立ち塞がっていた。


「ただでは済まんぞ、偽物の王め」

「彼に救われた命、決して無駄にはせん」

「せいぜい時間を稼がせてもらうぞ、堕ちた勇者よ」

「真に勇気ある者はシンジ。彼の勇気は我らが受け継ぐ。さぁ、かかって来い」


 完全に傷が癒えたわけではない者もいる。だが、彼らは命の続く限り戦うつもりだった。


「……ちっ」


 その覚悟さえ、ジョンにとっては嘲笑の対象であったようだ。


「めんどくせ」


 ジョンは醒めた調子で呟くと、空高く舞い上がり、彼らの頭を超えていった。


「逃げるか! 卑怯者めが!!」

「あとで遊んでやるよ、愚図ども」


 思っていた以上に、シンジに時間を稼がれたことによる焦りもあり、ジョンはそう言い残すと、弾丸のように走り去っていった。


※※


 騎士と魔物と亡霊と、小人が囲む一つの亡骸なきがら


「シンジよ、なんでおいらなんかを助けてくれたんだ?」


 ラルは、物言わぬ少年に尋ねた。

 今にも死ぬその一瞬に、迷わず自分を差し置いて、小さな命を優先した。


 それ以前に、次なる殺人さえ防いでいた。


 騎士たちの命も救ってみせた。

 自ら最前線に立つことで、魔物さえ一体も死なせなかった。


 どうしてそこまでのことをしたのか、できたのか。


 その答えは、当然、返ってこない。


『ラル……』


 落ち込むラルに、リラの声。


『わたしたち、“恩返し”をせねばなりませんね』

「……そうだな」


 以前語ったように、ホロギウムの小人妖精は、脆弱ながら、長命である。

 ホロギウムが世界針によって創られ、七億年と言われている。

 小人妖精は、その創成期からこの世界にいる種族だ。


「勇者シンジよ」


 小人妖精ラル。年齢・


『弟を救ってくれてありがとう。私たちが生まれてから今まで“呼吸”してきた魔力を、すべてあなたに与えます』


 その姉リラ。年齢・


 寿命数万年の魂などより、ずっと永い生命の持ち主。

 それが、ホロギウムにおける小人妖精という種族である。


「おお……!」

『これが、神話にある小人さまの力』


 騎士や霊たちがざわめく中、シンジの蒼白の顔に、生気が戻っていく。


 二つの魂が。

 の魔力が。

 命を救われた“恩返し”として、シンジの身体に注がれた。


※※


 ―――もう少しだったのに。


 フィアは奥歯をぎりぎりと噛み締めながら、兄の身体をした元勇者ミリク二世と、対峙していた。


 城下町まで、あとほんの少しであった。


「よう、ブラコン姫様」


 年齢にしては、言葉遣いの幼い男が、大好きだった兄の顔で、見たこともない下衆な笑みを張り付けている。


「あなたの勇者様は、お亡くなりになりましたよ?」

「……!」


 ヘラヘラと笑いながら言ってくる。息を飲むフィアやラキィたち。


 しかしながら、

「は? なんじゃって?」

 ベンがとぼけた声を出す。


「耳が遠くなられましたか、ミリク二世殿」


 彼は一人、に気付いていた。


「あ? それはテメェだろ―――」


 瞬間、飛んできた槍に、ジョンの頬が抉れる。


「……へ?」


 間抜けな声が漏れる。


「―――ぉぉぉぉ」


「おい?」


「―――ぉぉおお」


「おい!」


「おおおおお!!」


「なんでッ!? 生きてやがるんだ!!」


 竜皮の鎧、背には大盾、無骨で地味な兜を被り、風を音より早く駆ける者の姿が、ジョンにも捉えられた。


「うわああああ! また死ぬだろうがァ!」


 小人妖精に文句を言われている。


「まさか……ありえない……!」


 それは二つの意味がある。

 彼が生き返ったこと。

 シンジが、明らかに自分ジョンより強いこと。


「ひっ!?」


 冷や汗を滝のように流し、情けない悲鳴を上げるジョンの前に、シンジがやってきた。


「よう」

「お、おい、話し合おう。この国を二人で収めようじゃあないか」


 絵にかいたような三下しぐさを取る悪党に、シンジは篭手をぐっと握り込む。


「ぶっとべ」

「……


 誰よりも命を弄んできた者が、命乞いを始めたときには遅かった。


「一億……パーンチ!」

「なんだその技名は……!! ぶほぉ!?」


 ダサいネーミングの正拳は、ジョンを一撃で遠くへ殴り飛ばした。

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