第8話 入学式前
入学式が執り行われる会場へと向かう最中、私の目は、それはもう泳ぎまくっていた。
新入生代表として、挨拶。
まさかこんなことになるとは思いもしなかった。確かに入学試験の出来は、七哉兄さんのスパルタ教育の効果で満点に近い出来だったが、それでも私がトップの成績を修めるとは。
「呼ばれたら、大きな声で『はい』、大きな声で。……んで、そのまま壇上の前まで行って、紙に書かれた文章を読み上げる」
文章はあらかじめ学校側が用意したものを読み上げればいいらしいが、しかし、それでも大勢の前に立って話すのには変わらない。
「う」
新入生、在校生、教員、保護者、御来賓の方々の注目が一斉に私に注がれる……その光景が頭に浮かんで、私は口元をおさえた。
緊張すると、大抵こうして気分が悪くなる。基本的に、私は小心者なのだ。
朝の時のように、たまに思い立ったように突飛な行動は起こすくせに、だけれども。
「あ、あの……」
「あの担任、なんていい加減なヤツ……七哉兄さんの爪の垢を煎じて飲ませてやりたいよ」
「えと、あの、な、七原さん……」
「ん?」
つんつん、と控えめに肩をつつかれて、ようやく私は誰かから声をかけられているのに気づいた。
小柄で、眼鏡をかけた、みつあみお下げの女の子が私の顔を覗き込んでいる。
「えっと、同じクラスの……」
「はい。し、静原といいます。気分が悪そうだったので、つい気になってしまって……お手洗い、行きますか?」
「大丈夫。でも、ありがとう。心配してくれて」
「あ、いえ、そんなっ……」
目をそらして、わたわたと小さく手を振る静原さん。外見もそうだが、立ち振る舞いも大人しい子そのものだ。あと、とても優しそう。
「あの、ところで、なんですけど」
「うん」
「……藤乃さん、さっきからずっとこっち、というか七原さんのほう見てるみたいですけど、お知り合いですか?」
「……ううん、全然赤の他人」
そして、私に無言のプレッシャーをかけんとじっと睨みつけてくる黒髪ロング、もとい藤乃朱音さんが背後にいる。
それまで私のことなんか気にも留めていなかったのに、矢沢先生が私に成績トップを告げてきた途端、なぜか急に私のことばかり見るようになったのだ。
もしかしたら、成績トップの座を取られたのが悔しかったのかもしれない。なんとなく、そんな印象を受けた。
「ねえ、静原さん。ちょっとお願いがあるんだけど、いい?」
「え? あ、えと、はい……私に出来る範囲でなら。……なんでしょう?」
戸惑いながらも、静原さんは了承してくれる。
ほぼ初対面の子にこんなことお願いするのもなんだが、しかし、今、私に頼れる人は少ない。
「その……手、握ってもいいかなって」
「手、ですか?」
「うん。私って緊張すると手が冷たくなっちゃうから、ちょっとだけあっためてもらおうと思って」
入試の時も、そうやって緊張を和らげていた。相手は大抵兄たちだったが、今はいないので、誰かに頼むしかない。
「ダメ、かな?」
「いえ、そんなことは……ど、どうぞ」
戸惑いながらも、静原さんはおずおずと両手を差し出してくれた。
やっぱり、この子はとても優しい。そして、仲良くなれそうだ。
一人でこの高校に入学してまず心配していたのが同性の友達だが、その懸念は早く払拭されそうでなによりである。
「じゃあ、失礼します」
私はそっと静原さんの手を取る。静原さんの手は汗でちょっとだけ湿っていたけれど、私の緊張を解きほぐすには十分だった。
「……ふう、ちょっとだけ気分が良くなった気がするよ。ありがとう」
「そ、そうですかね……でも、お役に立てたのなら、よかった」
ぎこちなさげに、静原さんがはにかんだ。
そんな彼女の姿を見て、私は何の気なしに呟く。
「静原さん、小っちゃくてかわいい……」
「え、ええっ……!?」
これまで聞いた中で一番大きい声で、静原さんが呟きに反応する。
「あ、ごめんなさい。つい反射的に心の声が漏れちゃって……でも、そんなにびっくりしなくても」
「わた、私こそ……その、そんな風に、かわいいとか、誰かに言われるのって、初めて、だったので」
そうだろうか。見た目は確かに地味めだが、しっかり見れば顔は整っているし、それこそ私なんかより全然可愛いと思うのだが。
「おーい、七原ぁ。女とイチャってないで、さっさと整列しろ。そろそろウチのクラスの入場だぞ」
「いっ……イチャってなんかないです!」
この担任、なんて言いがかりを。それじゃあ私が男みたいじゃないか。
勘違いされたかもしれないが、これは私にとってはただのスキンシップでしかない。兄たち相手にいつもやっていることで、七原家では普通のこと。
「ごめんね、静原さん。じゃあ私、先頭みたいだから」
「う、うんっ。その……が、頑張ってください」
いったん静原さんと別れ、私は列の先頭に戻る。
それはさておき、背中に感じていた強い視線……一つから二つへと増えたような。
気のせいだろうか。
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