第6話 宙を舞う私

 私のお父さんとお母さんが亡くなったのは、いまから10年前の、私が5歳のころ。


 原因は交通事故だ。


 随分後になって兄たちに聞いたところによると、事故は本当に不運なものだったらしい。大雨の日にスリップしてハンドルの利かなくなったトラックが、猛スピードのまま、交差点で待つ二人をはねたのだ。


 もうすぐ迎える私の誕生日に備えて、私に内緒で二人でプレゼントを買いに行っていた時の出来事だったという。


 まだ5歳だったから、両親の葬儀のことはあまり記憶にない。ただ、その時、泣きじゃくっていた三人の兄を見て、『私が頑張らなきゃ』と思ったことだけは覚えている。


 反抗期がほとんどなかったのは、多分、その記憶が残っていたからだと思う。あと、三人の兄の役割がはっきりしていたのも大きい。


 父がわりの七哉兄さん、まさしく兄の役割を果たした七美兄ちゃん、そして、友だちみたいな役割の七希。三人のうち一人と雰囲気が悪くなっても、後の二人がしっかりとフォローしてくれた。年齢が5歳ずつ離れていたのもよかったと思う。


 そして、お金について。


 学費や部活など、私にかかるお金のすべては、兄たちの収入で賄われている。七哉兄さんと七美兄さんは勉強や運動と両立しながら仕事をしていたし、七希は、今の私と同じ15歳の時に商業デビューを果たしている。中卒で、高校には行っていない。


 これでどうやって、反抗しろというのだろう。


 こうして節目の時が来るたび、私はそのことを思い出す。



「……七香ちゃん、七香ちゃん?」


「え?」


 ぽんぽん、と肩を叩かれ、私はようやく現実に引き戻された。


「ほら、駅。着いたよ」


 美嘉さんが親指で最寄り駅を指し示している。どうやら、ぼーっとしている間に到着していたらしい。


「――っと、どうもありがとうございます。兄の面倒もあるのに、私まで世話してもらっちゃって」


「このぐらいお安い御用さ。それじゃあ、また入学式でね」


 ひらひらと手を振って颯爽と去っていく美嘉さんの乗った赤いワーゲンに、私はペコリと頭を下げた。


 美嘉さんにはいずれ何らかの形で恩を返したいと思う。


 色々な人に支えられて、私は運がいい。


「さて、とそろそろ電車の時間かな。初日から遅刻なんてシャレにならないし……」


 急ぎ足で、駅の階段を上っていく。スカートが短いので、そのことに注意を払うのも忘れない。


 ちょうど通勤通学の時間帯なので、私と同じような子たちは何人もいるが、みんなそれを自然に、友だちと楽しげに会話しながらやっている。私なんかスカートの裾を抑えるだけで精いっぱいなのに。


 女子高生、なんというマルチタスクの鬼。


 階段を登り切って、ふうと一息つく。あとは電車にのって、高校の最寄り駅まで揺られるだけだ。降りてからのことは、ひとまず忘れよう。


「――ん?」


 何の気なしに、下の交差点を見下ろした。タクシーやらバス、大型トラック、送り迎えの乗用車などひっきりなしに行き交う場所。信号の前には多くの人たちがいるのだが、その中で、気になる子を見つけたのだ。多分女子高生。制服が違うので、他校の生徒である。


 車道と横断歩道の境目ぎりぎりに立って、視線はスマホで耳にはイヤホン。映像とか音楽でも聴いているのか、頭が小刻みに揺れていた。


 危ないな、あの子――。


 嫌な予感が胸をよぎった瞬間、異変が起きた。


 一つ手前の赤信号を無視して、交差点に猛スピードで進入しようとする乗用車が現れたのだ。


 操作を誤ったのか、はたまた運転手に異変が起きたのか。信号待ちをしている車列の間に無理矢理車体を滑り込ませていく。


 異常に気付いた歩行者たちはガードレール側へと非難していくものの、その子はスマホに夢中で気づかない。


「――――」


 瞬間、私は階段の柵を飛び越え、その体を宙に躍らせた。


「――ふっ!」


 手すりを足場にして階段の支柱に飛びつき、部品の出っ張りを利用しながら軽い身のこなしで下に飛び降りる。階段を普通に降りると、距離的に間に合わない。


 無茶をした反動で足首やら膝やら腰やらに強い衝撃が走るが、その点についてはある理由によって、大変鍛えられているので大したことにはならない。


「ひっ……!」


 案の定向かってきた暴走自動車に、ようやく女の子が気づいた。だが、突然のこと過ぎて思考が停止してしまっているのか、動けない。


 まっすぐ女の子に向かう自動車との距離、およそ10メートル。


 衝突の予感に、どこかから女性の悲鳴が聞こえた――。


「そこの君っ!」


「え――」


 私の声に気づいてこちらに顔を向けた瞬間、私は女の子を抱き着いてそのまま横っ飛びで緊急回避する。


 直後、私と女の子がいた位置を乗用車が通り抜け、激しい衝撃音とともに、ガードレールにぶつかって停止したのだった。


 間一髪で、救助は成功した。


「え? あ、あの――」


「このバカッ!」


 私は女の子の胸倉をつかんで、叱責する。


「なんであんな場所で目も耳も塞ぐような真似するんだよ! いくら交差点で歩道にいても、安全だなんて限らないんだよ!」


 赤信号だから、車は止まるだろう。車が道路にぎちぎちに詰まっているから、こちらにまで危険は及ばないだろう――多分そうやって、私の両親は死んでしまったのだ。


 ありえないことが起こる。それが事故だ。


「君、今いくつ?」


「え? あ、あの、15歳……」


「そんな歳で死んだら、残された家族は死ぬほど悲しむよ。ずっとずっと後悔が残ったまま生きていかなきゃならない。そのこと、君は想像したことある?」


 ふるふると、女の子は首を振った。


 こんな名前も知らない初対面の子に説教するなんて、私も相当頭のおかしい人間だ。でも、事故で両親を亡くしてしまった境遇のこともあって、どうしても言いたくなってしまった。


「えと、その、ごめん、なさい……?」


「っ……」


 とんでもない失礼を働いたことに気づいたのは、女の子が私へ謝罪してからだった。


 しまった。この女の子と私は何の接点も無いのに、感情が先走ったせいで胸倉をつかんだり怒ったりして。


 周りの視線もこちらに注がれているし……ああ、私はなんて恥ずかしいことを。


「え、ええと、その――とにかくスマホとイヤホンは危なくないところでやれって、私が言いたいのはそれだけだからっ! それじゃっ、私、学校あるから!」


「えっ、あの……」


 ぼーっとしてる女の子を置いて、私は一目散にその場から離れていく。


 そういえば、ずっとスカートのひらひらを気にしていなかったのを、今更ながらに思い出した。多分、飛び降りた時点で、誰かに絶対丸見えだったはず。


 入学初日から、私のお淑やかJK生活は早くも暗礁に乗り上げようとしていた。

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