第5話 行ってきます

 早めに学校に行かなければならないというユズを送り出し、それから七希を仕事部屋にぶち込んだ後、


「ふう……よし、行くか」


 パチン、と軽く両頬を張って、私は新生活の第一歩を左足から踏み出す。


「友だちとか恋人とか、これからいい出会いに恵まれますように……!」


 試合でコートに入るとき、必ず左足で白線をまたぐという七美兄ちゃんのゲン担ぎに倣ったものだ。受験の時は、それでうまくいった。


 学校指定のローファをつっかけつつ外に出ると、門の前に、赤いワーゲンと、それからパンツスーツ姿のくわえ煙草の女の人が立っていた。


「あれ? そこにいるのはもしかして島袋さん?」


「だね。おはよう七香ちゃん」


「おはようございます」


 どこぞの漫画かドラマかの世界にでもいそうなモデル体型の女性は、タマブクロ、じゃなくて、島袋美嘉さん。出版社の人で、七希の担当さんだ。


 出版社からウチまで結構近いらしく、こうして締め切りになると原稿を取りに来てくれるのだ。七希が逃亡しないための見張りもかねてだろうけど。


「黄七先生は? まだ?」


 七希のペンネームだ。一般でも成人向けでも、七希は名義を分けることなく活動している。


「はい。後少しかかるって言ってました」


「なら、後一時間ってとこかな。……ところで七香ちゃんは高校の入学式かい? 随分と見違えたじゃないか」


「へへん、どうですか? かわいいでしょう?」


 にっこり笑って、私は美嘉さんにピースをする。


「うん。私の妹に来て欲しいくらいだ。90点」


「そこは普通に100点じゃないんですか?」


「100点にしちゃうと、私は今すぐ七香ちゃんを押し倒さなきゃいけなくなるからね。取引先の妹のJK(15歳)に手を出して、国家権力のお世話になりたくないし」


「そこまで自分の言葉に責任持たなくていいのに……」


 外見だけだとものすごいバリキャリなわけだが、こうして会話していると、やはり七希兄さんの担当さんなのだなと強く思う。さすがエロ漫画の編集さんだ。


「……おい、俺の妹になにをしている妖怪タマブクロ二十八歳独身。貴様は昨日、編集長にアルコールの海に落とされたのではなかったのか」


「あんな浅瀬じゃ私は溺れませんよ。それはさておき、今日の朝まで締め切りの店舗別特典、4店舗分各8Pずつのおまけ漫画のほうは描きあがりましたか?」


「……あと2ページじゃボケ」


「では、早くやってください。その間に、私は七香ちゃんを最寄り駅まで送っていきますから」


「え? いいんですか?」


「もちろん。それに大事な大事な妹を人質にとっておけば、黄七先生も仕事をやらざるを得ないだろうし」


「テメエ、この○○〇〇野郎……」


「ならさっさと終わらせてくださいね。この××××野郎」


 もう名前の原形がなくなっている。というか二人とも、一応乙女の目の前なのだから気をつかってほしい。


「さ、行こうか七香ちゃん。大丈夫、悪いようにはしないから」


「そのセリフ、よく兄が見せてくるページ少なめの本で読んだことがあるんですけど」


「気のせいだよ。それに私たちの本はちゃんと分厚いからね」


 それ、答えになってない気がするのだが。


 と、そんなこんなでそろそろ電車の時間に差し掛かってきた。車なので、まだ余裕はあるが、これ以上もたついていると乗り遅れてしまう。


「それじゃあ、行ってきます。あ、外に出るときはちゃんと戸締りしてね。それから、入学式の時は写真撮りまくらないこと」


「大丈夫、ちゃんと全部の鍵は閉めるさ」


 ついでに写真のほうの約束も頼む。多分、美嘉さんが付き添うはずから大丈夫とは思うけど。


「……あ、それと、その、お父さんとお母さんも」


「心配するな。それはすでに俺の鞄の中だ」


「うん」


 こういう節目の時、必ず兄さんたちが連れてきてくれる。


 六人で、私たちは家族なのだ。


「さ、行こうか七香ちゃん。かっこいいところ、天国のお父さんとお母さんにしっかり見せてやろうぜ」


「……はいっ」


 美嘉さんがぽんぽんと私の頭をやさしく叩く。少し泣きそうになったけど、今はまだ我慢だ。


 私としては可愛いところを見せてあげたいのだが、まあ、ウチのお父さんとお母さんなら、どっちでも笑顔でいてくれるだろう。


「お父さん、お母さん。いってきます」


 美嘉さんの運転するワーゲンに揺られつつ、私は家の玄関を眺めながらそう呟いた。

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