終焉の魔王(8)

「興味は薄いかもしれないけど、トップアスリートの動向のニュースを見たことあるよね?」

「あるし。すっごく有名な選手に限られちゃうけど」


 確かにジェイルの切り出した内容はニーチェにとって興味の乏しい分野ではある。彼女が女性であることも含め専門分野が声楽という芸能である以上、どうしても目を惹かないのが事実。メジャーな選手なら知っているレベルに過ぎない。


「彼らは栄光の時を過ごし名誉を手に入れる。その後も権威として意見を尊ばれるね?」

 わりと一般論でニーチェも安心した。

「それはもちろん。だったら声楽家でも一緒だから分かるし。オネストおじさんみたいな話でしょ?」

「確かに。でも君の得意分野と彼らの世界では大きく異なる部分がある。それは選手生命、現役でいられる期間が短いこと」

「お? 本当だし」

 改めて言われると大きな違いだ。

「多くのアスリートは若い頃に身体的なピークを迎え、その後は衰退していく。同じパフォーマンスは困難になっていくんだ」

「それも分かるし。可哀想だけど」


 声帯も衰退しない訳ではないが、筋力などの身体能力に比べれば強靭な器官になる。十代後半で得た声質は努力次第で六十~七十代くらいまでは維持できる。声量となると難しいが、それでもかなりの期間維持可能。

 スポーツではそうはいかない。身体能力のピークは二十代までで、その後は確実に衰退の一途をたどる。それくらいはニーチェも知っている。


「トップアスリートとなると努力も半端ではないんだろうね。身体的ピークを過ぎても、そこから円熟味を増した技術でパフォーマンスを維持しようとする。それはそれで見応えがあるものだね」

 ジェイルの言葉には努力に対する敬意が含まれていた。

「うん、いっぱい考えるんだろうし、大変だと思う」

「それでも限界はくる、どんな人にも分け隔てなく。無情なれど現実」

「嫌いな競技を選ぶ人はほとんどいないだろうから悔いはないと思うし」


 ジェイルはデスクを軽く指で弾き、トンと音を立てる。その辺りが話の流れの核心らしい。


「そこなんだ」

 彼女も傾聴する。

「選んだ競技に悔いはないし、選手生命の長さも勉強していると思う。退くのに不本意な点はないと第三者的には感じてしまうよね?」

「うんうん、若い頃にすっごく頑張ったんだから、厳しくなったら休んでもいいんじゃないかって思うし」

「ところが彼らは自分のフィールドに対して強い執着心を見せることが多い。もう絶対に無理ってところまで頑張ろうとしてしまう。不思議に感じないかい?」

 それは共感できる話だった。

「十分頑張ったから、スパッと辞めちゃってもいいって思ったことあるし」

「何がそうさせるんだろうね? 僕は成功体験だと思っている」

「成功体験?」

 聞き慣れない単語だが意味は分かりやすい。

「勉学では有効な手段なんだ。意欲に繋がるから。ところがスポーツの分野だと、ピーク時に感じた栄光や手にした名誉は中毒性があるらしい。成功が彼らに執着心をもたらしてしまうと僕は思っている」

「ほんとだ。そう言われると納得できるし」


 やっと話の流れが見えてきた。ジェイルはアスリートの行動に例えて、栄光や名誉の弊害を論じていたのである。


「彼らのように一本気な人間でさえ過去の栄光を捨てられない。ましてや栄光を背景に権力を手に入れてしまった人間は言うに及ばないと思わないかい?」

 ライナックを揶揄している。

「パパの言う通りだし。執着心は並外れてるかも」

「捨てろというのは難しいよね。生まれた時から手にしている栄光に、その身をどっぷりと浸してしまっている彼らでは」

「もしかしたら、自分の執着心の元さえ忘れてるかもだし」

 自分に当てはめて考えてみる。

「共存案は名誉欲や権威への執着は満たすかもしれない。はたしてそれで満足するだろうかと思うんだ」

「難しいかも」


 栄光は手放さねばならない。人は元から持っている権利を手放したがらない生き物だとニーチェも分かっている。


「きっと取り戻そうとするだろうね。例え法的に政権を担う地位に就けなくとも発言に影響力は残している。民主的な選挙を行おうとも、発言力を利用して票に繋げようと考える不届き者は必ず出てくる」

「そうなるとライナックはまた裏からゼムナを牛耳ろうとするし」

 ジェイルは頷く。

「いわんや、参政権に飽き足らず名誉職まで奪って底辺で生きろと言って納得する相手でもない」

「それは絶対に耐えられないし。底辺に居たあたしだから断言できる」

「そこに行きついてしまうんだよ」


(残してもダメ。奪ってもダメ。それなら排除してしまうしかないし)

 ニーチェも同じ結論に至る。

(未来に禍根を残したくなければ力で退場させるしかない。剣王もパパもそれが分かっているから、経歴への傷が少ない共存案なのにいい顔をしなかったんだ)

 胸にストンと落ちる。


 彼女は気付いた。アスリートになぞらえた話はゼムナという国にも当てはまるのだというのに。

 開拓惑星という若い国であるゼムナが早くに栄光を手にしてしまった。人類圏のトップに躍り出たのだ。ならば衰退も早い。リセットを試みなければ生き残るのもままならない、のっぴきならないところまできてしまっているのだと。


(あたしってば子供だし。パパのことしか考えられないでいた)

 反省しきりだ。


「一度、リセットしなきゃ」

「それは僕たち大人が考えなければならなかったんだけどね」


 苦い面持ちのジェイルを、ニーチェは手伝う意思を込めて見つめた。

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