第十六話
善悪の向こう側(1)
奇襲の失敗を覚った刺客は長い金色の髪を扇のように舞わせた。幻惑する金糸の向こうから蹴りが跳ね上がってくる。身体を回転させてストロークを稼いだ強烈な蹴撃。
手の平で受けたジェイルはそのまま足首を捕らえようとするが、すぐさま引き戻される。床を蹴って諸手突きが顔の両側へと飛んできた。読んでいた彼は両手首とも掴み取る。
「く……」
「こんなものかね?」
体重をかけて引き戻そうとするところへ踏み込む。沈もうとする刺客の身体を両腕で引き上げ、右腕一本を奪うと脇をすり抜けて背後へ。
捻った右腕を背中へ押し付け、左肩も羽交い絞めにして動きを抑え込んだ。もがく体は渾身の力を込めてくるが、完全に決まっている状態なので抜け出すのは困難だろう。
刺客は止めていた息を苦しげに息を吐き出した。
◇ ◇ ◇
「……はぅん」
「だから無理だって何度も言ってるし」
捕まったヴァイオラは吐息を漏らした。
(でも、この体勢がちょっといいんだもん)
スキンスーツ越しに微かにケイオスランデルの体温が伝わってくる。彼女の中では背中から抱き締められているように感じているのだ。
「なに、顔赤くしてんだよ。変態か!」
マシューが胡乱な目付きでヴァイオラの趣味を問う。
「黙んなさい、ゴミクズ! わたしは魔王様とのコミュニケーションとスキンシップを楽しんでるの」
「一方的に取り押さえられてるだけじゃん」
「そう見えるのはあんたが子供だからなの!」
彼は「やっぱり変態だ」と舌を出している。
「いささか過激なスキンシップだな」
「でしょー? ヴァイオラったらツンデレだし」
「違うのー!」
魔王にまで嘆息混じりに言われるのは心外だった。
彼女は幾度となく奇襲攻撃を繰り返している。あの手この手で狙うが、いつも取り押さえられて終わっていた。
別に暴力的なスキンシップではない。狙っているのはケイオスランデルのヘルメットギア。ヴァイオラはそれを剥ぎ取って素顔を拝もうとしているだけなのだ。
「諦めないよねー。絶対に無理だって言ってるし」
ニーチェにはいつも否定される。
「いつでも魔王様の素顔に触れられるニーチェに言われたくないもん!」
「必要ないのはほんとだけど、あたしだってパパのギアを奪うのは無理だって言ってるの。敵う訳ないし」
「閣下にあしらわれるだけだろうな」
マシューも肩を竦めるだけ。
解放されたヴァイオラは頬を膨らませて見上げる。赤いセンサースリットは冷たい光を放っているだけだが、口元は少しほころんでいるように思えた。
「特に君では無謀な挑戦だろうな、ヴァイオラ」
窘められる。
「魔王様まで」
「マシューでも無理であろう。無造作に踏み込んでくるだけなら対処のしようは幾らでもある。逆にくみしやすいタイプだな」
「オレは魔王様に挑もうなんて馬鹿な考えは持たないから」
少年っぽさが抜けきらない
「ニーチェならば結果は分からない。感情が昂り冷静さを欠くほどに動きが鋭くなっていく者などなかなかお目に掛かれない。非常に読みにくい相手だ」
「えー、あたしがパパに闘志を剥き出しにするなんてあり得ないし」
(この娘の場合、別の意味で感情が昂ったりするだろうけどね)
娘でありながら親愛以上の愛情がそこに存在する。
「私など超えていくがいい」
その台詞には父親の情が含まれているような気がした。
「だが、ヴァイオラが私を超えるのは難しいと言わざるを得ないな」
「魔王様はわたしにだけ厳しい」
「勘違いするな。タイプ的にという意味だ」
頭に手が置かれて宥められる。
「アームドスキンの全身のパルスジェットまで制御できるのは素晴らしい。しかし、君はそれを勘でやっている訳じゃないだろう?」
「うん、シミュレーションを繰り返して経験して憶えたの」
「つまり意識的にコントロールできねば今の動きはできないという意味。
深度の浅いパイロットは、命令伝達
ヴァイオラのよう深度の深いタイプは精密な動作信号をσ・ルーンから発する。なのでシンクロンは多くの情報を拾い、多くの機体情報を返す。パイロットの意図通りに動くのだ。
「この中ではヴァイオラ、君が一番私にタイプが似ている。だから君の動作が一番読みやすい。流れを作るのが簡単だから、それに嵌ってしまうという訳だ」
彼女にも納得しやすい説明だった。
「精神感応で機体を意のままに操るタイプだから、普段の動作にもそれが表れているってことだよね、魔王様」
「そうだ。私のケイオスランデルもシンクロン深度は相当深めにしてある。パルスジェットまでとはいかないが、動作は意識を忠実に再現してくれなければ戦闘の流れは作れん」
「そっかぁー。魔王様とわたしは似たもの夫婦なんだね」
「誰が夫婦とまで言ったし!」
そっち方面には敏感なニーチェが目敏くツッコんできた。
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