黒き爪(5)

 第二打撃艦隊司令ヴァルテル・ライナック一冠宙士の全身像が艦橋ブリッジ前方に映し出されている。現在は演習開始に当たって訓戒の最中だ。


「昨今の世情に際し、我らは今一度身を引き締めなければならない」

 眼光鋭い初老の男性が後ろ手に組み不動の体勢で説く。


 司令自身は今回、旗艦ファランドラでの観戦のみで陣頭指揮には立たない予定。四つに分けられた編成、ブノワ艦隊、アキモフ艦隊、シャウテン艦隊、そして彼女のスビサレタ艦隊がそれぞれの指揮下で臨機応変な用兵ができるか監督するそうだ。


(高みの見物って訳ね)

 スビサレタ艦隊の指揮を執る二杖宙士アリョーナは敬礼の姿勢のまま思う。

(呑気なもの。ここ、ゼムナ環礁は反政府ゲリラの巣窟と化しているのに。まあ、百二十隻規模の艦隊相手に仕掛けてくる馬鹿は居ないでしょうけど)

 彼女にも多少の楽観はある。


「国家規模の戦力を保有するとはいえ、血の誓いブラッドバウなどという愚連隊の横行を許してはならない。地獄エイグニルを始めとした反政府組織の跋扈を許してはならない。これは国民の負託に応えるべき我らの責務である」

 彼は現状を厳しく戒める。

「人類圏最強の名を背負っているのを忘れず、本来の力を兵一人ひとりが発揮するのを期待する。そしてゼムナの正義の宣誓を宇宙に知らしめるのだ」

 右手を掲げて締め括ると、ヴァルテル司令は返礼をして言葉を終えた。


(要は負けが込んできたから、きっちりやって見せろってこと)

 アリョーナは心の中で肩を竦める。

(その為にマスメディアの報道船までずらずらと引き連れてきたんだもの。膨大な軍事予算分ぐらいは仕事をしていますよっていうアピールが必要)

 最も怖ろしいのは世論である。


 ともあれ、報道までされるとなると恥ずかしい成績は残せない。演習成績程度で降格などという事は考えにくいが、少なくとも肩身の狭い思いは味わわねばならないだろう。


(まずブノワ艦隊は外すべきよね。本来、旗艦直下の艦隊だから用兵の鈍さはある。でも、一番の精鋭を揃えてる)

 イポリート・ブノワ二杖宙士の用兵も堅実である。

(シャウテン艦隊か。マフダレーナは守りは堅いけど攻めは今一つ。やり方次第でこちらのペースに持ち込むのは簡単。でも、たまに驚くような閃きを見せるから難しいのよね)

 同じく女性指揮官の事は買っている。

(やっぱり仕掛けるならアキモフ艦隊。ロマーノなら、わたくし相手だと嘗めて前掛かりになるはず。そこを逆手に取れば勝算は高いわ)

 ターゲットは決めた。


 探査戦まで含める以上、相手選びも重要なポイントになる。それを見越してアリョーナはかなり大胆に斥候部隊の編成を行っていた。


 演習開始は一時間後。それまでは隠密航行状態で位置取りに注力する事になる。


 彼女は粛々と環礁宙域内に進発する各艦隊の様子を窺っていた。


   ◇      ◇      ◇


 演習開始時間から一時間近くが経過している。斥候部隊からは未だ敵影確認の報はない。四つの艦隊全てが手堅い用兵を行っている。


(お互いの手の内を知り尽くしているだけに、この辺りは仕方がない)

 マフダレーナ・シャウテン二杖宙士は想定内の状態を黙視している。


 予想の範囲とはいえあまりに地味な展開である。随伴している報道船は焦らされていると感じているはず。

 しかし、彼らが何と言ってこようが譲れないところ。どちらが先に探知してどういう位置取りをするかで接敵時の優位性に大きな差ができてしまう。


(映像として使えないなら勝手にカットして流してくれればいい)

 彼女は分隊旗艦から報道船を流し見しながら考えている。


「分隊司令、斥候部隊がイオンジェット光を確認しました」

 ターナミストによる電波攪乱状態である。高出力データ通信であろう。

「敵の斥候部隊だな。追尾して本隊を確認できるか?」

「やらせます。……は? 撃破された? 早々に撃墜判定を食らうとは情けない。どの部隊だ?」

 副官が通信士と話し込んでいる。

「なに? 識別信号シグナル消失? 正確に報告せよ。本当に撃破されただと!? どこの馬鹿がビームカノンの出力調整をミスったんだ?」

「混乱しているな。焦らず把握に努めよ」

「すみません、早急に確認いたします」


 副官はビームカノンを演習用の弱装モードにするのを失念したと考えたようだ。そんなケースが全く無い訳でもない。長い軍務経験の中でマフダレーナも演習中の事故を何度か経験している。

 こんな特は状況把握を優先すべきだ。再発防止の為にも時系列を整理しておく必要がある。彼女は記録のレベルを一つ上げておくよう指示した。


「四機編隊三個を編成し、事故処理に当たらせよ。操縦殻コクピットシェルの排出が間に合っているかもしれない。該当宙域での捜索を優先」

 副官は敬礼で応じる。

「おっと、先方に一時停戦の通告を」

「了解しております」


 朗報を待つ時間が流れる。マフダレーナは落ち着いていたのだが、ふと思い付く。皆が処理に追われて失念しているようだが、停戦通告の応答がない。


「通信士、再度停戦通告を」

 確認を促した。

「は、しばらくお待ちください。……本当か? よく確認しろ」

「何事だ?」

「事故処理部隊が接敵しました!」

 苛立たしげな副官が問うと焦り混じりの返答。

「何を考えている。どの艦隊……」

「胸に三本の黒い爪のエンブレムを確認しました!」

「三本の黒き爪!?」

 副官は瞠目する。

地獄エイグニル!」


 さすがのマフダレーナも立ち上がって叫んだ。

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