紅の堕天使(8)

 緩衝アームで操縦殻コクピットシェルの外に突き出されたパイロットシートに腰掛けるニーチェの前で、フォイドは身振り手振りを交えて機体同調器シンクロンの説明を始める。傍からは滑稽に見えるかもしれない動作を、足元の子猫ルーゴが興味津々で眺めていた。


σシグマ・ルーンは学習・蓄積した動作シーケンス信号を発する装置。いいね?」

 彼は確認するように尋ねる。

「理解したし」

「ただね、現実には或る意味信号を垂れ流すだけの装置なのさ。アームドスキンでの戦闘中みたいな過酷な状況での人間は複雑怪奇な思考をする。その思考を全て機体が再現しようとすれば矛盾が多々発生してしまうものなんだ」

「実際に身体を動かしているんじゃないから、あり得ない命令をしてしまったりするって感じ?」

 彼女を指差したフォイドは「ご名答」と告げる。

「だから、その辺りの整合性を取らなきゃいけない。できるだけ矛盾が無いように実生活での動作パターンを学習しているσ・ルーンからの複数の信号。過去の機体動作パターンとそれを突き合わせて最適解となる動作シーケンスを編み出す。そんな仕事をしているのが機体同調器シンクロンさ」

「大変だし」


 戦闘中にする複雑な動作はもちろん、アームドスキンもごく普通の歩く・走るといった動作もできなくてはならない。自然とそのデータ量は膨大になるだろう。

 命令信号から動作シーケンスを実行変換コンパイルする処理は複雑を極める。機体同調器シンクロンには凄まじい処理能力が要求されると思われる。


「しかも戦闘に使用する機械だ。動作までにタイムラグが感じられるようでは使い物にならない。アームドスキンの制御用有機コンピュータに組み込まれたシンクロンはそれを可能にしている」

 ニーチェの少し大げさな驚きに彼は乗せられる。

「アームドスキン開発において一番苦労したのはその辺りだったらしい。発掘された遺跡機体からσ・ルーンと機体構造の解析は進んだけど、肝心の制御系は有機部品だったらしく劣化して原形を留めていない。現人類にマッチして、過酷な使用環境にも耐え得る機体を生み出す為に機体同調器シンクロンは開発されたのさ」


 複雑な構造説明に何とか追い付いているニーチェは「おー」という感嘆とともに手を叩く。自慢げなフォイドはそれに指を振って応じた。


「それだけじゃない」

 にっこりと笑いながら続けてくる。

「腕の操作は基本的にフィットバーで行うだろう?」

「うん、マスタースレイブシステムだっけ?」

「その通り。でも、フィットバーの可動域は普通に腕を使う時ほど広くない」

 気付かされる。確かに全く同じ動作をするほどは大きくは動かせない。

「でも、ちゃんと動いてるって感じられるし」

「だろう? そこにも絡繰りがある。右腕を上げて横に振って見せて」


 ニーチェはフィットバーを持ち上げるように動かして横へと力を掛ける。するとルージベルニは持ち上げた腕を横に振ってみせた。その動作は目で見ていなくとも感じられる。


「各関節部には駆動信号発生器インパルスジェネレータが取り付けられてある」

 フォイドは赤い腕を指差して言う。

「発生した駆動インパルスは制御系の駆動信号解析機インパルスアナライザで計測され、動作シーケンスとコンパイルされる。不足や過剰があれば補正がかかる」

「実駆動の確認までしてるの」

「そう。更に駆動信号解析機インパルスアナライザから機体同調器シンクロンに送られた実駆動データは、駆動感覚に変換されてσ・ルーンを経由してパイロットにフィードバックされる。だからフィットバーの可動域以上の動きをしてもパイロットはそれを感覚として受け取れるんだ」

「へー、手足や胴体とかの動きも実感できるのはそのお陰だし」


 フィットバーの操作は単純なマスタースレイブとして拡大動作をするのではなく、動作方向へ力を加えることによって操作する。その動作は実駆動感覚としてフィードバックされるので、パイロットは自分の身体が動いているかのように感じることが可能。


「その統合制御をしているのも機体同調器シンクロン。だからシンクロンは人とアームドスキンの同調器って呼ばれるんだ」

 彼は専門的な知識をできるだけ噛み砕いて説明してくれる。

「このシステム故の弊害ってのも有るけどね」

「そうなの? 分からないし」

「だって、パイロットは実際に動かしている身体の感覚と、アームドスキンの駆動感覚を感じてるだろう? そこにはほとんどの場合ギャップが生じてる。感覚は矛盾を感じているはず」


 少し腕を動かしただけなのに、腕を振ったような感覚をおぼえる。更に実際の腕は少ししか動かしていない感覚もあるという意味。そこに含まれているギャップは人間を混乱させるに足るものだ。


「人によってその矛盾に苦しみ、受け入れられないタイプが居る。パイロット適性にはそんな部分も含まれているね」

 反射神経や動体視力とは別に合う合わないがあるという。

「あたし、そういうの感じた事ないし」

「ああ、マーニさんが君の事を機体に馴染むのが早い、パイロット適性が高いと評価していたのはそれを意味していたんだろうね」

「向いてる?」


 彼女が自分を指差して首を傾げると同時に、ルーゴも首を傾げて「みゃ?」と鳴く。それを見たフォイドは笑いながら「向いてる向いてる」と言いながら笑っている。


(当たり前のようにできるって感じちゃったあの感覚は説明しようがないし)


 ニーチェはその不思議な感覚には言及するのを避けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る