目覚める娘(9)
ターゲットの男ビントは立腹し、すぐに席を立たんばかりの勢いだ。それをドナが制している。
「組織に属した場合、働きに見合ったギャランティも保証されます」
相手がテーブルに置いた手に手を重ねたドナは口調を和らげている。
「そういった細かいお話はここではできません。形としてのメリットを希望するのであれば場所を変えて話しましょう」
「ふん! 僕を満足させる額を用意できるんなら考えないこともない」
「では付いてきてください」
テーブルの端末で会計を済ませた美女は席を立つ。ニーチェもそれに続いて立ち上がった。
ビントは二人に続くが視線が下のほうを向いている。ドナや彼女のお尻を撫で回すような視線に、背筋を怖気が駆け上がってきた。
「聞いて」
ドナが囁いてくる。
「こいつは使えない。処分するわ」
「処分……?」
声を押し殺すのが精一杯で繰り返すだけになってしまう。
特殊対応の話はニーチェも聞いている。
しかし、失敗するケースも想定されている。無記名のメッセージでの事前段階で撥ねられればいいが、対面後に拒否されれば支部メンバーが
その場合、ケイオスランデルの示す規定は「処分」、つまり殺害処理である。組織に繋がる手蔓とならないよう、また支部メンバーの安全確保のために必要な手順となる。
稀な事例ではあるものの、どうしても発生してしまうケース。ニーチェは立ち会っていないが、この一年で一例だけ処分が行われた。これが彼女の知る範囲で二例目のケースになる。
(とうとう当たっちゃったし)
怖れていた現実と直面する事になった。
(ドナは平気なのかな? マーニやギルデ、あの陽気なトリスだって当たり前のように経験しているんだもん。普通の事なんだし)
そもそも彼らはアームドスキン乗りである。人型戦闘兵器に乗ってビームの飛び交う場所へ飛び込むのも当然のこと。人の死に鈍感とは言わないが、正面から向き合っている人種だといえよう。
ニーチェは違う。送り出した中にはパイロット候補も含まれている。彼らが宇宙でどれだけの人を殺めるだろうと考えた事も一度や二度ではない。彼女がそれを幇助したと言えなくもない。
しかし、直接誰かを手にかけた経験も無ければ、未だそういった場面に遭遇していない。それが今、現実として降りかかってきた。
(殺したいほど憎い相手はいるし)
リューン・バレルを殺めると誓った。
(立ち止まってなんかいられないもん。目的を達成するには踏み越えていかないと駄目だし)
「それでも君が悪いと判断すれば何度でも頬を打つだろう」
ジェイルの言葉が脳裏をよぎる。
(パパは暴力を否定したんじゃないし。自分が善であろうとするなら、身を守る以上の暴力を自らがする事を諫めたんだもん)
彼は体罰を否定していない。心と体に刻み込む術として、そして他人の痛みを知る術として体罰を行った。自分の心を痛めつけながら。
(でも、これからするのは一方的な暴力。それも相手の命を奪う究極の形。目的の為にあたしは善ではいられない)
「君を善悪の区別のつかない大人に育ててしまうくらいなら、僕は喜んで犯罪者になる。それが親の責任というものなのだからね」
それはジェイルの理念であろう。
(あたしは……)
彼に顔向けできなくなるような娘にはなりたくない。
(それでも……、許せない。あんなに善悪という理念に真正面から向き合っている立派な人を殺してしまう社会)
ライナックの支配する王国。
(力で相手を屈させるしか知らない奴)
剣王リューンという男。
(あっちもこっちもライナック。この社会を捻じ曲げてパパを殺した奴らをどうにかしたいなら、あたしは善ではいられない。それなら悪になる。喜んで
ニーチェの赤い瞳が炎を灯す。
「おいおい、こんな路地裏に連れ込むとか今度は色仕掛けかい? それならそうと言ってくれれば、君に見合う素晴らしい場所を確保したというのに」
自分の運命に気付かない愚か者は、やれやれと肩を竦めている。
「不要です。あなたのような女にだらしないだけの男は我らが
「なんだって? お前……、むぐっ!」
「議論も不要です。どうしてこんな愚者を総帥閣下が指定したのか理解に苦しみます」
ドナは相手の口を押さえて壁に押し付ける。技術者程度の体力では、十分なトレーニングで体力筋力ともに鍛え、パイロットとして体術をも心得た彼女に抵抗する術はない。ドナは「やって」と目で合図する。
ニーチェは震える手でハンドレーザーを取り出すとビントに銃口を向けた。
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