泣けない少女(8)

 ベッドの上で足を投げ出し壁に背をもたれ掛けさせてニーチェは座っている。隣には同じ姿勢のイヴォン。ルーチェは膝枕ですやすやと眠っていた。

 彼女は手を伸ばし柔らかな髪を撫でる。母親に良くそうしてもらっていたのだろう。寝息が一定になり、眠りはより深くなっているようだった。


「うー……、訊いてもいい?」

 イヴォンは声のトーンを落として切り出した。

「あたしがルーチェの事、理解できるってパパが言った意味?」

「それ。私、ニーチェがこの子みたいな状態だったって聞いたことない」

 少し誤解があるようだ。


 強気で負けず嫌い。そんなところは昔から変わっていないと思う。ただ、陽気で破天荒に感じているはずの友人のイメージは過去の彼女にはなかったものだ。


「あたしも泣けなかったし」

 気を許せる相手を見つけた時に、堰を切ったように泣いたルーチェ。それが自分と重なる。

「パパと暮らし始めてやっと今の自分になれたと思う」

「ジェイルさんがちゃんと親をやってくれるって気付いた例の件?」

 ニーチェが彼を脅した時の話だろう。

「うん、変わり目。それまでのあたしは社会の理不尽に耐えきれず、それを当然とする大人が信じられなかったし。反発ばかりしてた。環境や信じられない大人たちに弱みを見せると同じものになっちゃう気がしたし」

「泣くのが弱みを見せる行為だと思ってたんだ」

「ルーチェはショックで泣けなかっただけだと思うけど、こじらせると当時のあたしみたいになると思う」


 ニーチェはそう思ったからこそ幼い少女を理解して受け入れたのだ。


   ◇      ◇      ◇


 児童育成施設に入れられてからのニーチェは非常に窮屈な暮らしをしていた。

 福祉施設であるだけに設備だけは充実している。外側からは公金が投入されている体裁が整ってなくてはならないからだ。

 実情はお粗末なもの。職員は子供の面倒をみるのは義務で熱心さなど欠片もない。厄介事を起こせば露骨に嫌な顔をされたものだ。そして彼女は厄介事そのものだった。


 親の問題等で一時的に預かる児童保護施設とは違う。病気や事故、その他様々な理由で両親や縁故を喪った子供の集まり。政情から、ニーチェと同様にライナック絡みの事情を抱える子が居なくもない。ただ、反骨心が状況を悪くする。


「お前の親なんか死んで当たり前だったんだよ!」

「英雄様の邪魔をするなんてただの馬鹿なんじゃねーの!」

 どこからか彼女の親が意図的な・・・・事故死をした事情は知られ、それが下種な揶揄となって降りかかってくる。

「お前だって誰も引き取って育てようなんてしねーよ。馬鹿な親の子は馬鹿だって思われるだけだって」

「そうだそうだ」

 理不尽な理由。理屈にもなっていない理屈が子供の中ではまかり通る。


 全面的に間違っているとは言わない。実際に職員も腫れ物を扱うようにニーチェに接する。潜在因子として政府ライナックにマークされている可能性を否定できなかったのだろう。


「何で悪いの! 父さんも母さんも普通に暮らしてただけじゃない! 勝手に邪魔だって思ったのはあいつらなのに!」

 心底そう思っていた。

「邪魔してるなら譲ればいいだけじゃん。そんなことも分かんねーの?」

「気付けないくらい馬鹿なんじゃんか」

「ぎゃははは!」

 出鱈目な責め方をされる。

「じゃあ、こうする! あんたたち、あたしの邪魔! どっか行け!」

「知るもんかよ。偉くもないお前に邪魔だって言われても関係ないね」

「偉くはないかもしれないけど強いかもよ!」

 そう言った瞬間に彼女の拳は少年の顎にヒットしている。


 暴力にまで発展した喧嘩は職員によって止められる。そして理由も沙汰されずにニーチェは反省室送りとなるのだ。隔離するのが最も簡単だと思っているからだろう。


 学校ヤングエイジでも状況は似たり寄ったり。男子の明解な揶揄と女子の遠回しな揶揄にさらされる。

 彼女が否定すればするほどに居場所は失われていく。日和って肯定すれば良い方向に向かうのは解っている。しかし、肯定すれば両親の生を無為なものだったと言ってしまっているような気がしてどうしてもできなかった。


「もう少し大人になりなさい」

 施設に入って八年、十一になった頃に職員にそう言われたことがある。

「どういうことですか? 大人っていうのは自分を押し殺して馴染むのを当たり前だって思うことですか?」

「協調性を持ちなさいって言っているの」

「それは面倒を掛けるなって意味ですか?」

 口中で「この子は……」と呟くのが聞こえた。


(あたしは悪くない! 間違ってなんかいない! こんなのおかしい!)

 そんな思いばかりに捉われる。


 誰もいない施設の裏庭に行って一本だけ植えられている樹に不満をぶつける。いつものコースなのだが手段が限られる。海岸まで行って吠えたくとも、学校帰りならともかく施設からは遠過ぎる。

 叩こうが殴ろうが樹には傷一つ付かない。痛むのはニーチェの手だけだ。それが社会と彼女の構図を表している気がして余計に腹が立つ。

 痛みと悲しみと憤りに身を苛まれても涙が出ない。鬱憤だけが少女の内に爆発するのではないかというほど溜まっていく。吐き出せる場所がどこにもない。


(居場所がない……)


 湧き上がる嗚咽の欠片が食い縛った歯の隙間から少しだけ漏れていた。

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