泣けない少女(9)

 抑圧された毎日を送るニーチェに職員が朗報を持ってきた。彼女を引き取りたいという人物が現れたというのだ。


(どこの奇特な奴?)

 卑屈な考えに捉われている。

(朗報ってのもね。どうせ厄介払いができると思ってるんでしょ)

 透けて見えていた。


 普段全く縁のない応接室に出向くと若い男が待っていた。職員の説明によるとまだ二十一歳だという。


(うげ。まさか少女趣味の男に売り渡されようとしてるの?)


 児童育成施設もそこまで阿漕あこぎではないだろう。養子縁組する相手の審査くらいはするはず。職業を聞いて納得はした。ポレオン警察の捜査官らしい。意外に優秀な人物のようだ。


(でも、職業と趣味嗜好が釣り合っているとも限らないし)

 社会的地位と趣味が比例していない事例など枚挙に暇がない。


「こんにちは、ジェイル・ユングさん」

 職員に促されて挨拶する。

「あなたはこんな跳ねっ返りをご希望ですか? 厄介な娘を征服したい類の悪趣味の持ち主ですか?」

「ニーチェ!」

「構いません」

 叱られるが彼が手で制する。

「どう思っているかは解りました。ですが、僕の為人ひととなりをご存じないでしょう? こちらには君が自由に暮らせる環境を提供する準備があります。まずは試してみてはどうですか?」

「ふーん」


(自分のフィールドに持ち込めば何とでもできると思ってんのね。目にもの見せてやろうじゃないの)


 この頃のニーチェには大人に対する不信感しかない。周りに揶揄された通り、自分にまともな養育者など現れるはずなどなく、早く大人になって卒業したいとばかり思っていたのだ。


(ヤバい嗜好の持ち主の所からさっさと舞い戻れるようにしてやる)


 単身者ひとりもので結構な美男子だというのに女の子を引き取ろうとか考えるのは、ろくな相手ではないとしか思えなかった。


   ◇      ◇      ◇


(どんだけセキュリティが固いの。慎重過ぎるんじゃない?)

 この時はジェイルがなぜそこまで警戒しているのかニーチェは知らない。


 共同住宅マンションのエントランスのセキュリティだけで三重になっている。一般に提供されている中でも厳重な部類だろう。

 その上、入室には更に顔認証、指紋認証、声紋認証、セキュリティコードを必要とする。それらは全て渡されたペンダント型の無線キーを身に着けているだけでスルーできるものの、極めて厳重なのは間違いない。


(捜査官ってそんなに警戒するもの? まあ色々恨みを買うこともあるかもだけど)

 その辺りの常識は彼女にもない。

(でも、今日初めて顔を合わせたばかりのあたしをその一つひとつに登録していくんじゃ意味無さそう)

 心の中で嘲笑する。


「この部屋を使ってください」

 予め準備されていたらしい部屋に通される。

「生活に必要そうな最低限の物はあるはずですが足りないものも多いでしょう。これを使って購入してください。君が自由に使っていいお金が入っています。部屋の端末のセキュリティもそれで解除できます」

「多機能カード?」

「渡しておきます。問題無い額だと思いますが足りないようだったら言ってください」

 彼は「女性が日常に必要とする物に明るくないので」と付け加える。


 確かに居住空間には女の匂いがしない。現在どころか、過去に誰かと同居していた感じもない。余計に怪しげな趣味を疑ってしまう。


「夕食の準備をしますので、どうぞ浴室で疲れを癒してください」

 転居前に身綺麗にはしていたが、たとえ数日でも勝手を知っておくに限る。

「覗いたらお金をもらうわよ」

「お金なら渡しました」

「うっ……!」

 ぐうの音も出ない。

「それに覗きませんから」

「うるさい!」

 男はくすくすと笑う。


 男性用のボディーソープなどの他に、真新しい女性用のシャンプーやソープが一揃い並んでいる。彼なりに注意を払って歓迎の意を表しているように見える。


(油断しちゃ駄目)

 浴槽に浸かって力が抜けそうになる自分に喝を入れる。

(すぐに襲われるかも。これも一つの手段なのよ。こちらの警戒を解くためのね)

 大人とは狡猾なものだ。

(幻滅されるように仕向けなきゃ。思いっ切り反発して見せよう。それと、変わった奴だと思わせるのもいいかな? 少し抵抗されるくらいがいいとかいうヤバい性癖の持ち主かもしれないし)

 従順な子供を演じるつもりなど欠片も無かった。


 お風呂を終えると食卓にはきちんとした食事の数々が並んでいる。調理そのものはキッチンに設置されている自動調理機オートクッカーに任せられるが、盛り付けは自分でするしかない。ジェイルの几帳面な性格が窺えた。


「悪くないでしょう?」

 着席を促してくる。

「普通だし」

「精一杯歓迎しているつもりなんですけどね」

「甘い物で釣ろうとか単純な手には乗らないし」

 反発を語尾で表すものの、視線はケーキに釘付けになり唾液が口中に湧いてくる。


 とりわけ料理が美味しいわけではない。それなのに敵意の感じられない誰かと食卓を囲むのがだんだんと心地良くなっていく。大胆に頬張る口元が徐々に緩む。切り分けたケーキを半ば独り占めし、大きなフォークを突き刺して口に運ぶ頃には満面の笑みを浮かべている自分に気が付いた。


(ヤバいヤバい! 簡単に懐柔されてどうするし! こいつを困らせてやらなきゃいけないんだし!)


 何とかできているのは、語尾を口癖にすることだけだった。

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