第二話
泣けない少女(1)
「ねぇ、本当に興味ないの?」
ニーチェは悪戯げにニンマリと口元を緩める。
相手は焦りを隠しきれずに瞳を彷徨わせ、決め切れずに手を出そうとしては引っ込め、また指を伸ばそうとする。赤い瞳の少女はその指を嘲笑うかのようにフッと息を吹きかける。ゆっくりと差し出した指で喉に軽く触れ、顎先へと触れるか触れないかの感じで撫で上げた。
「こんなチャンス、そうそう無いのよ。今、決められないで後悔するのは嫌じゃない?」
ごくりと喉を鳴らせた相手は震える指を彼女のほうへ……。
「やっぱやめとく! 太っちゃう!」
「えー、つまんないし!」
ニーチェは仲の良いイヴォンとヘレナ、イザドラの四人でカフェの一席を占領している。タッチして呼び出した2D投映パネルのメニューには魅惑の期間限定の文字が躍っており、それが彼女らを湧かせた。
ただし、中身は季節のフルーツ、とある
「ニーチェったら迷いもなく選ぶんだもん。信じられない」
イヴォンは不満げに鼻を鳴らす。
「そりゃそうよ。この娘、少々食べても太らないタイプでしょ? 基礎代謝が高いっていうの?」
「羨ましい……」
ヘレナとイザドラも恨めしい目付き。
「ちゃんと筋肉量を維持しているからだし。日々の軽い筋トレに入浴後のストレッチとか頑張っているから思った時に好きなものを食べられるの」
「ストレッチはともかくね、軽いとか言ってニーチェのは割と本格的な筋トレなのよ。身体触っても硬いって言われるのは嫌!」
「へぇー、触られる予定あるんだ。やーらしー」
イヴォンをジト目で見る。
「将来の話よ、将来の! あなたこそパパに触られた時に身体硬い女って心配されてんじゃないの?」
「されてないし。筋トレだってパパに教わったんだから、ちゃんとしたもので身体に良いし」
「パパの教えは絶対だもんね」
「パパ信者」
皆にからかわれてニーチェは頬を膨らませる。いつものパターンでも毎回同じリアクションをするのはお約束のようなものだ。
「今回は諦めよう……。その代わり、ひと口味見させて」
ぽっちゃり気味のヘレナは一つ溜息。
「あっ、それじゃ私も」
「わたしもわたしもー」
「冗談じゃないし!」
ニーチェは飛び上がる。
「みんなにひと口ずつあげたら半分以上無くなるじゃない!」
「いいからいいいからー」
「気にしない気にしない」
「気にするし!」
結局、季節限定メニューは二つ頼み、別メニューも注文してシェア。皆が満足する形にした。甘いものを口にしながらも彼女たちのおしゃべりは止まることを知らず、カフェの一角をにぎやかすことになる。
「この後はどうするの?」
まだ午後二時を少し回ったところだと携帯端末で確認したイザドラが呼び掛ける。
「コーディネートショップ行かない? 今度の発表会の衣装の下見というか、構想を練る参考に色々合わせてみたいんだけど」
「いいねえ。私は普段着のほうもそろそろ何着か増やしたい」
口調は中性っぽく、容姿やファッションセンスも男性寄りのイヴォンだがプロポーションは一番で、胸元は三人の追随を許さず2サイズは上で更に成長中ときている。
「んー、今月はもうセーブしたいとこなんだけど……」
「あれ、お小遣い足りないの、ニーチェ?」
「足りなくはないし。でも……」
コーディネートショップというのは要するに服を商う業態の一種である。店舗に在庫は全く揃えていない。しかし、そこにはフィッティングマシンが何基も並べられている。
客は薄いボディースーツを纏い、選んだ服の3Dイメージを身体の周囲に投映して試着し購入するかどうかを決めるのである。店舗側は後にサイズまでピッタリに合わせた商品を各家庭まで配送して終了という仕組み。いわば大きな試着室みたいなものだ。
大型ショッピングモールは提携した服飾ネットショップの全ての商品が試着できる店舗を備えていたりするが、彼女たちが行こうとしているのはブランドが展開しているショップである。
「パパが一生懸命働いているのに、おねだりばかりしたくない?」
イヴォンが予想を告げてくる。
「お小遣いに制限はないし。でもね、高額なのは何に使ったか後から説明しないといけない決まりなんだもん」
「へぇ、額が決まってるわけじゃないのね?」
「そう」
ニーチェも発表会の衣装に当たりを付けておきたい。が、それは高額出費になって今月分を撥ね上げてしまうだろう。
それは児童育成施設出身で、自由になるお金を持ったことがほとんど無かった彼女に経済観念を身に付けさせるジェイルの方針だった。お小遣いに枠は設けないし、細々とした出費は致し方ない。ただ、高額な出費が無駄だと判断されると注意される結果になる。衣装代は無駄遣いには入らないのは間違いなくとも、彼の経済的負担をニーチェは慮ってしまうのである。
「あたし、今回は見学だけにする。みんなは好きに選んで」
「仕方ないかぁ、ニーチェがそう決めたんなら」
本人があっけらかんとしているのに遠慮するのもおかしいと思ったのだろう。
その時、歩く彼女たちの横へ車が横付けされた。それを見てニーチェはぎくりとする。ゆっくりと下がっていった透過金属窓の向こうからは予想通りの銀灰色の髪を持つ顔が現れた。
「買い物かい、ニーチェ?」
いつも通りの優しい笑顔に彼女の顔は引き攣った。
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