父と娘(2)
彼女の名はニーチェ・オクトラスレイン、十九歳。音楽系のハイエイジスクールに通っている。
パパと呼んでいるジェイルの実の娘ではない。そもそも年は十しか離れていない。名前が示す通り養女である。
ジェイルの家に来たのはもう八年も前、彼女が十一歳の時だった。
父は商社の雇われ船長として輸送船に乗っていた。ところが彼の勤務する商社と或る傍系のライナック家が運営する商社との間にトラブルがあり、見せしめのように輸送船ごと沈められた。
事件自体もまるで事故のように扱われた挙句、実家のほうにも嫌がらせがあり、母親はそれを苦に自殺に及んでしまう。頼る親戚筋も無く三歳にして天涯孤独となってしまったニーチェは八年間児童育成施設で暮らしていた。
「ねえねえ、知ってるよね? 遊覧船ルシエルダ号爆沈事件、やっぱり『
ニーチェの作った夕食にフォークを持った手を伸ばす父に話し掛ける。
「ああ、管轄外だが情報は入ってきたよ」
「エイグニルの人たちって変わってるね。何をやっても犯行声明とか出さないし。まるで実績だけを欲しがってるみたい」
「テロはテロだ。同情的な意見を口にするのはやめておきなさい」
諫められた。
(あたしの境遇だと、もしパパに引き取られないまま施設を卒業とかしていたら、この人たちみたいに反政府活動に参加していたかも?)
それはジェイルも感じているので、ただの世間話を意図的に諫めたのだろう。
(今はそんなこと考えたりもしないし。だって幸せ過ぎるし)
それが本音だった。
環境的にも経済的にも恵まれた暮らしをさせてもらっている。父の勧めで両親を忘れないよう元の姓を名乗っているなど、返し切れない恩を感じていた。
現在も好きな音楽に打ち込めるようアルバイトなどもしていない。ニーチェの場合歌うのが好きで、声楽科へ進んだので高価な楽器などは不要なのだが、基本的に多額の学費が掛かる。全てを彼が負担してくれていた。
「はーい。でね、今日はイヴォンがね……」
話題を変えるとジェイルは柔らかな笑みを浮かべて頷きながら料理を口にする。
父ジェイルは銀灰色の直毛を少し長めにしている。濃い灰色の眉と黒い瞳の涼しげな目元と相まってとてもよく似合っていると思う。整った鼻筋に締まった口元、鋭角な
総じてバランスの整った端正な美男子だと思う。職業柄身体も鍛えられていて未だに彼女くらい簡単に持ち上げてしまう。見た目によらず筋肉質な身体も好ましい。彼はニーチェにとっても理想の男性像そのものと言っていい。
彼は人類圏で人気の男性アイドルのように白い肌ではない。
しかし、ニーチェは父の肌の色も逞しくて良いと感じてしまうのだった。本音を言うとジェイルを異性として好きなのである。時期がくればちゃんと打ち明けて結婚相手として立候補するつもりが満々なのだ。
(というか、パパがモテないのが不思議で仕方ないし)
娘の欲目で見なくともジェイルは美男子のはずだ。なのに浮いた噂はないし、誰かを連れて帰ったこともない。本人も恋人はいないと言っている。
(評判悪すぎて敬遠されてるんだろうし。ライナック案件に平気で突っ込んでいく捜査官だって)
ニーチェにとって好都合な状況なので諫めたりはしない。何より言ったところで聞き入れないだろう。ジェイルは捜査官としてそれが誠実な姿だとしているからだ。生じる不利益など慮外なのである。
「楽しそうで何よりだね」
彼女の話す一日を楽しんでくれているようだ。
「もっとゆっくり友人たちと過ごすといい。僕の食事の世話など考えなくていいから。うちには自動調理器もあるし、連絡さえくれれば夕食は済ませて帰ってくる。そもそも状況次第で帰ってこれないこともあるんだから準備に時間を割く必要はないんだぞ?」
「嫌ー。好きでやってるんだからやめないし。余っちゃったら隣のザイ君とことかお裾分けするから無駄にならないし」
「何なら友人を招いてもいい。部屋は十分に空いているだろう?」
似たような会話は何度となく繰り返しているのだが彼女が実行に移さないのでジェイルは遠慮しないよう幾度となく言ってくる。
「イヴォンとか他の友達も? うーん……」
「君は家に他人を上げるのが苦手なタイプなのかい?」
「そんなこともないんだけど……」
(パパを見せたくないの! イヴォンは面食いだから絶対に惚れちゃうし! ヘレナやイザドラだって怪しいもんだし!)
学友は上流家庭の子女が多い。学費が高額に及ぶ所為もあるし、身を立てられるか分からない勉学に時間を使うのは経済的にゆとりが無ければ選ばない選択肢だ。
(あの娘たちとか、相手に経済力を求めないからとにかく男前を探すことに地道を上げているような肉食系女子ばかりだし!)
そこがニーチェを躊躇させている。友人として好ましい人柄だから親友と呼べる間柄になっているが、ジェイルが絡むとなると別問題。
(何か言い訳を考えておかないと)
いつもそう思うのだが失敗ばかりのニーチェなのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます