第一話

父と娘(1)

(いったい何なんだ、奴は? 正気なのか?)

 男は息も絶え絶えに走りつつ、頭の中を駆け巡る疑問に答えを見出せないでいた。


 彼は確かに犯罪に手を染めている。しつこく追いかけてくるのは二等捜査官だと名乗ったので、一般的にはこの図式に誤りはなく思えるだろう。

 ただし、男はとある家と繋がりがあり、それが免罪符となって訴追されないはずであった。少なくとも普通の捜査官は彼を追ったりはしない。


「来ないな。ようやく諦めやがったか」

 後ろを振り返って独り言ちる。


 ここはもうポレオン東第三ポート。彼の輸送艇が停泊している場所で、乗り込みタラップに手を掛けてぜぇぜぇと荒い息を吐いている。

 無駄だと分かって諦めたか、上からの圧力で断念したのか、追ってきた捜査官の姿は見えない。未だ止まらない汗を拭いつつ、空調の利いた艇内へとタラップを上る。


「……!」


 何かが聞こえた気がして息を飲む。後ろを見回すが誰もやってこない。どうやら予想外のことに過敏になっていたらしい。一つ舌打ちをして再び上り始める。


「だぁっ!」


 ところがひと際大きな破砕音がしたかと思うとタラップが跳ね上り男は投げ出される。打った背中の痛みを堪えながら見上げると、彼の輸送艇の搭乗口付近から腕が生えていた。人の十倍以上の長さがあるそれは人型戦闘兵器アームドスキンの腕である。


「僕から逃げおおせると思いましたか?」


 輸送艇を破壊しながら深い藍色の腕が引き抜かれると、大きさの割に小さな足音を響かせながら21mくらいであろう巨体が現れた。全体が藍色にカラーリングされた機体の肩にはポレオン警察のエンブレムが輝いている。


「改めて名乗りましょう。僕はポレオン警察二等捜査官ジェイル・ユング。あなたを軍の武器横流しの容疑で逮捕します」

 開いたハッチから現れた捜査官はヘルメットを脱いでそう宣言した。

「何なんだよ、お前は? どうしてこんな無駄なことをする?」

「無駄? 何のことでしょう。僕は捜査官であなたは容疑者。何の不思議もないではありませんか」

「だーかーら! お前だって俺がサリュート・ライナックに頼まれて荷を捌いているって調べは付いてるんじゃないのか?」

 免罪符を振りかざす。

「ええ、そうらしいですね」

「だったら捕まえたところで上からの圧力ですぐに釈放されるのも解ってるんだろう? ただの骨折りじゃないか!」

「いいえ、犯罪者を捕らえるのが僕の責務であって背後など関係ありません。捕らえた後の処遇は権限の範囲外です」

 ジェイルは空っとぼけて言った。


 男の頬が歪む。彼の言っていることは間違っていないが間違っている。ライナックに目を付けられると理解しているのに関係ないと言うのだ。そんなことをすれば出世を望めないばかりか、下手をすれば処分の対象になる。ポレオンから地方へ飛ばされてもおかしくはない。


(待てよ)

 男の頭を或る噂がよぎる。


「お前か? あのライナック絡みの案件でも平気で首を突っ込んでくる馬鹿は」

 裏社会に流れている噂の一つだった。

「馬鹿といわれればそうなのかもしれませんね。処世術など持ち合わせておりませんので」

「とんでもないのを引き当てちまったのか……」


 噂の男であるのなら容赦せず逮捕されるだろう。彼は観念した。


   ◇      ◇      ◇


「君が引っ張ってきた男、釈放されたぞ」

 彼らの属する機動三課長フレメン・マクナガルが同僚のジェイルに告げている。

「そうですか」

「懲りない男だな」

「愚か者のことで悩まなくて結構ですよ」


 機動三課は境界機動警備が主たる任務である。地上から宇宙、宇宙から地上に掛けて行われる犯罪に対応するのが仕事だ。密輸などの取り締まりが多いが、逃走犯が国外脱出を図ろうとする場合も対応をする。なので捜査官は全てアームドスキンパイロットで占められている。

 ただ、管轄が他の捜査課と被るので煙たがられているのも事実。彼らのポレオン第三市警機動三課課長フレメンも頭の痛い軋轢を多く抱えている。その中でも筆頭格が彼ジェイル・ユング二等捜査官の存在だろう。


「でも、ちょっと格好良くないすか? ライナックの名をものともせず地道に取り締まりに励むとか」

 シュギル・ポイドフィールドは先輩のグレッグ・オットーに打ち明ける。

「なぁ、新人のポイドフィールド三等捜査官くん。よく考えてみたまえ」

「え、何か変なこと言ったっすか、オレ?」

 普段はくだけた口調のグレッグが冗談めかして改まった言葉遣いになっている。

「間違ってもあいつと組みたいとか思うなよ。何もかも失くすぞ?」

「そりゃ、このゼムナでライナックに逆らえば出世なんて無理でしょうけど、そこまでっすか?」

「あの、頭が切れて腕も良い優秀な捜査官が二十九にもなって何で二等捜査官のままなんだと思う? そういうことさ」

 理解したシュギルは「あー……」と言葉を詰まらせる。

「あいつが飛ばされないのは、それ以外で検挙ポイントを稼いでいるからだけの話なんだからな?」

「ういっす」


 グレッグが「あの事件さえなけりゃなぁ」とこぼしているのが少し気になった。


   ◇      ◇      ◇


 ジェイルが過剰とも思えるセキュリティを通過してドアの前に立つと顔認証が働いて自動でロックが解除される。だが、開閉操作面にタッチする前にドアがスライドし、中には彼女が出迎えに立っていた。


「お帰りなさい、パパ」


 最近とみに大人びてきた彼女はジェイルの娘と呼ぶには大き過ぎるのだった。

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