第15話 伸びてきた手にドキ!

「じぁあ、入れるぞ。優」


「うん」


 俺は優の横顔を真っすぐ見つめる。ほほがほんのりと赤く染まっている。産毛の一本一本まで確認できる。本当、きれいだよな。こいつ。思わずうっとりして溜め息が零れそうになる。


「一哉、痛くしないでね」


「ああ、分っている」


「いきなり奥はやだよ」


 心配なら、言わなきゃ良いのに。言い出したのは優の方だぞ。


「おう」


 俺は覚悟を決めた。人生で初めての経験がぶっつけ本番で良いのだろうか。今更、迷っても仕方ない。やるぞ!ヘタレ平民男子、工藤一哉(くどう かずや)。うろたえてばかりの人生は卒業だ。


「ど、どうだ」


 恐るおそる尋ねる。全身が心臓になったかのように脈打っている。こりゃー、寿命が縮むは。一瞬でヘタレる。


「うん。気持ちいい」


 優は猫みたいに目を細めて答えた。ふぅー。良かった。やり方は間違っていないようだ。


「そっか」


「うん。コショ、コショする」


 ゆっくりと出し入れしてみる。優の瞳がトロンとしている。幸せそうだ。


「耳掃除って気持ちいいよね」


 高級温泉旅館だけあって歯ブラシとかシャンプーとかアメニティが充実している。ほわほわの白い羽毛の付いた竹の耳かき棒を優が見つけてせがんできた。


 悪友(ワルトモ)のすることではないと思ったが、お風呂上りであることや色々あって、ショートヘアからのぞく優の可愛らしい耳の魔力に負けてしまった。


 俺の膝を枕にしてくつろぐ優は子猫のそれだ。愛おしすぎる。


 それにしても、こんなにちっこいのに優の頭ってけっこう重い。学年一位の秀才だけに、脳みそがたっぷり詰まっていると言う事か。


 ドキ!


 んで、温かい。ほのぼのする心地よさだ。サラサラの髪が美しい。思わず手グシてすくいたくなるじゃないか。できんけど。


 優の耳、ちっちぇーなー。真っ白で可愛らしい。こっちは美少女の頭が膝に乗っていると思うだけで手が震えるっちうに。やばいわ。傷つけたりしたら一生後悔する。練習しとけば良かった。


 って、こんなことになろうとは想像もできなかったし、誰で練習するねん。母親(おかん)の顔が思い浮かんでしもた。丸顔の母親(おかん)が俺の膝の上に頭を乗せて俺を見つめている。キモイ!ありえない。同じ人類とは思えない。


 本当に今日は色々なことがある。一生分のイベントが津波のように一斉に押し寄せたかのようだ。全てのイベントを使い果たして、この先は何もなかったりして・・・。


「一哉、変わろうか」


 ドキ!


 なぬっ。いや、嬉しいけど、それは無理だろ。ノミの心臓が破裂しそうな勢いで動いている。こいつ、無邪気な顔して誘惑してくるな。彼氏でもなんでもないのに。男のプライドが崩壊するじゃないか。何とか平静さを保って答える。


「お、俺は良いよ」


「何でさ。私、上手だよ」


 起き上がるって正座する優。浴衣姿が艶めかしい。真っ白でツルツルの膝から目が離せない。ゴクリと唾を飲みこむ以外、言葉も出ない。


「・・・」


「自分だけしてもらうのは良くないから。ほら、ここに頭を乗せなよ」


 優は自分の膝をポン、ポンと叩く。


 ドキ!


 何と言う可愛らしいしぐさ。これ、絶対に悪友(ワルトモ)の範疇(はんちゅう)を超えている。分っているけどもはや抗えない。俺の中の天使は駆逐され、悪魔の囁きだけが聞こえてくる。


 えーい。ままよ。俺は寝ころんで、ゆっくりと優の膝の上に頭を預けた。


 ドキ!


 膝、やわらけーなー。こんなに細いのに。浴衣越しに優の体温が反対の耳に伝わってくる。ケアする側の耳を優がつまむ。


 ドキ!


「今、一哉。ピックってなった」


「ビックリしただけだよ」


「うふ。顔が真っ赤だよ。一哉ちゃんは可愛いねー」


「膝、揺らすな。耳たぶ引っ張るなー」


「面白いんだもの」


「玩具じゃねーんだよ」


「じゃー、そろそろ入れちゃうよー。覚悟はできているかな」


 ドキ!


 耳の中に異物感。でも、これがほわってして気持ちいい。眠気をさそう心地よさだ。


 罪悪感もすっ飛んで意識が甘く溶けていく・・・。夢心地ってこういうことを言うんだ。温かいなー・・・。心が緩んできた。






「一哉!起きて」


「んん?」


 頭を上に向けると優の見下ろす顔があった。夢だよな、これ。リアルな夢だなぁー。


 手グシで髪をすかれている。気持ちいい。このままずっと幸せに浸っていたい。いい夢だ。一生、覚めないでくれ。ムニャムニャ。






「一哉」



 ドキ!


 名前を呼ばれて飛び起きた。とんでもないことをやらかした。心臓が早鐘のように鳴り響く。


「俺、寝てたのか?」


「うん。三十分くらい」


 マジかよ。色々な思いが頭の中を駆け巡り、何がなんだか分からない。大混乱、パニック。自己嫌悪!


「可愛い顔して寝てたからほっといた。色々と連れ回したから疲れちゃったんだね」


 なんとお優しいお言葉。が、全て俺が悪い。どう答えたものか。様々な答えが、一瞬にして頭をめぐるがどれもヘンテコだ。


「ありがとう」


 全てを否定したら、素直な心が無意識に口をついて出た。うん、これが一番だ。優は俺にとって無邪気な女神様みたいなもんだ。感謝の気持ちを忘れないようにしよう。そう、悟った。


「こちらこそ、今日はありがとう」


 優の返事に癒やされた。のんびりとした良いムードじゃないか。


「寝よっか」


「おう」


 電気を消して、二人、並んだお布団に潜り込む。柔らかくフカフカのお布団。意識が遠のいて行く。俺、疲れているんだなー。


 今日一日色々とあったけどどれも楽しい思い出だ。気持ちの良い疲労感に任せて、満ち足りた気分でしばらくまどろむ。


 んっ?


 隣りの布団から優の手が伸びてくる。暗闇の中で、もぞもぞと俺の手を探しあてる。何やっとんだ。優のやつ。


 ギュッと握りしめられた。


 ドキ!


「優、起きてんのか?」


「きゃふっ!一哉、起きてたの?」


 ドキ!


 なんて、かわいい声を上げるんだ。日頃見るクールビューティな優の口から出た声とは思えない。甘えモード全開は超反則だろ。


「私ね。・・・。やっぱいいや、何でもない」


 優は言いかけた言葉を飲み込んだ。布団の中で優の指が動き、俺の指に絡みついて恋人つなぎに。


「ありがとう。お休みなさい。一哉」


 安心したのか、優は規則正しい寝息を立て始めた。優も疲れているんだろう。呼吸に合わせて、優の胸が静かに規則正しく上下している。


 何を言いかけたんだろうか。


 気になるけど野暮はなし。俺は優の指を少し強く握り返した。


 ヘタレ平民男子、工藤一哉!頑張ったな。お前らしくないくらいに。俺は自分自身に言い聞かせる。


 開け放たれたカーテン。大きな窓ガラスの向こうに立ち上る露天風呂の湯煙。煌めく星空。幻かと思うほどの幻想的な光景。


 現実とは思えない、一生分のイベントを詰め込んだような一日が走馬灯のように脳裏(のうり)を廻る。優の語った言葉の一つ一つが蘇る。


 神聖女子(アンタッチャブル)に悩みなんてないと思っていた。たっぷりの言い訳で、下心を隠していた自分が恥ずかしい。


 でも、それさえも含めてヘタレ平民男子の日常を優にちゃんと話せた。


 神聖女子(アンタッチャブル)と平民男子。世界が違い過ぎて、共感しあう事なんてできないのかも知れない。でも、互いを理解しようと努力することはできる。


 高校生の恋愛実態調査では、恋人がいるのは全体の約二割。初恋の人と結婚できる確率はたったの1パーセント。一学年に一人いれば良い方だ。


 どんなに好き合っていても、何れ上手くいかずに甘酸っぱい思い出となる。1パーセントの恋を育む相手として優は無理がある。


 てか、無謀極まりない。隣りに眠っていても遠い世界の住人だ。


 さらに言えば俺と優は悪友(ワルトモ)。互いの恋の悩みを相談し合う相手。優にとって俺は、恋と言う名の駆け引きをする相手じゃない。


 悪友(ワルトモ)なら、友情を育んて優と一生付き合っていくこともできるだろう。だけど・・・。


 信頼して手を差し伸べてくる優の静かな寝息を聞きながら、俺の心臓がトクンと鳴った。

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