トイレのお化け
尾八原ジュージ
トイレのお化け
トイレの怪談は多い。
昔のトイレは怖かったと聞く。薄暗い空間、厭な臭い、ボットン便所の深い穴……しかもそこに向かって、無防備な裸の下半身を露出せねばならない。怪談が生まれるのも納得がいく。
時代を経て、暗く汚いボットン便所は、明るく清潔な水洗トイレへと変わった。だが、トイレの怪談は健在だ。
かつて子供たちがトイレに抱いた恐れは、いつしか本物の怪異を生んだのかもしれない。そしてそいつはトイレが明るく変わっても、未だにそこに潜み、誰かがやってくるのを待っているのではないか……。
とまぁ、要するに僕も、キレイな水洗トイレの恩恵を受けていたにも関わらず、トイレに怯える子供だったということだ。
ビビりなくせに怖い話が好きな僕は、怖い本をわざわざ読んではビビる、しょうもない子供時代を過ごしていた。
特にトイレに対する恐怖は強く、例えば用を足しているとき、便器の中から怪しい手がヌルヌルと伸びてきやしないだろうか、などと怯えていた。
そしてその恐怖は、ある日突然、実体をもって僕を襲った。
平日の夕方、僕はひとり自宅でゴロゴロしていた。家族は皆出かけていた。そのときにふと、便意を覚えたのだ。たったひとり、静まり返った家のトイレに行くということは、当時の僕にとっては恐ろしいことだったが、だからといって便意は無視できない。
家のトイレはもちろん水洗である。白っぽい壁紙に暖色系の照明がついた、まぁごくごく普通の洋式トイレだった。一思いに用を足した僕は、便座に座ったままほっと息を吐いた。
その時だった。
ひとりしかいない狭いトイレ。なのに誰かが、僕の肩を叩いたのだ。
心臓が痛いほど跳ねた。
例えば事故の瞬間などに、時間が経つのが遅く感じられるという話を聞いたことがある。生命の危機を乗り越えるため、脳みそがフル回転するのだそうだ。このときの僕はまさにその状態で、反射的に後ろを振り向くそのほんの一瞬に、
(いややめろやめろ何か怖いのがいたらどうすんだよもうトイレ使えなくなるぞっていうかここ僕んちのトイレなんですけど何の曰く因縁もないはずなんですけどとにかく振り返るのはやばいって)
くらいのことは考えた。しかし、おそらく物凄い勢いで振り向いた自分の首の動きは、もう制御することができない。
振り向いたそこには……
便器の蓋があった。
倒れた洋式便器の蓋が、僕の肩に当たったのだった。
この時以来、僕のビビりは悪化した。
トイレのお化け 尾八原ジュージ @zi-yon
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