第287話 幕間② 藤和一成

 私の名前は、藤和一成。


 一国一城の主であると共に、2週間前までは不渡り手形を再度出してしまう事に神経をすり減らしていた事業主でもあった。


 そんな俺は――、事務所のデスクの上で袋に入っている紙幣を数えている。

 

「あなた――、一万円札数え終わったわよ。きちんと400枚あったわよ」

「ああ、こっちも250枚確認が出来た」


 少し前まではお通夜であった事務所内の空気が嘘のように明るい。

 何せ、不良在庫となっていた塩――、90トンを全て上顧客――、いや恩人とも言える月山雑貨店の店主が購入してくれたからだ。


「そうか。それじゃ丸山運送の口座への入金をしてきてくれるか?」

「分かったわ」


 妻の穂香(ほのか)が、カバンに現金を入れて事務所を出ていく。

 その後ろ姿を見送ったあと、事務所のデスクの上に積み重なっている630万円もの大金へと視線を向ける。

 

「あとは、以前にツケで仕入れた塩の代金を業者に払って――、滞納している機器のリース料と、自宅の家賃と事務所の家賃に光熱費に経費を引くと……」


 独り言をブツブツと呟きながら支払い分の紙幣を右へと避けて積んでいく。

 さすがに倒産まで秒読み段階だったこともあり、支払う金額はとても多い。


「ただいま戻ったわ。あら? あなた、何をしているの?」

「お帰り。いま、支払い項目をチェックしながら紙幣を積んでいたところだ」

「そうなの?」


 妻が、冷たい麦茶を用意し私の前に置いて席に着く。

 そしてパソコンのキーボードを軽やかに打ったかと思うとガーッという音と共に一枚の用紙がプリンターから排出される。


「あなた、これに目を通してくれる?」

「――ん?」


 妻に渡されたのは事務所のもろもろの経費と付き合いのある問屋や業者への支払い。

 あとは滞納している家賃や光熱費の一覧。

 最後に支払いトータル金額と、支払ったあとに残る予定のお金。


「残金が118万5000円か……」


 私の言葉に、妻が頷く。

 その表情は銀行に行く前と違って幾分か沈んでいるように思える。


「何かあったのか?」

「富山さんがね――」


 富山さんというのは【問屋の藤和】を起業する時に融資や貸付を含めて担当をしてくれた興業銀行の人間。


「富山さんが、どうかしたのか?」

「一度、不渡りを出しているわよね? それで、うちがね銀行取引停止処分になる可能性があるらしいの」

「――な!」


 まだ一度しか不渡りは出していない。

 ただ……、最近はかなりシビアになっていると聞く。

 まさか、うちが対象になるとは思っても見なかった。


 問題は、そんな事をされれば金融機関からの信用が下がり借り入れが出来なくなるどころか当座預金取引や融資も出来なくなってしまう。


「それで、あなたに一度会いたいって言っていたの」

「わかった」


 銀行取引停止処分だけは何とかしなければ事実上の倒産になりかねない。

 問題は、銀行が納得できるだけの判断材料があるかどうかだが……。




 すぐにスーツに着替え事務所を出て興業銀行へ向かう。

 車で5分の距離にあり近い。


 興業銀行内の敷地に車を停めたあと、銀行の受付女性に富山さんに取り次いでもらう。

 銀行内の一角――、ブース内で待たされること数分。


「まさか、こんなに早くお越し頂けるとは思いませんでした。お久しぶりです。藤和様」

「こちらこそ、お久しぶりです」


 まずは挨拶を交わす。

 富山さんが座るのを待ってから私の方から話を切り出すことにする。


「富山さん。妻から話を聞きました」

「ああ、銀行取引停止処分の件ですね」

「はい。それで、それは実際の所はどうなのでしょうか? 確定なのですか?」


 私の言葉に、富山さんは小さく顎を引きながら頷く。


「そうなります。支店長会議で、口座に殆どお金が残っていない業者に関しては厳しく査定をすることに決まったのです。それに、藤和様の当座には殆どお金は――」

「なるほど。つまり当座にお金があれば問題無いと言う事ですか?」

「そうなりますが……、藤和様は一度、不渡りを出していらっしゃいますよね?」

「ええ、まあ……」


 渋々頷いた私に富山さんが一枚の用紙を差し出してくる。

 そこに書かれてのは……。


「一度でも不渡りを出した場合には、当座に100万円以上の預金が無ければいけない?」

「そうなります。それに、当座取引に当たって藤和さんは他社との決済が500万円近くあったと思いますので――、最低でも600万円は今月中に預金して頂かないと銀行取引停止処分になります」


 その言葉に私はホッと胸の内を撫でおろす。

 

「わかりました。それでは600万円――、これで大丈夫ですね?」

「無理はされない方がいいかと――、ちょうど近くの株式会社 藤和さんが――」


 私は、富山さんが言い終わる前にカバンの中から100万円の束を6つ出してテーブルの上に置く。

 

「――え? ……え?」

「これで、問題はありませんね?」

「…………え、ええ。そ、そうですね……。すぐに手続きを取ってまいりますので……」


 ブースから出ていく富山さんの後ろ姿を見送ったあと。

 私は深くため息をつく。


「よかった……」


 思わず心の底から溜息をつく。

 それにしても一度の不渡りで銀行取引停止処分など聞いたことがない。


「藤和が絡んでいるのか」


 思わず苛立ちを含む声で小さく呟いてしまう。

 うちの土地を狙っているのは知ってはいたが、まさか興業銀行に圧力を掛けてくるとは思わなかった。

 何とかしないといけない。

 家族を守るために――。


「藤和様、お待たせしました。入金が出来ましたので、これで銀行取引停止処分枠からは除外されましたので――」

「そうですか。それでは一筆頂けますか?」


 形として残すために、富山さんに一筆認めてもらう。

 言った! 言わない! に、なったら裁判の時に時間が掛かるからだ。




「いま戻った」

「あなた、おかえりなさい。どうだったの?」

「銀行取引処分については預金が規定値に達したこともあり取り下げてくれた」

「よかったわね」

「そうだな」


 妻も胸を撫でおろしている。

 私は、事務所の冷蔵庫から冷たいお茶を取り出して来年に小学校に上がる娘のことを思い出しつつ――。


「穂香、こんど一香(いちか)のランドセルでも見にいかないか?」

「そうね」


 久しぶりに妻が、陰りのない笑顔を私に向けてきた。

 


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