第134話 来客
「おじちゃん」
「どうした?」
「スポーツカーって何?」
「すごく速い車のことだな」
「この車よりも速いの?」
「そうだな」
まぁ、俺には関係ない話だと思うが……何かを探しているという話は気になる。
帰ったら雪音さんに話しておくとしよう。
目黒さんの家から自宅へ戻る間に、店の前がチラリと見える。
店の駐車場には、たくさんの車が停まっているが、それらは全て作業員の車で――、
「いっぱい車と人がいるの!」
チャイルドシートに座っている桜からも、店前の様子が見えたようだ。
俺は桜の言葉に「そうだな」と相槌を打ちながら店の横を車で通りすぎようとするが、駐車場には明らかに作業員が乗るような車では無い車種――、ランサーエボリューションが停まっているのが見える。
気にせず母屋の方へと向かおうとしたところで車の側面に貼られているステッカーが目に入って来た。
思わず車を停めて確認するが――、そのステッカーは見たことがある。
それは……。
「おじちゃん?」
桜の声にハッ! と、する。
そして、すぐに母屋の方へ向かうが……、どうして――、あの車があるのか……。
嫌な予感がしながら母屋へと戻り、桜を車から降ろしたあと玄関の戸を開ける。
「ただいまなの!」
元気よく挨拶をして靴を脱ぐ桜。
そして――、
「桜ちゃん、五郎さん、おかえりなさい」
俺と桜が帰ってきたことに気が付いたのか雪音さんが玄関まで小走りで迎えにくる。
「ただいま」
俺も挨拶を返しながら――、だが! 玄関に置かれている見慣れない靴を見て眉を寄せる。
「雪音さん、誰か来ていますか?」
「五郎さんに会いたいという方が来ています。お知り合いだと――」
「そうですか……」
やっぱりか……。
20年近く連絡を一切取っていなかったのにな。
「五郎さん……」
「な、なんでしょうか?」
「私は同席しない方がいいですよね?」
「はい。申し訳ありません」
「いえ。桜ちゃんも、お部屋に行きましょう」
雪音さんが、桜の小さな手を握るが――、桜はテコとして動こうとはしない。
「桜ちゃん?」
「いま来ている人……、おじちゃんに酷い事するひとたちなの?」
「どうして?」
雪音さんが理由を聞くが――、
「だって、おじちゃん……、いつもと違うの……」
動かずに、俺を見上げてくる桜。
その表情は感情がどこかで抜け落ちたかのようで……、ハイライトが消えた目で俺を見てくる。
俺は、桜の頭を撫で――、
「そんなことないぞ。ちょっと昔の知り合いだからな」
「そうなの?」
「ああ……」
俺は桜の頭を撫でながら言葉を交わす。
それだけでハイライトが消えていた桜の瞳に光が戻る。
もう大丈夫だと思い、手を離したあと雪音さんの方を見る。
「それじゃ雪音さん、桜のことをよろしくお願いします」
「分かりました」
渋々といった様子で桜は雪音さんと台所の方へと去っていく。
その後ろ姿を見送ったあと、おれは客室へと向かい手でノックしたあと戸を開けてから室内に入る。
室内には、雪音さんが対応したのか座布団の上に二人の男が座っていた。
一人は60代の背広を着た男で正座をしていて、もう一人は20代後半の胡坐をかいている男。
60代の男の方は面識がある。
俺が昔に所属していた車産業で日本でも有数の大企業『日綜産業株式会社』のレーシング部門の責任者であった人物――、辻川(つじかわ) 慎二(しんじ)さん。
「辻川さん、お待たせしました」
「いや、待ってはいないよ。それより突然、訪問してしまってすまないな」
「いえ、それよりも……もう互いに干渉しないという約束だったはずですが……」
俺は初老の男性――、かつては俺の上司であった辻川さんへと視線を向けるが――、
「その言い方はないんじゃないか? こんな田舎まで会いにきてやったのに」
俺と辻川さんの話し合いの場に割って入ってきた年若い男。
「彼は?」
「俺の名前は、玉村(たまむら) 雄一郎(ゆういちろう)だ。――で! 俺は、日綜産業株式会社の次期社長様だ!」
辻川さんに聞いたというのに本人が答えてくる。
それだけで何となくだが察してしまう。
面倒な人間だと。
俺はジト目で辻川さんの方を見るが――。
辻川さんは申し訳なさそうに頭を下げてくる。
どうやら、次期社長には頭が上がらないらしい。
辻川さんは意を決したかのような表情になる。
「月山君、力を貸してほしい」
「お断りします」
「そこを何とか! 話だけでも!」
「お断りします。むしろ、すぐに帰ってください」
話を聞くまでもない。
どうせ、お願いなど決まっている。
「おい! 月山!」
「――ん?」
声のした方――、年若い男の方を見る。
男の服装は、背広の辻川さんとは対照的にチンピラが着るようなハデな服装をしている。
その服装を見た瞬間、日本でも有数の自動車会社――、日綜産業株式会社も倒産するんだろうなと思ってしまったが……。
「1000万円だ! 1000万円で、お前をワンシーズンだけ借りたい。どうだ? 破格の条件だろう? お前なら、ダカールラリーで優勝する事も出来るんだろう?」
「それは無理だな」
予想通りの答えに俺は内心溜息をつきながら答える。
「――な! 何故だ!?」
動揺する玉村という男。
俺が断ると思っていなかったのだろう。
「それは優勝出来ないということか!」
ずいぶんと安易に優勝という言葉を口にしてくれるな。
ただ、その様子を見て俺は確信する。
「辻川さん。彼は、レース関係については?」
「今年、レーシング部門の総責任者に抜擢されたばかりだよ」
「なるほど……。それで、辻川さんが俺を紹介したんですか?」
「いや――」
辻川さんは否定してくる。
それを聞いて、少しだけ安心する。
まぁ、辻川さんも元はプロドライバー。
そんな彼が俺の元に話を持ってくるわけがない。
「それではレースに関しての話は?」
辻川さんは、頭を振ってくる。
つまり何も話していないということか……、とくに肝心な部分を――。
「俺を無視するな! どういうことだ! 説明しろ! 辻川!」
「……社長より助言は禁止されています」
「――くっ!」
キッ! と、俺を見てくる玉村。
どうやら納得いく説明をしないと引き下がらないようだな。
面倒だが仕方ないか。
「はぁ……、ダカールラリーに参加するのは常日頃から運転を毎日のように修練している連中だ」
「……」
無言のまま俺を見てくる辻川さん。
「つまり、車の運転のエキスパート達が、常に日頃から切磋琢磨して、その中で選ばれる一握りがダカールラリーに参加しているという事です。たしか、最近では世界ラリー選手権に参加している中から優秀な成績を収めた人が起用されているはず。そんな猛者の中に、20年近くブランクのある人間が参加して勝てるほどレースという勝負の世界は甘くはないんですよ」
「……だ、だが!」
俺の説明に納得いかないのか、怒りの感情を滲ませた目で隣に座っている辻川さんを睨みつける玉村という男。
「辻川! 何故、言わなかった! こんな田舎に来てまで無駄な時間を使わせるなんて!」
「……申し訳ありません」
「――ちっ! 無駄な時間を使った! 帰るぞ!」
「はい。月山君、面倒をかけてすまなかったね」
「本当です。早く帰ってください」
「そうだな」
余程怒っているのか玉村という男は小走りで玄関まで向かうと、さっさと靴を履いて母屋から出ていってしまう。
その後を追うようにして辻川さんも玄関まで向かうが靴を履いて玄関を出る前に俺の方を見てくる。
「月山君、いまは幸せか?」
「――ん?」
辻川さんの視線が廊下の先――、こちらを心配するように見てきている桜や雪音さんに向いていて――。
「そうですね」
「そうか……、妻子が居るのなら、そうかも知れないか……。それでは迷惑をかけたね」
「本当です。互いに干渉はしないように此れからもよろしくお願いします」
「そうだな。そうそう、月山君」
「何でしょうか?」
「……いや、なんでもない。君が、例の事件から立ち直ってくれたのなら、私も嬉しいよ」
「……」
「それじゃ月山君、失礼するよ」
辻川さんを見送ったあと、俺は溜息をつく。
「五郎さん。大丈夫ですか?」
心配そうな表情で話しかけてくる雪音さん。
「はい。それより、そろそろお昼ですね。今日は多くの職人が仕事をしているので買い物で忙しくなるかも知れないので自分は店に行ってきます。何かあったら内線で連絡をください」
「分かりました。あの……いえ――、何でもないです」
途中まで言いかけた言葉を雪音さんは呑み込むようにして俯く。
俺も、日綜産業株式会社時代の事は聞かれたくないので、逃げるようにして店に向かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます