第8話 来ちゃったよ…



 来たる月曜日。経流時は落ち着かない朝を迎えた。


『準備があるので今日は来れません。ごめんなさい!』


 食卓へ行くと、机の上にそう書かれた手紙が置いてあったのだ。

 経流時は血の気の引く音を幻聴した。いやな予感しかしなかった。もしや学校に呪符でも張って、自分を見はる気なのか、と経流時は戦慄を覚えた。


 そんな事を考えながら、隣に添えられていた朝食を口にした。少し冷めているのが勿体ないが、相変わらず美味しい。

しかし経流時は思う。

――何かが足りない。

経流時は冷蔵庫からマヨネーズを取り出し、サラダに掛けて食べた。しかし物足りなさは一向に消えない。


 ――1人ってこんなに寂しかったけ?


 経流時の心の中にそんな感情が芽生えていた。



 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★



「よう!」


 学校へ着くと、直ぐに経流時の元へ訪れる者がいた。


「ああ、おはよう甲樹」


 経流時が挨拶を返すと、切迫した表情で顔を覗いた。不可解だった。甲樹が経流時に話しかけてくることはある。しかし、こうやって教室に入った瞬間に向かってくることはない。精々一人で暇そうにしている時に話相手になるくらいだ。何か問題があったのか。貞美の今朝の手が見もあり、経流時の顔がみるみるうちに青白くなっていった。


「転校生が来るってよ! しかも……女子!」


「なんだそんな事かよ」


 経流時はホッと胸を撫で下ろした。止まっていた呼吸が再起動して、大きな溜息と一緒に声が吐き出る。


「なんだ、お前興味ないのか? 女子だぞ??」


「いや気になるよ」


 確かに、この時期に転校生とはなかなか珍しいものである。何せ経流時もある理由で、中学入学に合わせて転校した人間だ。サッカー推薦で入学した甲樹とは偶々一緒になったが、元々彼らは、ここから少し離れた町に住んでいた。


「まあそうだよな、女子だし!」


 甲樹はそう言い残してクラスの宴に戻っていった。そしてまた嬉しそうにこの話をするのであった。面食い甲樹とはよく言われたもので、転校生が女子となればさぞ楽しみなことだろう。転校生に「甲樹には気を付けろ」と忠告する男子が何人いるだろうか。


経流時が何気なく教室を眺めると、椙屡の姿が目に入った。


「お、おはよう椙屡」


 机に突っ伏せている彼の前に立ち、挨拶をする。椙屡は毎朝、こうやって寝ている。受験期だというのに、徹夜でゲームをしているのだという。「二次恋愛ニャー」とかいうゲームだったか、経流時も強く勧められたことがあった。彼女のできない男子向けのゲームだという。まったく失礼な気遣いである。


「やあおはよう。良い顔をするようになったね経流時君。彼女にでも起こしてもらったのかいえへへ?」


 むくっと起き上がる椙屡。口元には笑顔が浮かべられていたが、血走った眼には狂気が宿っていた。殺気の籠った無感情な棒読みが経流時の体を震わせた。


 ――そんな怒ることかよ……。

土日を通して機嫌を治してくれると思ったが、そう簡単には許してくれないようだ。

 確かに、経流時も椙屡に彼女ができたと言われたら、そうなっていたかもしれないと思ったりもした。しかしこれ程ともなると、椙屡のリア充への殺意は比べるに値しない執着だった。そして経流時は、溜息を一つ拵えて静かに席に戻るのであった。


 転校生か……。

 不意に中学時代を思い出す経流時。色々あったあの頃。彼の人生を180度変えてしまった事件が、突然脳を掠めた。

 ――いや、よしておこう。

これを思い出す時は、いつも良くないことが起こる。気持ちの問題であるのだろうが、考えないに越したことはない。ふと椙屡の席を見ると、彼はまだ乾いた眼球で経流時を見ていた。経流時は苦笑しながら静かに手を振った。


「それじゃあ席に着け」


 担任の号令で朝の始業が始まる。


「今日は転校生がいる」


 担任のテンプレ発言に合わせて、一人の女子が教室に入ってきた。


「お~!」


 クラスの男子の大半が小声の歓声を漏らした。経流時もそのうちの一人だった。

 凄く可愛い子だ。幼さの残る顔には柔らかな表情を浮かべており、綺麗な黒髪は腰の高さに揃えられている。制服がやけに似合い、The Jk ここにあり!! といったオーラを醸し出している。そしてその女性が経流時の顔を見て、何故か笑顔を見せたのだ。

――あれ知り合いだった?

 しかし、経流時には見覚えのない程の美貌。自分の勘違いではないかと疑った。


「そ、それじゃあ、自己紹介を頼む、ます」


 いつも厳格な担任も、何故か敬語を使って自己紹介を促した。経流時は顔を赤らめるな気持ち悪い! と内心叫んだ。


 女性は一礼して口を開いた。


「時戻貞美(ときもとさだみ)です。短い期間ですがどうぞよろしくお願いします!」


 幼く、美しい声が教室に心地よく響く。クラスにいた全員が耳のマッサージを受けたようにトロンとした表情に変わった。

ただ経流時一人を除いて

 貞美と名乗る女性が、経流時の顔を見てウィンクした。それが経流時に、10秒ほどのフリーズを齎し、


「ええええーーー!!!」


 彼は全力で叫んでしまった。



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