第5話 黄昏時に

 経流時の座席は教室の一番後ろ。付け加えて窓際である。

 経流時はこの席が好きだった。クラスの賑やかな雰囲気の影になるその場所は、一人で黄昏るには持って来いの、憩いの領域だ。

 窓から空を眺める。貞美について考えていた。


「よう。いつも以上に暗い顔してどうした?」


 そんな経流時の元へ、友人が一人やってきた。

 彼の名は尾登甲樹(おとこうき)。経流時とは一番付き合いが長い。この学校では珍しい体育会系の生徒で、茶髪の地毛と八重歯がチャームポイントである。小学校時代に経流時をサッカークラブに誘ったのも彼だった。


「ちょっと考え事をしててね」


 困った表情を見せる経流時に、甲樹は目を細めた。その眼力は強い。経流時は自分の心情が見透かされているような感覚に陥った。

 興味を持ったのか、甲樹は前の席に腰かけると、経流時に詳細を要求した。


「もし、幽霊が彼女になったらどうする?」


 経流時はドストレートに聞いた。甲樹の性格をよく理解しているからだ。彼は回りくどい話が嫌いだ。

 それを聞いた甲樹は腹を抱えて大笑いした。流石に妄想が過ぎると、笑顔で言われた。そんなことで悩んでいたら一生彼女なんてできないぞ、とも。

 周囲の視線が経流時へと集まる。経流時は大声を出さないように懇願した。


 サッカー推薦での進学が決まっている甲樹は、この学校ではかなり有名である。曰く、甲樹の出場する試合には、女性観客が3割増えるとか。曰く、同日中に3通のラブレターが届いたことがあるとか。一通くらい分けてほしいものであるが、そんな都市伝説染みた妄想の世界が現実になるくらい、とにかくモテるのだ。


 だから経流時は甲樹に助言を求めた。先程まで笑い転げていた甲樹であったが、経流時の真面目な表情を見て何か感じ取ったのか、真摯に答えてくれた。


「まあ、これは人間でも同じことだけどなあ、相手を知ろうとすることが大切じゃね? お前の言う幽霊なんてわからいことだらけなんだから、重要だろうな」


 まじめに彼女作る努力をするこったな、と言い残し、甲樹はまたクラスの喧騒に紛れていった。


 甲樹の発言は、経流時の心に深く刺さった。

 思い出したのは今朝のことだ。いつもより時間に余裕のできた15分。あの時、経流時は貞美と言葉を交わすべきだったのだ。心なしか、貞美の雰囲気が少し暗くなったのは、きっと経流時が登校時間を早めたせいだ。

 貞美はもっと、経流時と話をしたかったのだろう。経流時が早く家を出ようとした時、貞美はなんと思っただろうか。そう考えると、経流時は罪悪感に苛まれた。


 兎に角、経流時からのアプローチが足りないのだ。寄り道をせずに早く帰ろうと心に決めた。


「なんの話をしてたの?」


 珍しいことに、経流時の元に二人目の来訪者がいた。そも、彼がこの時間に登校していること自体珍しいのだが。


「いやちょっとね」


 経流時が愛想笑いをして見せると、彼女――苧町翠(おまちみどり)は目を細めた。

 翠は生徒会に所属する。腰まで届く長い黒髪が特徴的で、クラスのマドンナ的存在である。なぜそんな彼女が経流時に話しかけたのか、それは経流時には分かっていた。苧町翠は甲樹のことが好きなのだ。故に、彼について貪欲に知ろうとする。

 翠程の美少女であれば甲樹もオーケーサインを出すだろうが、何せ甲樹はモテる。それも交際相手がいない期間が殆どない程だ。

 スーパーのタイムセール並みの競争倍率。それはもう狂気の沙汰で、女子生徒たちは目を光らせて甲樹という、お一人様限定商品に手を伸ばす。


 そこで重要になるのが、付き合っていない期間を当てることだ。その情報を得るために、翠は細かな目配りも忘れない。

 経流時は自分の悩みを聞いてもらっていたと、正直に答えた。すると、翠は興味ないといった感じにその場を後にした。

 経流時君は頼りないからモテないのよ、と言い残して。


 経流時は瞼に熱いものを感じた。



 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★



 授業が始まる直前、経流時は不運に見舞われた。

 筆箱を忘れた。

 昨日、貞美のことがあり、支度をせずに寝てしまったせいだ。

 

「あの、ちょっ.....」


 仕方がないので隣の子に借りようと声をかけようとしたその時、スマホから通知音が流れた。しっかりとマナーモードにしたはずだ。経流時は急いでスマホを取り出して電源を落とそうとした。しかし、ホーム画面を見て硬直した。


 そこには貞美の姿があった。ホーム画面から手を振っている。

 一体どうしたのかと聞こうとしたが、目的は直ぐに分かった。

 貞美の右手には筆箱が握られていた。貞美が手を前へ突き出すと、スマートフォンが筆箱を吐き出した。まるで、画面から筆箱が生えてきたようにも見えた。


「ありがとう」


 経流時が小声で言うと、『どういたしまして』と返ってきた。

 そして自分の頭を画面越しに撫でて、とも。

 何か意味があるのやらと戸惑う経流時であったが、人差し指の腹で撫でてやった。すると、身体を縮めて喜ぶ貞美。満足したのか、手を振って画面から消えていった。心の中で、あざといタッチ機能付きかとツッコンだ。一方でその様子に、経流時は心癒され、微笑んだ。


「おい経流時! 授業が始まってるぞ!!」


 国語の教師の雷に、経流時は現実に戻された。


 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★


「それにしても、今日は早かったなあ」


 時刻は12時35分。経流時は友人と2人で昼食をとる。友人の名は古杉椙屡(ふるすぎすぎる)。最も付き合いの長い友人を甲樹と紹介するなら、椙屡は最も趣味の合う友人といえる。椙屡は今朝方、自分よりも早く登校していた経流時に驚かされた。まさか万年遅刻3秒前登校の経流時が余裕を持って登校するなんて、まさか彼女でもできたのかと経流時に問い詰めた。


「早起きしたんだよ」


 と経流時が告げる。勘の鋭い椙屡は疑いの目を向けた。

 誰でも早起きくらいするだろうにと溜息を吐く経流時。普段通り、何気なくお弁当箱を開けた。


「……は?」


 経流時はそのクオリティに驚かされた。しかし声を上げたのは椙屡だった。


「おまっ!! ちょっ待て待て!! なんだその弁当はーー―!?」


 教室中に響くほどの大声で叫んだ。クラスの注目は当然、二人へ行く。しかし、そんな事もお構いなしに、額に汗粒を浮かばせる椙屡は鬼の形相で続ける。


「……やっぱりかのぴっぴか!?」


 経流時は口に含ませたお茶を吹き出しそうになった。椙屡の声が大きすぎる。二人のもとに、益々視線が集まる。

 しかし、椙屡がそう考えるのも不思議ではなかった。お弁当箱の中身を見れば、しっかりと目まで付いたタコさんウィンナーに、ご飯に添えられた『今日も頑張ってね』の海苔文字。色とりどりに並べられたおかずの数々。どう見てもカップルのそれである。


「おお!? 経流時君、俺に内緒で彼女作ったったの?」


 吸い寄せられるようにやってくる甲樹。椅子をアクロバットに跨いであっという間に経流時の前に立ち、顔を覗き込んだ。その顔には邪険を帯びた笑みが浮かべられていた。

 経流時は弁解を試みるが、良い言い訳が思いつかない。


「まさか経流時に彼女ができるなんて……お前、リア充の呪いにでもかけられたんじゃないか?」


 今にも消えそうな声を漏らす椙屡。強ち間違っていない考察に、経流時は微笑を漏らした。


「何この弁当!?」


「絶対こういうことする女の子って可愛いよな~」


「死ねリア充……」


 押し黙る経流時を置いて盛り上がるクラスメイト達。目立つことに不慣れな経流時は椙屡に救いを求めるが、彼の血走った目に睨まれ下を向くことしかできなかった。それと、明らかに殺意を孕んだリア充撲滅詠唱に身体を震わせた。「誰だ言ったの?」と内心叫ぶ。



「なあ、今度会わせろよ!」


 甲樹の言葉に、経流時は完全にフリーズした。





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