第4話 夢……じゃなかった

 小さな寝息に被せて、目覚ましの音が鳴り響いた。経流時は手馴れた動きでアラームをオフにする。布団を持ち上げ、伸びと欠伸を拵え、時計を仰ぎ見た。

 時刻は午前6時30分。普段通りの起床時間であるが、経流時は倦怠感を覚えていた。昨夜ベッドに入った時間が遅かったからだ。その上、眠りが浅かったようで、一風変わった夢を見たのを覚えていた。

 TVから突如現れた怨霊。混乱したのか、傍や血迷ったのか、経流時は彼女に告白をしてしまった。そしてそれが、無事に成就してしまうといった、不思議な夢だ。自分はよっぽど青春に憧れているんだなと、経流時は再認識した。

季節は師走を迎えようとしている。高校性でいられる時間はあと僅かだ。そう考えると虚しかった。


 顔を洗ってからリビングに行くと、経流時は香ばしい匂いに迎えられた。

 キッチンには、料理をする女性の姿がある。花柄のエプロン姿がとても似合っており、頭上に音符が付きそうな程、楽しそうに作業をしている。そして素早い手捌きで、あっという間に朝食を完成させてしまった。

 

 自然と体が動き、経流時は2人分の座布団を用意した。机を挟んで向かい合うように置いて、そして一方に腰かけた。

 

 出来立てほやほやのうどんが、経流時の前へ出される。

 とてもおいしそうだ。色とりどりで、それは朝食のクオリティを遥かに超えていた。

 経流時は箸を持って、うどんに向かう。写真を撮って、ツイッターに載せたいくらいだったが、折角の手作りだ。止めておこうとスマホを置いた。


「それじゃあ、いただきます……って、ちょっと待って!!」


 と、ここで経流時は違和感に気が付いた。強烈なツッコミが、目の前の少女に炸裂する。同時に昨夜の出来事が夢ではなかったことを認識した。経流時には同居人は疎か、出来る幼馴染もいない。

 少女――貞美は、クッキンググローブを外しながら不思議そうに首を傾げた。


「ど、どうして家にいるの?」


 経流時は顔色を真っ青にして尋ねた。付き合っているとしても同居するなんて聞いてない。というか、本当に付き合っているのか、という疑問もある。


『経流時君に喜んでほしくて!』


 声が出ないのか、懐から取り出したお絵かき帳に、素早く文字を書く貞美。表情こそ見えないものの楽しそうであった。


 そんな事よりも冷めてしまいますよ、と食事を促す。

 言及したいことは山ほどあったが、経流時は一先ず落ち着きを取り戻し、うどんに目を落とす。人肉でも入ってるのではないかと疑う。しかし折角作ってくれたのだ。食べないわけにはいかない。経流時は恐る恐る、麺一本を口に含ませた。


 ――うまい!


 経流時は目を見開いて驚いた。美味しい上に後味がいい。朝食ということを考慮して、胃凭いもたれしないように油分を少なくしているようだ。それに加えて満足のいく味付けがなされている。味とカロリーを両立した奇跡の一品。口の中に残る幸せが、経流時の食欲を増幅させた。


 お代わりを繰り返すこと三度。瞬く間に鍋の中は空になった。

 朝起きが苦手な経流時は朝食を抜くことが多い。それに、料理自体得意ではない。自炊など滅多にせず、カップ麺で済ましてしまう日も多かった。だから、稀に見ない豪華な朝食に、経流時は幸せを噛み締めていた。

 一方で貞美は幸せそうな顔――は見えないが、そういう雰囲気で経流時を見つめていた。


「ご馳走様。おいしかったよ」


『本当ですか! 新鮮な人肉を使って良かったです!』


「――」


『冗談ですよ!……怨霊界では結構ウケるんですけどね』


 経流時の顔が再び青白く変わるのを見て、貞美は笑い口調文体で誤魔化した。経流時からしたら趣味の悪いブラックジョークでしかない。額に汗粒が浮かんでいる。しかし、一種のカルチャーショックだと思って受け止めることにした。


 霊界で人肉を食べるのか、という疑問は心の中に仕舞い、経流時は学校へ向かう準備を始めた。


 先ずは着替えだ。この季節にパジャマ姿は少々きつい。洗濯場に行き、ワイシャツを手にする。驚いたことに、ワイシャツにはアイロンのかけられた。しかも皴一つない。そして新品のモノと比べても劣らない程白く、綺麗に畳まれていた。

 貞美は腰に手を当ててドヤ顔――否ドヤ姿勢をして見せた。確かに、井戸住まいにもかかわらず、貞美のワンピースも皴一つなく真っ白だ。その道のプロに下駄を履かせても、貞美にはきっと敵わないだろう。


 その後も、新品同様の染み無し学ランや、出来上がったお弁当に迎えられ、結局歯磨きや着替えしかやることがなかった。

 何せ、自由自在に動く貞美の黒髪が有能すぎた。伸縮自在で、一本一本を両腕のように扱えるという。

 

 時計を見れば、家を出る時間まで15分もある。普段は遅刻ギリギリで登校するので、偶には早く行って友人を驚かせるのもいいと思った。


『忘れ物はない? 今夜は何時? 隣にお尻丸出しの悪霊がいるけど、気にしちゃだめですよ?』


 経流時が玄関へ向かうと、貞美はまるで新婚の夫婦のようなやり取りは始めた。経流時は最後の忠告が気になってそれ処ではなかったが、雰囲気に合わせて返事をした。


「それじゃあ言ってくるよ」


 経流時は扉を開けて外へ出た。


『いってらっしゃい♡』


 玄関では、お絵かき帳を掲げながら、貞美がゆっくりと手を振って見送っていた。

 その雰囲気が少し寂しそうであったことに、経流時は気づきもしなかった。



 ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★



 経流時は一人歩きながら心の中で叫ぶ。


 ――どう接していけばいいんだ


 今朝のやり取りから、貞美は経流時の事を受け入れている。経流時についてもっと知り、交流を深めようと努めてくれている。ほとんどの家事をパーフェクトに熟し、まるで面倒見の良い幼馴染のような対応。そんなやる気満々な姿を見れば一目瞭然であった。


 一方で経流時は悩んでいた。本当に上手くやっていけるのか。向こうは怨霊で自分は人間。どこかで齟齬が生まれるのではないか、と。

 平生から心配性な性格が、経流時の不安を煽る。

 経流時自身、自分から告白しておいて、自己中心的な悩みであることは分かっている。しかし、恋愛経験ゼロの自分が、貞美を幸せにすることができるのだろうか?

 陽気に振る舞う貞美の姿を思い出し、焦燥感と罪悪感に背中を焼かれた。


 経流時のネガティブな悩みは、学校に着いてからも続いた。





 おまけ


 貞美の必需品そのⅠ 怨霊の心得



 一つ、怨霊は恐怖であるべし!

 恐れられない怨霊に、怨霊を名乗る資格はない !!



 一つ、怨霊は清楚であるべし!

 飾り付けなど必要ない! 己の実力だけを信頼せよ!!



 一つ、怨霊は厳格であるべし!

 時間、方法、状況、すべて計画通りに遂行せよ!!



 一つ、怨霊は固有であるべし!

 己のアイデンティティを大切にし、そして重んぜよ!!



 一つ、怨霊は聖職であるべし!

 怨霊としてのプロ意識を持て! 帰る時も怨霊らしく!!



 一つ、怨霊は無害であるべし!

 人を傷つけてはならない! 恐怖が仕事そのものである!!



 貞美がこのリストを経流時に見られ、同情されたのはまた別の話である。




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