第18話 宴の終わり

 それから数日が経ちました。

 体調の回復したイリ王子の前に、二人の絵師が召し上げられました。

 壁画の作成補佐に尽力した二人の絵師に、王子がねぎらいの言葉を贈るというのがお召しの理由でした。

 その席上で当代一の竜絵師第二十七代龍壮言は、セフィド・キタイを去る挨拶をひとしきり述べたあとに、ため息をつきました。

「いやまったく、惜しい人を亡くしました。儂は、何を隠そう、我が龍家の二十八代当主には、是非あの少女スーリをと考えておったのです。それほどの才能、技術、そして精神の持ち主でした。彼女を救えなかったのはこの龍壮言、最大の失態でした」

 イリ王子は御簾の中から、優しい言葉をかけました。

「壮言様は、よく尽くしていただきました。壮言様がいなければ、壁画の完成はなかったでしょう。どうか,お気を落とさずに」

 老いてなお盛んな老絵師は、イリ王子の言葉をうけて、頭を二度三度振りました。

「そうですな。過ぎてしまったことを悔やむのは、龍家の流儀に合いませぬ。ここでの経験は弟子たちにも大きな糧になりました。いずれ頭角を現し、我が跡を継ぐものがでるかもしれませぬ。それとも、シュンメイ殿」

 龍壮言は、隣にいるシュンメイに目をやりました。

 シュンメイは目をそらします。

「おぬしに、もう少し体力があったならばのう。おぬしの技量は申し分ないが、その体では、竜を探す旅などとてもとても」


 シュンメイは、あの火事を消そうとした龍壮言たちの姿に竜を見たことを思い出しました。

 しかしそれを話すと、面倒なことになりそうだったので黙っていました。

 後日シュンメイは、偶然再会を果たした龍壮言にその話をするのですが、それはこのときから十年も後の話になります。


「それでは、おさらばでござる。イリ殿下、シュンメイ殿、ごきげんよう」


 龍壮言が宮殿を出ると、そこには壁画の評判から百人に膨れ上がった壮言の弟子たちが,輿を担ぎ、楽器を打ち鳴らして待っていました。

 そうして竜絵師は、来たときよりもにぎやかに、セフィド・キタイを去っていきました。


「行ってしまわれましたね」

 イリ王子は御簾を上げさせると、御付の者たちを下がらせました。

「まさか、シュンメイ先生までどこかへ行かれるおつもりじゃないですよね」

「……」

「先生は、また僕に絵を教えてくださらないのですか?」

 イリ王子の顔はまだ青白く、半分泣きそうでした。

 シュンメイは答えました。

「……教えるといっても、世界一の絵師に教えることなどありません」

 イリ王子は言葉に詰まりました。

「最初に雀の絵を見た時、殿下の顔が浮かびました。でも、あのスーリという娘は紛れもない女の子でしたので……お顔を拝見するまで、まったく気がつきませんでした」


「だますつもりじゃなかったんです。いつかお話しようと……」

 イリ王子は、シュンメイに全てを白状しました。

 今から十五年前、国王夫妻に授かった子が女子であったため、妾を立てねばならぬことを嫌った国王が、娘を王子として育てたこと。

 次子が生まれるまでの約束が、なかなか子宝に恵まれず、このような年になってしまったこと。

 父と母以外にそれを知るものはいないこと。


「いつまでこんなことをとも思っているんだけど、父上が母上を大事にしてくれるのは嬉しいし、二人とも弟を作るためにがんばってくれているし、今更女でしたなんてどんな顔して言えばいいのかわからなくて……ごめんなさい」

 イリ王子はまるで悪戯がバレて大目玉を喰らった子供のように、後ろに手を組んでうなだれました。

「がんばってくれているねぇ。いや、私はけっして怒っているわけではありません。そんなことで国を出ようとしているわけではないのです。殿下、頭をお上げになって、お聞きください。」

「はい。」

「今回の騒動で、私の絵をまだまだだと言ってくれるものがおりました。たしかに、私もそう思います。しかしそれは悪い意味ではなく、まだまだ私の絵には未来がある、と考えたいのです。広い世界にでて、私の絵の未来を探したいと思います」

 イリ王子は、シュンメイの言葉を食い入るように聞いていました。

 その両の瞳は今にも涙があふれそうに潤んでいます。やがて感極まったように、拳を握りしめて叫びました。

「じゃあ、僕も連れていってください! 僕は、私は先生のことがっ!」

 シュンメイは首を横に振りました。

「だめです。王子には王子のなさねばならぬことがあります。壁画にこめた願いを、思い出してください。誰にでもできることではありません」

「……」

 王子は必死で涙をこらえながら、鼻をすすっています。

 シュンメイはちょっと迷った後で、固く握りしめられた王子の右手を、両手で優しく包み込んで言いました。

「二度と戻らぬ旅にでるわけではありません。帰ってきたら、また、一緒に絵を描きましょう」

「……はい」

「誰かと一緒に絵を描いたのは十年ぶりくらいでした。この三ヶ月、本当に楽しかった」

「はい、僕もとっても楽しかったです」

 そう言いながらやっと笑った王子の顔は、まさに天使のような少女の笑顔でした。

 シュンメイには、何故これまで自分が、この笑顔を男の子のものだと思っていたのか、どう考えても理解できませんでした。


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