第14話 壁画の完成

 そして、成人の儀まであと二日と迫ったある夜。

 聖堂に建てられた高台の上に、スーリとシュンメイが寝転んでいました。

 もちろん、遊んでいるわけではありません。仰向けになって、天井の絵付けをしているのです。

 最後に残った月と太陽に二人が筆を入れると、いよいよ壁画の完成です。

 実際には、漆喰が乾くにしたがってさらに色彩がかわり、透明度を増して完成形となるのですが、人の手で行えることはここまでです。

 深夜の聖堂に、いつのまにか拍手喝采が巻き起こりました。言いようのない達成感が壁画に関わったすべての者を包んでいます。

「ありがとう、シュンメイ先生」

 スーリは隣に寝転ぶシュンメイに、仮面をつけていてもはっきりとわかる笑顔を向けました。さらに起き上がって堂下に叫びます。

「みんな、ありがとう!」

 少女に祝福の言葉を述べようと、みな高台の下に集まって来ました。

 大人の背丈三人分ほどの高台から、スーリはゆっくりゆっくり梯子を下りていきます。ところが――

「あっ」

 またも足を滑らせてしまいました。

 一同ひやっとしましたが、前回と違い、今日はこれだけの人間がいます。

「おおっと!」

 落ちてきたスーリを抱き止めたのは、先に下りていたシュンメイでした。

「よかった。今日は受け止められました。おや、大丈夫ですか? 少し熱がありますね」

 スーリは黙ってうなずきます。

 少女が恥ずかしがっていた様子なのと、以前龍壮言が言った品のない言葉を思い出して、シュンメイはあわててスーリを下ろしました。

「大丈夫ですか?」

「ちょっと疲れただけです」

「お医者さんにいきませんか?」

「いいえ。できればここで、しばらく絵を見ていたいのです。だめですか?」

 スーリの希望で、彼女は聖堂の奥の部屋に床を作り、成人の儀まで体を休めることにしました。


 翌日。

 龍壮言とその弟子たちは昨日から打ち上げの宴に出かけており、聖堂にはシュンメイの他に数名の弟子と警備の兵が残っているだけでした。聞くところによれば、大作を仕上げたあとは、十日間以上宴が続くことも珍しくないそうです。


「シュンメイ殿!」

 呼ぶ声に振り返ると、警備に当たっている親衛隊長でした。

「親衛隊本部より連絡があり、イルカン族の侵入者たちの根城が発覚いたしました。われわれも至急そちらに向かわせていただきます」

「ご苦労様です」

「念のため、数名は残します。では」


 残されたシュンメイは聖堂の中央に立ち、ただ壁画を眺めていました。

 これは、間違いなく今まで見た中で最高の作品です。

 自分の手によるものではありませんでしたが、不思議とそれを妬ましいとか、うらやましいと思う気にはなりませんでした。

(壁画も仕上がったことだし、私も旅に出るか……)

 ただし、まだ気がかりなことがあります。

 スーリの体調と、梁姫のことです。


(スーリは、大丈夫だろうか?)


 奥の部屋を訪ねてみると、少女の姿がありません。


「さっき出かけて行きましたよ。もう壁画も完成しちゃったことですし、シュンメイ先生に大事な話がおありなら、急いだほうがいいんじゃないですか?」


 残っていた弟子が、ニヤニヤしながらいいました。

 少し酒が残っているようですが、龍の弟子たちの間では、シュンメイがスーリをひどく気にしていると噂が面白おかしく広がっているのでした。

 そのときでした。


「きゃー! 助けて!」


 聖堂の外で、声がしました。

 飛び出すと、ものすごい勢いで逃げ去る馬車の姿があります。

 通りかかった油売りの少女が馬車を指差していいました。

「あの馬車に、若い女の子が無理やり載せられたんだ! 人さらいだよ!」

 残っていた警備兵と弟子たちはあわてて馬車を追いかけます。

 シュンメイは、油売りの少女をみつめました。少女は貧しい身なりをして、痩せた牛に大きな油壺をいくつもくくりつけています。

「犯人は、どんな奴らでした?」

「ええと、それは……」

 答えに窮する少女に、牛の後ろにいた男が助け船を出します。

「ありゃ、この国の人間じゃないね。イルカン族の奴らだな」

 その手はごつく、いかにも油売りといった風情ですが、シュンメイは男の爪に目が行きました。

「わかった、親衛隊に知らせてこよう。教えてくれてありがとう」

 シュンメイは、あわたようすで聖堂を出ました。

 付近にいた小僧にお金をにぎらせて龍壮言に伝言を頼むと、一番手頃な角材を掴んでいささかの細工を施します。


「よし、いくぞ!」


 そう叫んで歯を食いしばると、来た道を戻って無人のはずの聖堂の扉を大きく開け放ちました。

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