第13話 イリ王子と梁姫
「シュンメイ先生、何してるんですか? こんなところで」
少し離れた場所の生け垣ががさごそとゆれて、そこから顔を出したのは、なんとイリ王子でした。
「えっ、あっ、イリ殿下! ど、どうも」
「どうもって……なぁんだ、僕に会いに来てくれたわけじゃないんですね。こっちは、禊だかなんだか知らないけど、寺院に閉じ込められて退屈で死にそうだっていうのに……」
垣根から首だけを突き出した王子の表情は、死にそうな割にニコニコと上機嫌です。シュンメイは頭を下げました。
「殿下、申し訳ありません。壁画のこと。私の力が足らず」
「先生が世界一に選ばれなかったのは心外ですけど……でも、聞いています。先生も壁画を手伝ってくださっているんですよね、僕のために。だから僕にはそれで十分です。で、こんなところで何しているんですか?」
一瞬、スーリが梁姫の縁者かもしれないことを話してしまおうかと思いました。そうすれば、王子の身に危険が及ぶことはないでしょう。
しかしその場合、スーリはどうなるでしょうか?
梁姫の縁者であろうとなかろうと、まず捕縛され尋問されることは間違いありません。無事に釈放されたとしても、壁画の完成は大幅に遅れてしまうでしょう。
シュンメイは言葉を濁しました。
「あ、ええと、この辺りで女の子を見ませんでしたか?」
「ふーん、さすがはシュンメイ先生。教え子が禊に全身全霊を注いでいる間に、神聖な寺院の前で逢引ですか」
「違います! ……女の子というのは、件の世界一に選ばれた絵師ですよ。このあたりで見かけたのですが、迷子になりやしないかと心配で」
「見ませんでしたねぇ。それに寺院の警備は厳重ですから、中に人が入れば僧兵隊が飛んでくるはずですし」
「本当に警備は厳重なんですか? 殿下がこんなところに顔を出せるなんて」
「僕は警備の隙をつくのが大の得意ですから。ちょっと見じゃわからないと思いますが、この生け垣の部分だけが抜け道になってるんです」
「なるほど、ではその抜け道は早速僧兵隊の方々にご報告しておきます」
「そんなぁ、シュンメイ先生ひどいです!」
「それは冗談ですが、もしかしたら殿下の命を狙うものがいるかもしれません。ご用心ください」
そう言いながらも、シュンメイは少しだけ安堵していました。
僧兵隊が警備する寺院の中にいれば、もしスーリが梁姫の縁者でイリ王子に復讐を企んでいたとしても、手出しのしようがないでしょう。
今頃、おとなしく聖堂の宿舎に戻っているかもしれません。
そのとき、ふっと王子の顔が曇りました。
「それは、梁姫がこの国にいるいう話ですか?」
どうやら紫大臣が話してくれた噂は、すでに王子の耳にも入っているようです。
「梁姫が僕の命を狙うというのなら、いたしかたのないことかもしれません。僕は梁姫を騙していましたし、肝心のときに助けることができませんでした」
「それは殿下のせいではありません!」
シュンメイは慌てて否定しました。
騙していたというのがなんのことかわかりませんが、何にせよ、国同士が決めた政略結婚です。王子に責任を負わせるのは酷というものです。
「ありがとうございます。そう言ってもらえると少しは気が楽になります。では、そろそろ失礼しますね」
イリ王子は無理矢理に笑顔を浮かべ、ふと思い出しように言いました。
「そういえば、その少女絵師というのは可愛い子なんですか?」
予想外の問いに、シュンメイは思わず咳き込みます。
「ゴホゴホッ、可愛いかどうかなんて、顔が仮面で隠れているのでわかりませんよ。ただ話し方とか雰囲気とかは可愛い感じですけど……でも、なんで殿下がそんなことを」
「えっ、それはその、せっかく僕の壁画を描いてくれる子は、できれば可愛いほうがいいでしょう。そうですか、可愛いんですか、なんだか僕やる気が出てきちゃいました。これで今晩も頑張れそうです。シュンメイ先生も気をつけてお帰り下さい。壁画のこと、よろしくお願いしますね」
一転、浮かれた声でそう言うと王子は垣根の中に姿を消します。
(どうしたんだ、殿下は? まあ、そろそろ、お年頃なのかもしれないな)
シュンメイは、生け垣にむかって訊ねました。
「殿下!」
「なんだ?」
「もしも、もしもですよ、梁姫の居所がわかったら、どうなさいます?」
生け垣の向こうから、王子の声が答えました。
「彼女との婚約は、国同士で決めたことだ。実際にあったのは五歳の時に一度だけ。僕は、梁姫を好きだと思ったことは一度もない。でも、……」
「でも?」
「でも、僕らはいい友達ぐらいには、なれたはずだった。」
シュンメイは、王子と別れてしばらくスーリを捜しましたが、結局みつからずじまいでした。
歩きつかれて大聖堂に戻った時には、紫大臣の派遣した王都親衛隊一個中隊が到着し、高台の建設に取り掛かっていました。
いつの間にもどったのか、スーリが親衛隊に作業の指示をしています。
最初は不満顔だった隊員たちでしたが、大聖堂の壁画を見るといたく感激し、当初壊れた高台ひとつを作り直す予定だったのに、結局既存の四個全部を頑丈で可動式のものに作り変えてくれました。
さらに親衛隊はそのまま聖堂外周の警護につき、おかげで作業自体は急ピッチですすみました。
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