第12話 予兆

 数週間後、壁画作成はいよいよ佳境に差し掛かり、天井部分の作画に取り掛かっていました。

 大聖堂の天井に届くほどの高い木の台が二台立てられ、その上で、昼は弟子たちが漆喰を塗り、夜はシュンメイと龍壮言が仰向けになって空を描きます。

 単に空を描くといっても、壁画には朝焼けから夜空までの移り変わりが細かく表現されており、青色だけでも十二色が使われる予定でした。

 さて、夜になってシュンメイが台にあがって色を塗ろうとすると、昨日まであったはずの青色がありません。

(昨日、たしか台の上に上げておいたはずだが、……)

 シュンメイが絵具を取りに台につけられた梯子から飛び降りたその時でした。

 ゴゴゴゴゴゴ

 大きな音を立てて、台が崩れ落ちました。

 大聖堂内は、ホコリが煙のように舞い上がり、しばらく隣にいる人の顔さえも見えない有様です。 

「大丈夫か、けが人はないか!」

 シュンメイは肩を軽くぶつけた程度で無事でした。弟子たちにも大きなけが人はいないようです。

 ほこりがおさまると、天井まで届く高い台が、くずれて瓦礫の山になっていました。たまたま上に周囲にも誰もいなかったから良かったようなものの、一つ間違えれば大惨事になっていたところです。

 壮言は言いました。

「シュンメイ、おぬし運がいいな。柱の何箇所かに切れ込みがはいっておる。この台はいつ崩れても不思議ではなかった」


 翌日、シュンメイは紫大臣の下を訪れていました。

 何者かが台を壊す細工をしたことを報告するのと、至急かわりの新しい高台を作ってもらうためです。

「壁画を作られて困る人間にお心当たりはおありになりませんか?」

 正直、シュンメイは紫大臣が一番の容疑者だと考えていました。

 大臣もそれを察したようで、じっとシュンメイの目を見つめ返しました。

「壁画が無ければ、王子の成人の儀に傷がつく。それは、わが国に傷がつくということだ。わしはおぬしが生まれる以前より大臣職にあるが、わが国を損ねる行いをしたことは一度もない」

 シュンメイは大臣の瞳に嘘がないのを感じ、黙ってうなずきました。

 紫大臣は続けました。

「犯人には心当たりがある。北砂の国境警備隊より、イルカン族の一団が密入国したとの知らせを受けている。成人の儀を邪魔して得をするのは、イルカン族だけだからな。今後は直属の親衛隊を聖堂の警護に当たらせよう。高台の建設にも、彼らあたらせる。我が親衛隊ならば、城砦攻略用の堅固な高台を半日で組み立てることが出来る」

「ありがとうございます」

 ここまで力強く言葉をつなげた大臣は、最後に少し語気を弱めました。

「実はもう一団、密入国の知らせがあるのだ。これはおぬしらとは関係なかろうが……。梁姫が、この国に潜伏しているらしい」

「梁姫というと、王子の婚約者の?」

「元婚約者だ。姫の顔を知るものはわずかだが、おぬしはその一人だろう。もしも」

「見つけたら報告しろと」

「いや、この広い王都で、おぬしが梁姫と遭遇することなどあるまい。もし、こちらで梁姫らしい人物を確保した場合、身元確認のために立ち会ってもらいたい」


 王宮からの帰り道。

 シュンメイは、正門広場を横切るスーリの姿をみつけました。

 スーリはきょろきょろと辺りをうかがいながら、いかにも怪しい様子で歩いています。

 悩んだ挙句、シュンメイはスーリの後をつけることにしました。

 シュンメイの頭に、龍壮言の推理と紫大臣の言葉が交互に浮かんでは消えます。

(別にスーリのことが気に入っているとか、そういうことではないぞ、あんな子供相手に)

「でも心配するだろう、普通に考えて」

 彼女の足取りを追うのは簡単です。なんといってもあの目立つ仮面ですから、誰かしら、スーリがどこにいた、どっちにいった、というのは教えてくれます。

 人気のない通りで、シュンメイは少女をみつけました。

 少女は、通り沿いにある高い垣根に囲まれた建物をじっとみつめています。

 声をかけようとして、シュンメイはあわてて声を押し殺しました。

 少女がみつめているのは、火砂神の寺院でした。

 現在、イリ王子が禊のために籠もっているところです。

(スーリは、本当に殿下を頼ってきた梁姫の縁者なんだろうか)

 西夏国はセフィド・キタイの同盟国でしたが、それもイルカン族よりはましという程度のことで、もともと二つの国同士あまり仲が良くありませんでした。イリ王子と梁姫の婚約は、仲の良くない二つの国の結びつきを強めるためのもので、キタイ国内には反対するものも多かったと聞いています。

 大臣たちは、西夏国が危ないとみるやいなや、婚約の破棄を宣言しました。

 憂い顔の姫君が、その時にどんな顔をしたか、それを考えただけでシュンメイの胃のあたりがきゅっと痛みます。

(梁姫の縁者であれば、イリ殿下を頼るより、むしろ……)

 考え込んだ一瞬の隙に、シュンメイはスーリの姿を見失っていました。

「!! スーリ、まさか王子に復讐する気か! 」

 あわててスーリのいた場所に駆け寄りますが、辺りには少女の影も形もありません。寺院の塀は金木犀で少女が乗り越えられるような高さではなく、くぐってはいれるような隙間もありません。

「スーリ!」

 声をひそめて呼んでみますが、返事はおろか物音ひとつしません。

 間違いがあってからでは手遅れです。意を決して、シュンメイは大声で叫びました。


「スーリ!」

 

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