第3話 絵師の実力

 シュンメイが王宮を出てから数日経った、ある夜のことです。

 紫大臣は、いつものように屋敷で明日の会議の準備をしていました。

 ふと気づくと、庭で何やら、ごそごそと音がします。

「くせものか」

 もともと紫大臣は武官名門の出自です。短筒を抱えると、中庭に面した障子をさっと開けました。

 そこには、広い敷地に世界中から集めた名木・名竹を縦横無尽に配置した見事な庭園が広がっています。

 その一角、金色孟宗竹の林の中に黒い影。

 その目は爛々と光り、口元からは牙が除いています。

 虎です。人食い虎です。


 さすがの大臣もこれには慌てました。

 恨みを買う覚えは山ほどあります。政敵の嫌がらせか、他国の刺客か。

 大慌てで召使を警備隊の詰め所に走らせ、大臣命令で王都親衛隊を出動させました。

 その数、百名。親衛隊のほぼ全員に命じて屋敷の塀の外側をぐるりと取り囲ませます。王都親衛隊は、国境防衛以外の軍事行動を任務としており、最新の装備をそろえたエリート集団です。


「弐式散弾銃、準備完了です」

「ばかもの、わしの屋敷を粉々にする気か! 弓を使え!」

「はっ」


 紫大臣の号令のもと、百人の兵隊それぞれが庭に向かって百本の矢を射かけました。

 百人が百本で一万本の矢の雨が、紫大臣の屋敷に降り注ぎました。

(これなら人食い虎がどこに潜んでいても、討ちもらす事はあるまい)


「撃ち方やめぇ」

 庭からは、うめき声一つしません。

 紫大臣の命令で、二人の兵士が屋敷の中に偵察に行きました。

「どうじゃ、虎の死骸はあったか」

「はあ、それが……」

 戻ってきた兵士が抱えていた物は、虎の死骸ではなく、たくさんの矢を受けてぼろぼろになった虎の絵でした。

 紫大臣は、庭に置かれていたこの絵を見て、本物の虎だと勘違いしてしまったのでした。


 その夜の話は、瞬く間に都中へと広がりました。

「聞いたかい、紫大臣の話。虎の絵に驚いて、兵隊を百人も集めて大捕り物をしたんだって」

「なんでも、一万本もの矢を使って、やっつけたのは絵一枚きりだって」

 毎朝、王宮へ向かう紫大臣の行列にも、町の人々のひそひそばなしが聞こえてきます。


 犯人はわかっていました。

(生きた虎と区別がつかないほどの迫力ある絵を描くことが出来るのは、シュンメイ以外ありえん。

 そういえば以前に、あいつが描いた虎の絵は、見ただけで吼え声が聞こえ、卒倒するものがでるという噂を聞いたことがある。)

 しかし、紫大臣は自分からシュンメイが犯人だと訴えることはできませんでした。それをやってしまうと、シュンメイの絵は実物と見間違うほどの出来栄えだと大臣自ら認めてしまうことになるからです。それに、絵を庭に置いたというだけではたいした罪に問うことはできません。

 紫大臣は、歯噛みをして悔しがりました。

(くそう、この恨み晴らさでおくものか)


 虎の事件からしばらく、紫大臣は久々に国王の前に進み出ました。

「国王陛下にあられましては、大変に御機嫌麗しゅう、天下泰平なるもすべて、陛下のお心によるものと、一同のもの皆感服し仕っております」

「……なんじゃ、もうしてみ」

 国王は、顔をしかめました。

「はい、イリ殿下の成人の儀についてでございます」

 成人の儀とは文字通り成人式のようなもので、王子を国王の正式の御世継ぎとして認める大切な式典です。

 前の王子、つまり今の国王陛下の成人の儀は、国だけでなく、世界中からお客を招いての一大イベントでした。

「成人の儀は、イリ王子がまだやる気になっておらん。あれがやりたいというまでやらんという約束じゃ」

「しかし本来は十二歳で行うはずの成人の儀が、なんだかんだで、もう二年。イリ殿下も、今年で十五歳になられます。いくらなんでも遅すぎる」

「つい先日、絵を禁じたばかりだ。そう次々と無理を押し付けられんぞ」

 紫大臣はにやりと笑いました。

「はい、私に考えがございます」

「なんじゃ、申してみ。」

「成人の儀に、殿下への贈り物をなさるとよいのです。儀式をおこなう大聖堂の内壁に、世界一の壁画をあつらえてはいかがでしょう」

 絵を禁止されたイリ王子は、国王と顔をあわせても、一言も口をきこうとしません。王子の機嫌をとりたいと思っていた国王はこの案に飛びつきました。

「なるほど、それは良いな。では早速、シュンメイを呼んで壁画の準備を」

「お待ちください」

 ここが肝心、とばかりに紫大臣は声を張り上げました。

「わがセフィド・キタイの威信を内外に示す成人の儀にふさわしいのは、世界一の壁画でございます。シュンメイはたしかにこの国一かもしれませんが、世界一であるとは限りません。そこで、壁画を描くにふさわしい世界一の絵師をひろく世界中から募ってみてはいかがでしょう」

「うむ、それも面白いかもしれんな。そちにまかせたぞ」

「ありがとうございます」

 紫大臣は、心の中でしめしめと思いました。

 世界中から、名だたる絵師をあつめれば、シュンメイより上手なものもきっといるはずです。もしいなくても、誰が一番かを決めるのは、大臣たちによる会議なのですから、紫大臣の力でどうとでもなるでしょう。


「自分が一番でないと知ったときのシュンメイの悔しがる顔、今から楽しみじゃわい」


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