第2話 意地悪な大臣

 ところが、この様子をよく思わないものがおりました。

 紫色大臣です。

 セフィド・キタイには、大臣が全部で九人おり、それぞれが色の名前で呼ばれていました。

 名前に使われる色は、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の虹の七色に、白と黒をあわせた九色です。もちろん、色によって偉さが違い、最も偉いのが紫大臣でした。

 紫大臣は王妃の兄、つまりイリ王子の伯父さんでもありました。

 もしこのままイリ王子が王になれば、国王の伯父になれるわけです。そうなれば、間違いなく今以上に権力を手にすることになるでしょう。

 しかし権力とは、持てば持つほど、失う事が怖くなっていくものです。

 紫大臣は、イリ王子がシュンメイとあまりに仲良くすぎるので、少し心配になったのでした。


 単なる絵の先生とはいえ、先生は先生。将来、イリ王子が国王になったときに、幼い頃からの先生を一番頼りにしても不思議はありません。

「まるで、りんごを何色に塗るかと聞くように、大臣の色について相談されてはたまらんな」

 大臣は誰にいうともなくつぶやきました。

(王子が頼りにするのは伯父である自分一人で十分だ。ここは一つ、イリ王子には習い事をやめていただこう)


 次の日、紫大臣は国王の前に進み出ると、恭しく言いました。

「陛下にあられましては大変に御機嫌麗しゅう、天下泰平なるもすべて陛下の御心によるものと一同のもの皆感服し仕っております」

「……なんじゃ、申してみ」

 国王は、自分の義理の兄にあたる紫大臣が苦手でした。特に大臣がこんな風に恭しい態度を取るときはろくな事がありません。

 しかし、大臣の政治家としての腕は確かなので、頼りにせざるを得ないのでした。


「最近、街の者たちが妙なうわさをしているのを耳にいたしました」

「イリ殿下のことでございます。最近の殿下は、絵ばかりに夢中になられている。こんなことでは、万が一北の蛮族が攻めてきたときに心配だ、と」


 この国の北方は遊牧民の住む土地でしたが、近年乱暴で戦争を好むイルカン族が族長頭となり、国境を荒らしはじめていました。

 現在はキタイ国境警備隊のほうが軍備に勝っているので、被害は微々たるものです。

 キタイの軍隊は、建国当時から近隣諸国には珍しい銃器を取り入れていました。これが、小国であるキタイが他国の侵略を許さない大きな要因です。

 しかし、イルカン族は、すきがあれば兵隊を送り込もうとしています。最近も、山脈をはさんで東隣にある西夏国が、イルカン族に滅ぼされたばかりでした。


「いや、王子は絵以外の勉強もよくやっておるぞ。武芸は、まあ王子の得意ではないようだが……」

「しかしまあ、余ですら生まれてこの方本物の戦争になど出た事もないのだ。それにわが国には優秀な兵隊がいるのだから心配はなかろう」

「私とて、殿下が本当に戦場に赴かれる事態など、想像だにいたしません。しかし、民の評判の問題であります。民は申しております」

「絵なんぞにうつつをぬかしてまるでイリ殿下は女のようだ、と」

 それを聞いて、国王は声を震わせて怒りました。

「大臣! 言って良いことと悪いことがあるぞ!」


 男性よりも女性の地位を低く見る国というのは、当時の世界にはたくさんあり、残念ながらセフィド・キタイの国もその一つでした。

 例えば、女性はセフィド・キタイでは国の重要な役職にはつけない決まりでした。この国で最も重要な役職はもちろん国王です。例え王の子であっても、女子であれば王になることも大臣になることも許されず、市民の家にお嫁にいかねばなりません。


 国王は悩みました。

 イリ王子が、どんなに絵が好きで、絵を描くことを楽しみとしているかを国王は知っていました。

(しかし、女のようだと言われてはのう)


 その夜,国王は、イリ王子を呼んで絵を習うのをやめるように伝えました。

 イリ王子は反論しましたが、国王の命令は絶対です。

「どうして、父上はそうやって、紫大臣の言いなりになるのですか。国王は父上なのに。西夏の時もそうです。キタイの国境警備隊が救援に向かえば、イルカン族などに滅ぼされる事はなかったのに」

 昨年の秋、イルカン族の侵攻を受けた西夏国は、キタイに援軍を求めました。

 当西夏国の梁姫はイリ王子の婚約者であり、一応の同盟関係があったためです。

 しかし、九人の大臣による会議は、西夏国に援軍を出さないことを決めました。

『他国にキタイの兵器を持ち出さない』

 という建国以来の不文律がその理由でしたが、それを一番に主張したのが紫大臣でした。

「梁姫は、私と同じ年。まだ十四歳です。それが、国を追われていまだ行方知れずなんて」

「しかし、あの婚約は王子も嫌がっていたではないか」

「それとこれとは別です!」

 泣きながら訴えるイリ王子に、国王は淋しく首を振りました。

「王子がもしも国王になれば、余の気持ちがわかるだろう。余は国王で、この国のすべてを自由にできるとみなが思っている。だがそれは違う。余は王だが、そのためにとても大事なものを自由にできない。なにかわかるか?」

「……」

「それは余自身だ。自分のことは、何一つ自由にならんのだ。」



「シュンメイ、ごめん。今までこんなによくしてくれていたのに」

 イリ王子は、王の間を出ると事の次第をシュンメイに伝えました。

「クビ、ということですか」

「クビだなんてとんでもない。少し休むだけだよ。シュンメイは、ずっと王宮にいていいんだからね」

 王子は目を真っ赤にしています。

 シュンメイはいいました。

「国王陛下を恨んではいけませんよ。陛下には陛下のお考えがあるのでしょう。それにそろそろ、私が殿下に教えることもなくなっていましたからね」

 シュンメイは、イリ王子の家庭教師として、王宮の一角に貴族待遇の居室を与えられていました。イリ王子は残れといってくれましたが、家庭教師の仕事もないのにただ王宮にいるわけにはいきません。

 シュンメイは、王宮の居室を引き払うことにしました。

 実家に帰る道すがら、シュンメイは思いました。

(しがない絵描きとはいえ、私もキタイ一と呼ばれた男だ。大事な食い扶持と寝床を奪われたからには、相手が大臣様といえども仕返しをせねばなるまい)


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