第09話-行商人に出会った

 脱獄から十一日目。

 森に逃げ込んでから八日目。


「んー……よく寝たぁ〜」


 すっかりここでの生活にも慣れてきた。

 ドスと言う兵士の話を信じるなら、昨日で山狩りは終わっているはずだ。

 そろそろ今後の身の振りを真面目に考えなければならない。


 一つは、新しい自分を手に入れる。

 この大陸から逃げ出して新天地でやり直すのが一番安全だろう。


 一つは、元の生活に戻る。

 わたしを嵌めた男爵家とやらを問いただして、正当性を認めてもらう。



「あれ……私の、クリスの両親……は?」


 そうだ。重要なことをなぜ今まで忘れていたのか。

 クリスは姉妹兄弟はいないが、両親とは仲が良かった。思えばクリスの性格は、甘やかされ過ぎた結果だと思えるぐらい溺愛されていたと思う。


 ――ガメイ伯爵家

 貿易で財を成し、叙勲されて伯爵家まで上り詰めた、叩き上げの家系だ。


 クリスにとっては愛する両親。


「まっ、まさか私が逃げたせいで……」


 王女殺しの罪――それは本人だけでなく一族郎党、処刑されてもおかしくは無い。

 そこまで考えが至り、先ほどまで他の大陸に逃げれば。なんて考えていた自分を殴ってやりたい程の衝撃に包まれた。


「――ど、どうしよう」


 とは言え、街に戻っても見つかればすぐに捕まる。

 折角ここまで逃げてきたのだ。

 今更、捕まる恐れのある街まで戻りたくもない。


「……そうだ、スルツゥェイに行こう。あそこなら何か手がかりがあるかも」


 貿易都市スルツゥェイはこの国の玄関口であり、他の大陸からの船でいつも多くの異邦人で溢れていた。

 そこにはガメイ伯爵家の別宅もあり、何人かの使用人もいるはずである。


「二年前に行ったのが最後かな……」


 どちらにせよ他の大陸へ渡るならスルツゥェイに向かわなければならない。

 既に各街では兵士が目を光らせているだろうが、首都に戻るより見つかる可能性は低くなるはずだ。


「保存食も沢山作ったし。うん、大丈夫! 行こう!」


 私は頬をパチンと叩き、自分に大丈夫だと言い聞かせると、蛇と川魚の干物が入ったカゴを手に谷底へと降りる。


「【浮遊フライ】」


 そして谷底を流れる川の上を下流に向けて移動し始めたのだった。



――――――――――――――――――――


 脱獄から十四日目。


 下を流れる川はかなり穏やかな流れになり、川幅も広くなっている。

 両側の崖もいつしか無くなり、代わりに広い草原が広がっている。


 そして、目の前には大きな港町が見えていた。

 目的地のスルツゥェイでは無いが、この大陸の外周にある街を巡る船が発着する港町だ。


「なんだったかなーあの街の名前……スリーズルだったかな」


 私は街へと続いている街道に差し掛かると、魔法の使用をやめて歩き出す。

 この街道の反対側は、首都スルートへと繋がっている。


「大丈夫かなー……」


 あと数十分も歩けば街の門に辿り着く。

 街の入り口では通常、街に入る人間がチェックされている。

 身分証があれば助かるのだが、私はそれを持っていないどころか手配されている。


 通じるかどうかはわからなかったが、私は山奥の村から素材を売りに来た娘だと装うことにした。


 私はここに来るまでの間、川魚を集め干してつたに縛ってある。

 山菜のようなものやキノコ、木の実もいくつか集めた。

 見たことが無いので、食べられるかどうかは分からない物ばかりだが、要は検問さえ突破すれば良いのだ。


「うー……ドキドキするけれど仕方がない――大丈夫……だよね」


 ズボンのポケットには手に入れたネームカードが二枚ある。

 フレンダにもらった方には草の汁を使って『カリス』と記入した。


 一人でドキドキしながら街に向かって歩いていると、後ろからガラガラと馬車が向かってくる音が聞こえてきた。


「っ!?」


 私は一瞬身構えるが、どうやら商人の馬車のようで、御者台に太った老人が一人座っているのが見えた。


「はぁー……よかった、商人の人だ」


 私は道の端に寄り、馬車が通り過ぎるのを待つことにした。


◇◇◇


「お嬢ちゃん、スリーズルまで行くのかい?」


 馬車が少し通り過ぎた所で唐突に止まり、その御者台から声が掛かった。


「……っ。は、はい、素材を売りに……行こうかと」

「なら乗ってくか?」

「……――お願いします」


 一人で街に入るより、馬車に乗せてもらっていた方が違和感が無いだろうと打算を働かせ、商人さんのお言葉に甘えることにした。


「わしは行商人のマイクだ。嬢ちゃんはどっから来たんだ?」

「カリスです。山奥の村からです。その……素材を売りたくて」

「そーかそーか。山からはだいぶ離れてるが、一人できたのか?」


 見たところ六十代ぐらいのマイクと名乗った商人は、白髪のまじった髪に同じく白い口髭をたたえていた。


「はい、【浮遊フライ】の魔法が使えるので、一人でやって来たんですが、街に来るのは初めてで」

「そーかそーか。てぇことは、カリスさんは身分証とか通行税とか持ってるかの?」


「通行税……って幾らぐらいですか?」

「一人につき銀貨一枚じゃの」

「……」

「ふむ……持ち合わせがないのなら、ワシがその素材とやらを買い取ってやろうか? 街で売る手間も省けるじゃろうし」


 マイクさんは善意での言葉だろう。

 でも私が持っているのは素材とは名ばかりの検問を抜けるために用意しただけの物で、到底売り物になるような物は持っていない。


「あのっ……通行税だけお借りすることはできませんか? 初めて来たので街の中を見てみたくて」


 私はキュッと口を結び、マイクさんに頭を下げた。


「そーか。そういう事か。じゃがワシも商人じゃ。担保無しで金を貸す訳にはいかんのじゃ」

「そう……ですよね」

「じゃから、ちょっと荷物見せてみぃ。銀貨一枚分だけワシが買ってやろう」


 私はおずおずとカゴを商人さんに手渡した。


「ほう、幻惑茸、こっちは赤目茸か。これは……岩魚か。珍しい干し方じゃが丁寧な天日干しじゃの」

「ありがとうございます」

「おぉ、これはピーマンか」

「へっ?」


 ピー……マンなんて採っていない。というか「この世界にピーマンなんてあったかな?」とクリスの記憶を思い出しながらマイクさんが手に持っているのを見る。それは川を流れてるのを拾った栗のような木の実だった。


「それ、ピーマンって言うんですか?」

「なんじゃ知らんかったのか。これはの、煎じて飲めば熱を下げる薬になるんじゃ」


 ピーマン……何か納得できないものを感じる。


(どう見ても栗だよ……)


「この干物一つと、ピーマンで銀貨五枚だそう。一般的な仕入れ値じゃぞ」


「――!! 良いんですか?」

「あぁ、昼飯にちょうどええ。カリスさんの下ごしらえも丁寧じゃし、ちゃんと売れるものになっておるぞ」


 マイクさんが懐から銀貨を五枚取り出すので、両手を差し出すとチャリンと乗せてくれた。


「ありがとうございます!」

「ほほ、女の子はそれぐらい笑ってた方がええ」


 言われてみればこんなに普通に人と話したのはいつぶりかな。

 自然と笑みが溢れていたようだ。


 私はそのままマイクさんが座っている御者台に乗せてもらい、スリーズルの街へ向かった。

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