第4話 蛍祭り

「じゃあ、そろそろ行きましょうか」

朝子は浴衣を下ろしていた。大輝も子供用の浴衣を着せられている。服は洗濯に出されたこともあって、光輝も大輝の浴衣を着せられている。山は薄い闇に包まれようとしていた。      

涼しい風が辺りの木々にわたり、ざわざわと木の葉が揺れる音がする。道路に出ると、時間になったのか街灯が数回音を立てた後、パッと明かりがついた。朝子の言った通り、民家の土壁には、手製の小さな提灯がぶら下がっている。

「それじゃあ、広場に行きましょう」

朝子が光輝の手を引いて、広場に向かおうとしている。すると、大輝が待てと小さく言った。

「蛍祭りなんだから、先に蛍を見なきゃ駄目だろう。俺が案内する。母ちゃんは広場で待っていてくれないか。すぐにそっちに向かうから」

朝子は息子の思ってもみない発言に面食らったようで、怪訝な顔をする。だがしばらくして腑に落ちたように頷いて見せた。

「分かった。あんたがそういうならね。絶対にしくじるんじゃないよ」

いつもの丸顔に優しい笑みを浮かべながら朝子は去っていく。その笑顔と朝子の先ほどの言葉の乖離に光輝はうすら寒いものを感じた。

「母ちゃん、祭りだからピリピリしてるんだよ。ごめんな。お詫びにいいもん見せてやる」


手を引かれて蛍を見に行った。もうすっかり日はくれ、辺りはぽつりぽつりと明かりがともる民家以外は真っ暗だった。瓦屋根の家が等間隔で並んでいる。勝手口は不用心に開けられていたが、人の姿は見えなかった。祭りの前にふろ場にいるのだろうか、家々を通り過ぎるたびにほのかな橙色の明かりがさし、石鹸の匂いがした。

やがて細い道に入った。いよいよ民家もなくなり明かりがなくなった。目を側めて夜道を確かめるほかない。やがて暗闇に目が慣れ、辺りの様子がはっきりと分かるようになった。

左右は青田で細い道は川を渡る橋につながっていた。小雨の影響か霧がかっていて、周りを囲む山々はまるで水墨画のような色合いを帯びる。この先に蛍なんているのか、少し疑心暗鬼になった。

「ほら、あそこ」

言われるまで気が付かなかったが、どうやら橋の下にぼんやりとした光が見えた。手を引く力が強くなり、自然と体は前に進む。

橋の下にたどり着くと、下を覗き込むように言われる。下を覗くと、ぼんやりとした光があちらこちらで見られた。一所に留まり続けるものもあれば、森の方までとんでいこうとしているものもある。奇麗だろう、と自慢げな声が掛けられる。確かに見事だ。

「これが見せたかったんだよ」

大輝はそういうと、光輝にそっと耳打ちした。

「そろそろ広場に向かわなきゃならない。……昨日言ったこと、覚えているか? 広場で何を見ても家に戻ってこい。絶対だぞ」

光輝はまた理由を尋ねようとしたが大輝は答えなかった。

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