第2話 よく似た少年


気が付けば、光輝はどこかに寝かされていた。気を失った後、誰かに運び込まれたのかもしれない。縁側に寝かされているのか、日陰だが風の流れを感じる。ちりん、と風鈴の音がした。目を開けようかと思っていると、足音が二人分こちらに近寄ってきている気配に気づき、慌てて眠ったままを装った。

「それで、あの子はなんであんなとこに」

「知らない。けどたぶん俺が呼ばれたんだ。あいつが俺を……」

「ふぅん。成程ね。じゃああんたがうまくやるんだ。まかせたよ」

声は中年女性とまだ幼い……ちょうど光輝と同い年の小学三年生ほどの男の子の声がした。光輝はふと考える。自分は今どこにいるのだろう。寝たふりを装ったままそのことについて考えていると、足音が離れていく。おそらくは女性のものだろう。今この空間にはあの男の子と自分しかいない。

「おい、気がついたか」

顔を覗き込まれる気配を感じる。ついに我慢できなくなって目を開けると、光輝と同い年くらいの男の子と目が合う。紺の半袖Tシャツに黒のジャージ姿だ。呼びかけたもののまさか本当に光輝が目覚めるとは思わなかったようで、大きなくりくりとした瞳を大きくして吃驚している。その黒の瞳の中には同じく驚いた表情を浮かべた光輝が閉じ込められていた。

「なんだよ、起きてたのかよ。じゃあ、いいや」

何だか少し残念そうな表情の少年は光輝のそばに腰を下ろす。光輝は上体を起こしてここはどこかの家なのだと再確認した。

「俺は大輝。おまえは? 」

「僕は……、光輝」

何だ、似た名前同士だなと笑って見せた大輝は、光輝には少なくとも悪人には見えなかった。同世代の男の子ということもあって、知らずのうちにお互いがすぐに打ち解けてしまっていた。

もう夕暮れ時なのだろう。日はすっかりと落ちてしまって辺りはほの暗い。縁側では少し寒いくらいだ。半袖のTシャツから伸びた両腕で腕を組むように撫でていると、その意図に気づいたらしい大輝は光輝の手を引いた。

「確かにここじゃ寒いな。中に入ろう。俺の母ちゃんに紹介してやる」

縁側から障子を開けて中に入ると大きな和室があった。畳の上を歩く。部屋の頭上の四方には遺影が飾られている。この家の祖先だろうか。左手には誰かの仏壇が置かれている。誰なのかと光輝が遺影を覗き込む隙を与えず、大輝は手を引いてその部屋の奥の部屋まで誘導する。木でできた廊下は二人が歩くとぎしぎしと音が鳴った。

やがて現れたふすまを左右に引くと、そこは居間らしかった。旧式のテレビがついている。どうやら野球中継のようだった。中央に置かれた大きな木製のテーブルの四隅には薄緑の座布団が敷かれている。その一つに腰を下ろすよう言われた光輝はおずおずと腰を下ろした。その姿を見た大輝は、居間と廊下一つ挟んだ先にある台所に歩いて行った。水が流れる音、それから何かを包丁で切る音がする。料理をしているのだろうか。そう思うと、どこからともなくいい香りがしてきた。

しばらくして大輝が戻って来た。大輝の母は料理で忙しいらしかった。だがそれももうすぐ終わるからと大輝は笑った。先ほどは気が付かなったが、笑うとえくぼが右の頬にだけ浮かぶ。大輝は心なしか光輝よりも日に焼けているように見えた。

「ごめんねぇ、紹介が遅れちゃって。私は大輝の母で朝子と言います。あなた、うちの目の前で倒れてたのよ。この子が見つけて、心配だって私に飛んできたの。それでああして縁側に寝かしていたのだけれど……。知らないうちに見知らぬ家に運び込まれて吃驚したでしょう? ごめんなさいね」

大輝がいるにしては若い印象を受ける。丸顔で安心感を与える人だ、と思った。服の上から使い古した白のエプロンをかけている。細身というよりはふくよかな方だ。ほどなくして台所に引っ込んだ後、漆塗りの木の丸盆に料理を載せて居間に現れた。

「もう遅くなったし、ご飯食べていきなさい」

そういって運んできた料理を並べ始める。芋の煮物と山菜のお浸し、大皿に巻きずしが盛られている。大輝が人数分の茶碗を運んでくる。何だかこの家の家族になった気分だと思った。

食事が始まった。最初は二人に打ち解けずにいた光輝だが、大輝が口火を切ったこともあって、次第に朝子とも滑らかに会話が続くようになった。やがて話題はこの地区で行われる祭りの話になった。

「ここらへんは本当に何もないけど、川がすごくきれいで毎年蛍が見れるのよ。それで蛍祭りなんて言って、めいめい自分の家に提灯を下げて、広場で出し物なんてするのよ。最も出し物なんて大したことじゃないから、蛍を見に行くだけなんだけど」

どうやらその蛍祭りは明日行われるらしく、良ければ光輝にも見て行ってほしいのだという。蛍なんて長らく見ていない。光輝は頷きかけたが、この家に滞在するのが長くなることと、祖父の家を探さなくてはならないことを思い出した。安易にうなずいて、迷惑をかけるわけにはいかない。その祭りも町内で行われるような規模のもので、よそ者の光輝が参加するのは躊躇われた。

「大丈夫よ、迷惑なんて。それに祭りにはみんなが参加するから、あなたのお爺さんもすぐに見つかる。大輝も遊び相手がいなくて今年は寂しがってたけど、あなたと一緒ならきっと楽しいだろうし……」

そう言って朝子に言われると、光輝の方もそれならと頷いてしまった。この二人とも随分打ち解けたし、迷惑でないならば。

それから風呂に案内され、脱衣所で光輝と大輝は服を脱ぎながら話していた。

「お前、本当に祭りに行くのか? 」

「行くも何も……、お前が楽しみにしてたんじゃないのか」

そういえば祭りが話題に上がったとき、大輝だけがなぜか会話に参加してこなかった。積極的な大輝にしては少しおかしなことではあったが、気に留めるほどでもない気がしていたのだ。

「いや、何でもない……。何でもないよ。ああそうだ、脱いだ服はそこのかごに入れておいてくれ」

やけに歯切れが悪い。言われた通り服をかごに入れながら、大輝はわざと話題を変えた気がしてなぜだか気になった。風呂は二人が入るには狭いが、底が深い形の風呂だった。体を洗った後、慣れたように大輝が風呂にはいっていくのに習って、そっと足を踏み入れて風呂に入る。二人が入ったことで溢れた湯がタイル張りの床に広がっていく。

ふろの湯は黄色い。バスクリンを入れたからだ。湯船に沈めた両足が屈折して歪んで見える。黄色い湯の中にいることもあって、なんだか自分が化け物になったみたいだ。光輝は思い出す。かつて祖父の家で見た絵本にこんな場面が出てくる話があった気がする。化け物の男の子が主人公で、人間になろうと化け物になった原因を探る話。彼が生まれた最初のシーンがこんな黄色のねばねばしたスライムの中でうごめくシーンだった。当時から衝撃的過ぎて、忘れることができない。

「それにしても……すごいよなお前」

「何が? 」

「一人だぜ、一人。一人で爺ちゃん家まで行こうとするなんて。お前の見た目じゃ想像つかねぇ。度胸あるなぁ」

ぽつりと呟いた大輝の独り言に疑問を投げかけるとこんな返事が来た。まさか尊敬されるとは思わず、光輝は慌てて一人で来た理由を話した。本来、光輝はそんなに勇敢ではない。          

怒りに任せてというか、投げやりな気持ちで電車に乗ったのが始まりだった。

「違う違う。本当なら母さんと一緒のはずだったんだ。でも僕、母さんを怒らせてしまったから……」

「……何やらかしたんだ? 」

いたずらっぽい目を向けてくる。その目は完全に楽しんでいる眼だ。光輝は溜息を吐いて、しぶしぶ怒られた理由を話し始めた。

「母さんに言ったんだ。今年の夏休みは爺ちゃんに会いに行きたいって。でも、そしたら怒られた。理不尽だと思って、家を飛び出して電車に乗ったら、気がついたらここに来てた」

「……それは大冒険だったな」

感心した様子で大輝は光輝をねぎらった。光輝は素直に頷く。まさかこんなところに来て、誰かの家に泊まることになるなんて。

風呂から上がると、二人分の歯磨き粉と歯ブラシが置かれてあった。大輝のものは青のキャラクター入りのもので、使い古してあってすぐに分かった。光輝のものはというと、新しく下したのか大人用のものだった。洗面台に向かって二人で歯を磨き、二階の寝室に誘導される。

敷布団も二つ敷かれていた。大輝が真っ先に青色の敷布団を選んだので、光輝は赤色の敷布団を選ばざるを得なくなった。別に色にこだわる方でもなかったから、何とも思わなかったが。

「お前って、おとなしいよな。いや、おとなしいっていうより誰かに逆らうようなタイプじゃないよな。俺とは違う」

布団の中で大輝が言う。確かにそうだと思う。僕は両親の躾もあって、人様に迷惑をかけないこと、親には逆らわないことを言い続けられてきたから。そんな僕が言いつけを破るのも珍しかったのだと自分でも思う。

「けど、お前に会えてよかった。これは、本当は言ってはいけないんだけど」

光輝が布団にもぐりこんだのを見ると、灯りを消した。真っ暗な闇の中で大輝の声が耳元でささやいているように聞こえる。

「祭りの出し物には行くな。もし行ったとしても、すぐにこの家に帰ってこい。そうじゃなきゃ戻れなくなる」

「それは……どういう? 」

その質問に大輝は答えなかった。静寂が二人を包んで、やがて光輝も眠りに引き込まれていった。

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