第4話
楽器は学校が修理に出してくれた。夏休み明けには、受け取りに行くらしい。彼女の主が復活するまでの時間、私たちは吹奏楽部の部室で夏休みを過ごした。吹奏楽部は午前練のため、午後は自由に使えた。彼女はピアノを弾いてくれた。モーツァルトや、ベートーヴェン、ショパンからハービー=ハンコックまで、幅広い曲をたくさん弾いた。音楽はね、耳で聴くのもいいけど、身体で聴くのもまた違った面白味があるのよ、と言って、彼女はピアノを弾くときには長椅子を持ってきて隣に私を座らせた。特等席だった。一曲終わるごとに彼女は、ねぇ、今のどうだった、と抱きついて尋ねてきた。特別な日には、ビル=エヴァンスの『いつか王子様が』を弾いた。その日、私が嬉しい時は、彼女に共感してもらい、彼女が悲しい時は私が慰めた。弾き終わると、手に入れた幸せが出ていかないように、お互いやさしく唇を重ねた。
夏休み最後の日、私がピアノの長椅子に座って彼女を待っていると、開けて、と声がした。扉を開けると、彼女が満面の笑みで立っていて、両手で帰ってきた楽器を抱えていた。取り出すと彼女は、さっそく音を演奏し始めた。久しぶりに聴いた音は、美しいかった。しかし、美しいだけだった。今までの様に、胸に迫ってくる音ではなかった。演奏が終わると彼女は、秋から部員のみんなと頑張ってみようと思うの、あなたのおかげよ、と言った。それから、会えなくなるのは寂しいけれど、と彼女は付け加えた。私はそれがいいと思った。だって、心が他のもので満たされている時、芸術は心に響かないから。楽園から逃げたしたはずが、また楽園をつくってしまった。私は微笑むので精一杯だった。
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