「芸術の終焉は近い」(あるコラム)

 《全ての短歌》が公開されることによって、短歌を詠むという行為に終止符が打たれて早数年が経つ。《全ての短歌》は短歌というものをただの選択の行為にしたが、このことは二十世紀前半のある出来事を思い出させるだろう。それは、マルセル・デュシャンの《噴水》という「事件」である。デュシャンのこの作品は男性用小便器をひっくり返してサインをしただけのものであるが、この作品は芸術とは何かというラディカルな問いを世に挑発的に投げかけた。

 ダダイズムは基本的に反芸術を掲げた運動だ。彼らの中心的な手法は「偶然」である。彼らは作品から芸術家を引き離したのだ。それに対してデュシャンは他のダダイストとは違って「選択」という手法を提案することによって芸術を攻撃した。レディ・メイドの誕生である。レディ・メイドというのは文字通り既製品のことである。この場合日常の中で使われる既製品の中からなんらかのものを選択し、芸術として新たな意味を与えるということだ。現在の短歌とレディ・メイドには「選択」という共通の創作プロセスが存在する。

 ここで、この両者の「選択」という行為に関しての差異を見ていこうと思う。まず、注目したいのは選択の時対象とされる範囲である。これは、レディ・メイドの場合、主に日用品だ。もっとも、デュシャンの《L.H.O.O.Q》なども広い意味ではレディ・メイドと言えなくもないから、有名な芸術というのもその範囲に含まれるかもしれない。いずれにせよ、レディ・メイドの標的となるのは、既に固定された意味や用途を持ったものである。つまり、レディ・メイドにおいて「選択」とはモノからそれらの意味や用途を切り離す行為なのだ。

 一方、現在の短歌において選択の範囲となるのはもちろん《全ての短歌》であるが、そこにある文字列は元から意味をなさないものがほとんどだ。つまり、短歌において「選択」というのは、既にある文字列に意味を発見する行為なのである。

 しかし、だからといって短歌とレディ・メイドが真逆のプロセスを辿るとは言えない。なぜなら、レディ・メイドはモノから元の意味や用途を剥ぎ取ったあと、新たな意味を与えるからだ。それは、そのモノに対する新たな発見でもある。もちろん、この「発見」というのも両者とも同じ意味を持つものではない。短歌の「発見」というのはあくまでも既にあるものの中からの発見であり、その短歌には作者というものが存在しないからだ。

 次に注目したいのは、この両者の「選択」という行為の性質についてだ。レディ・メイドの場合の「選択」とは普通とは全く異なる視点という一種の才能のようなものに頼るところの大きい行為であるが、それに対し短歌における「選択」というのは少し違う。意味を持つ文字列の発見にはもちろん面白いものを取捨選択するというある種の才能が必要とされるのだが、この発見の前には探索ともいえる行為がある。当たり前なのだが、《全ての短歌》から一発で意味のある短歌を見つけることはできない。あるファイルを開いて、ボーっとスクロールしていると、時たま文字列の中に意味をなす単語が入っていたりする。そうやってその周辺を探していくと次々と意味を持つ単語が繋がっていく。そして、そろそろ見つかるぞという頃には一文字二文字、誤字のようにおかしな部分はあるがほとんど意味の読み取れる短歌が出てくる。……。という具合に、まさに短歌の「選択」というのは探索的行為なのだ。今このように簡単に書いたが、これらの過程ひとつひとつというのは数時間では足らないかもしれない。この探索というのはロールプレイングゲームのように楽しいものではなく、かなりの根気のいる作業なのだ。

 このように見ていくともはや、短歌は芸術と呼ばるようなものではなくなってしまっていると言わざるを得ない。現在において短歌というのは、ただ画面の上でSNSでの反応欲しさにひたすら無意味な時間を過ごすだけのものに成り果ててしまった。そこにあるこは、コンピュータを前にした人間の無力感やニヒリズムである。

 そして、このニヒリズムはこれからますます加速していくだろう。というのも、今度は「選択」という行為さえも人間は奪われようとしているからだ。日本のA大学のAI研究チームはこの《全ての短歌》にアクセスして意味のある文字列を探し出してくるAIプログラムの開発に着手し始めた。既にある程度の精度で意味のある文字列の抽出に成功しているらしい。このままいくと、AIはどのようなものが人に好まれるかということも考慮に入れて短歌を探し出してくるようになるだろう。もはや、短歌は完全に終わりだ。

 このような事態に対して、人間が作った作品であるということ自体の価値を主張する人達がいるのは周知の事実だろう。しかし、我々は何をもって人間の創作能力の素晴らしさを担保できるのだろう。今にAIの方が素晴らしい短歌を選ぶようになり、どんな芸術家よりも鋭い問題を我々に投げかけるようになるだろう。このような事態は短歌だけでなく全ての芸術において発生している。

 芸術の終焉は近いのだ。

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全ての短歌 りょう(kagema) @black-night

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