012.02
扉の向こう側は、小さなオフィスのような部屋だった。ファイルが収められた書類棚と書き物机があり、端末がいくつか並んでいる。その中でただ一つ異彩を放っているのが、中央奥に置かれている球形の培養槽だった。台座から無数のコードやチューブが伸びるそれの中では、魚に似た生き物が泳いでいる。
四人に気付いたか、端末を操作していた人影が立ち上がった。白いボウタイのブラウスと黒のタイトスカートの上に白衣を羽織った赤毛の女性は、長い髪を払いのけながら振り返る。
「やけに騒々しいと思えば……、お久しぶりですね。マキナ技術主任」
「カタリナ・ウェルシュ……博士」
その名を呟けば、カタリナは小さく笑い声を立てた。
「怖いお顔ですこと。遠路はるばるようこそ、とでも申し上げましょうか。わざわざ届けてくださらなくとも、連絡をいただければこちらから引き取りに伺いましたのに」
「引き取る?」
「RAを返しにきてくださったのですよね? やはり手に負えませんでしたか。過日にお返しくださればお手間を取らせずに済んだのですが。《フォルモーント》は無事ですか? ディザスター襲撃の報道がありましたけれど」
嘲笑を孕んだ
「ラスは渡しません。あなたなんかに、渡すものか」
「では、そちらのでき損ないですか? 困りましたね、それにはもう価値はないのに。不要ですから、そちらで産業廃棄物として処分していただいて結構です」
「何……?」
カタリナの言っていることの意味が、リツヤには理解できなかった。彼女は記憶を浚う様子で斜め上に視線を向けていたが、やがて小さくかぶりを振った。
「駄目だわ、思い出せない。識別コードはなんだったかしら。まあ、廃棄物のコードなど取るに足らないことですわね」
「……おまえが言っているのは、アーサーのことか?」
「アーサーというのはどなた……ああ、そういえば、マキナ主任は変わった趣味をお持ちなのでしたね。しかし、ゴミにまで名前をつけるとは思いませんでしたわ」
「―――!」
本当に不思議そうに言うカタリナへ、リツヤは激するまま銃を向けた。その腕を慌てたようにアーサーが掴む。
「駄目だ、リツヤ」
「なんで止めるんだ!」
「ありがとう。でも、落ち着いて。あの女にはまだ聞かなきゃならないことがある」
「……っ、くそ!」
悪態をつき、リツヤは苦労して銃を構える腕を下ろした。それを確認してアーサーもリツヤの腕から手を離す。そして、眼鏡を押し上げながら凍りつくような笑みをカタリナに向けた。
「あなたがなんと言おうとおれは構わないし、傷つきもしない。俺にとってはあなたの言葉なんてなんの価値もないからね。どうでもいい」
アーサーとは対照的にカタリナは表情から笑みを消した。見下すように軽く顎を上げる。
「ゴミが何を言っているのかしら。どうでもいいというのはこちらの台詞だわ。失敗作に情けなどかけないで、その場で廃棄してしまえと何度も言ったのに」
「情け! 言うに事欠いて情けとは。その端末に辞書入ってる? 今すぐ情けの意味を調べた方がいいよ。次に使うとき恥をかかないようにね」
「躾けがなっていないわね。弁えなさい」
吐き捨てたカタリナを、フェルンが鼻で笑った。
「躾がなってないのはあんたのほうでしょ。親の顔が見てみたいわ」
「なんですって……?」
表情を強張らせたカタリナを見て、フェルンは勝ち誇った笑みで続ける。
「ああ、そういえば顔は知ってるんだった。ヘンリー・ウェルシュ博士よね、論文をいくつか読んだことがあるわ。まあまあ優秀な人だったんじゃない? 人としては最低だけど」
みるみる目を吊り上げるカタリナとは裏腹に、フェルンは笑みを含んだ声で言う。
「わかったわ、アーサー。やっぱり向こうの部屋のデザイナー・チャイルドを作ったのはこの女ね。それも、大好きなパパの気を引きたいってだけの理由で。とんだファザコンね」
カタリナが射殺せそうな視線でフェルンを睨んだ。その表情を見て、父親の話題は禁句らしいとリツヤは悟る。
「……お黙り、小娘」
「黙るのはあんたよ。ラスが生まれて、パパはラスにかかりきりになる。それが許せなかった。同じものを作ればパパは自分にも目をかけてくれるかも知れないと思った。違う?」
「わたくしは黙りなさいと言ったのよ」
「うるさいわね、なんであたしがあんたの言うことを聞かなきゃなんないわけ?」
聞くものすべてを委縮させてしまうようなカタリナの声にも一切動じず、フェルンは続ける。
「あんたの知識と技術じゃ足りなくて、『マザー』のコピーを作なかった。代わりに『ラス』を作ろうとした結果がさっきの部屋ね。悪趣味にもほどがあるわ。人をなんだと思ってるの?」
カタリナを無視して語られるフェルンの話を聞いて、リツヤもようやく腑に落ちた。
「そうか……あなたはただ、父親に認められたかっただけなのか」
「黙れ!」
遂にカタリナが金切り声を上げた。両肩を震わせ、しかし顔には笑い飛ばそうとして失敗したような歪な表情を貼り付けてカタリナは言う。
「父に認められたい? このわたしが? それは一体なんの冗談かしら。笑えないわね」
反駁したのはアーサーだった。
「認められたいんじゃなかったら、構って欲しかっただけか? だから、父親がラスを作ったらラスそっくりの子どもを作ろうとして、父親が死んだ後はラスを自分のものにしようとした。でも、ラスが選んだのはリツヤだ。あなたじゃない」
「不要品が知ったふうな口をきくんじゃないわ。何もわからないくせに」
「わかるよ。おれも同じだから」
カタリナの表情がますます歪になっていく。彼女は両手を広げてアーサーを嗤った。
「人間のなり損ないがわたしと同じですって? 困ったわね、脳にも異常があるなんて、完全に欠陥品だわ。やはり外に出す前に処分するべきだった」
「ただ一人の人に認めて貰いたくて努力を重ねる気持ちはよくわかる。あんたが不運だったのは、その相手が人でなしだったことと、努力の方向が完全に間違っていたことだ」
「減らず口を閉じなさい、屑の分際で。それは誰の真似? 人格のモデルがいるのでしょう、教えなさい。苦情を入れておくわ」
これは言葉の通じない人種だと、リツヤはカタリナを睥睨した。
「よくもまあ、そうぽんぽんと……他人を貶す前に、自分を省みたらどうだ」
カタリナはリツヤに視線を移し、片頬だけで笑う。少なくとも笑おうとしたように、リツヤには見えた。
「善人ぶるのもいい加減にしてくださらない? おめでたい人。そして愚かな人。人形は人形、ゴミはゴミよ。これくらいのことを理解できないなんて、残念だわ。優秀な技術者だと思っていたのに、あなたも所詮道具なのね」
「それで? 自分は道具を使う方だって言いたいわけか。あんた、そう思い込みたいだけだろう」
「……言っている意味がわからないわ」
「あんたは、他人を否定することでしか自分を確認できないんだ。今は俺を見下さないとあんたはあんたを保てない。ラスやアーサーを意味もなく扱き下ろすのもそう。自分より下だと思える存在がないと、生きていくこともできない。……可哀想にな」
「RA!」
リツヤの言葉には応えず、カタリナは唐突にラスを呼んだ。リツヤが思わず振り返れば、先ほどから無言でいたラスは、両目を零れ落ちんばかりに見開いてカタリナを見ている。
カタリナは顎でリツヤたちを指して告げた。
「そこの三人を殺してこちらにきなさい。そうしたら許してあげるわ」
フェルンが呆れたように息をつく。
「気に入らない人間を殺すときくらい自分の手を汚しなさいよ。あんた、大量破壊兵器の発射命令出した人の横で、自分がやってやったぜジャスティス! って言うタイプでしょ。まったく、どっちがおめでたいんだか」
フェルンのことは無視し、ラスが動かないのを見てカタリナはアーサーに水を向ける。
「おまえでもいいわ、でき損ない。二人を殺してRAを連れていらっしゃい。そうすれば特別に廃棄しないでおいてあげる」
「やーなこった。あんたの言うことを聞く人間はここにはいない。自分でどうにかするんだな」
「ゴミはゴミなりに役に立ったらどうなの!」
「おやおやぁ? ゴミにまで縋らないといけないなんて、カタリナ・ウェルシュ博士ともあろうものが堕ちたものですねえ」
嘲るアーサーへの怒りからか、全身を戦慄かせるカタリナへ、ラスが一歩距離を詰めた。
「……マスター」
ラスが呼ぶと、カタリナの苛烈な双眸がラスを向いた。叩きつけるように言う。
「発言を許可した覚えはない!」
びくりと竦んだラスは、しかし震える声で続ける。
「もう……もう、やめてください」
「口を閉じなさい、今すぐに!」
「……あなたの人形は、もういない」
カタリナの顔から表情が消え、奇妙に虚ろな眼差しが四人を順に見る。彼女は表情を変えぬまま低く笑い、それはだんだん音量を上げて哄笑に変わる。
「フフ……アハハハ! いいわ、要らないわ、『マザー』の劣化コピーなんか。わたくしには本物があるもの」
言いながらカタリナは培養槽の表面を撫でた。その仕草でリツヤは確信する。
(やっぱり、あれが『マザー』か)
「お父様は従順なゴミにしか興味がなかったわ。それはいいの、お父様はゴミが何より大切だったんだもの、仕方がないわ。可哀想な人だったの、可哀想なお父様。わたくしの方が優秀なのに、わたしの方が役に立つのに、あたしの方が。可哀想だわみんな死んでしまったもの、でも! あたしは生きているわ!」
堰を切ったように喋り続け、カタリナはくすくすと無垢な少女のように笑う。その落差にリツヤは戦慄した。部屋中に反響する笑声がどこか箍が外れたような、狂ったような響きを生む。薄ら寒いものを感じながら、リツヤは問うた。
「まさか、ヘンリー・ウェルシュは……おまえが殺したのか?」
「殺した? いいえ、死んだの。勝手に死んだの。これを、こうしてね」
机の上から小さな拳銃を取り上げ、カタリナは自分のこめかみに向けた。ほんの一瞬、彼女の瞳に理解と納得の色が浮かぶ。しかし次の瞬間、彼女は手にした銃をリツヤへ向けた。
「あたしは違う。死んだら終わりだもの。そんなこともわからなかった愚かなお父様とは違う!」
「リツヤ!」
アーサーの声と同時に、リツヤは物陰に引っ張り込まれていた。カタリナが立て続けに放った銃弾が壁や床に当たって耳障りな音を立てる。跳弾がすぐ近くを掠め、リツヤは背筋を冷やした。
頭を低くするように手で示しながら、アーサーが険しい表情で言う。
「絶対出ちゃ駄目。あの女はリツヤを狙ってくる」
「なんで俺を?」
「君がラスとおれの持ち主だと思ってるからだよ。リツヤが死ねばラスも俺も、カタリナの言うことを聞くようになると思ってるはず」
「持ち……」
リツヤが反駁しようとしたとき、銃弾に紛れて筒状のものが飛んできて床に転がった。それが何か認識する前にアーサーに頭を抱き込まれる。
「!?」
突然のことに驚いて瞠目する視界の端で白光が弾けた。ラスとフェルンの悲鳴と、アーサーの呻きが聞こえ、リツヤは顔を上げた。強い光はすぐに収まり、アーサーが眼鏡を抑えるようにして片手で目を覆っている。
「アーサー!」
「大丈夫……ちょっと眩んだだけ」
かぶりを振りながらアーサーは手を下ろすが、視力が奪われているらしく何度も瞬きをしている。これでは動けないだろうと、リツヤは彼を壁際に押し込んだ。
とにかくカタリナに撃つのをやめさせなければと振り返り、目の前にその本人がいるのを見てリツヤはぎょっと目を見開いた。
「な……」
予想外のことに一瞬固まったリツヤにカタリナの銃口が向けられる。まずい、と思うと同時に、後ろから右膝を強く蹴飛ばされてリツヤはバランスを崩した。傾いた耳元を、頭を狙った銃弾が行き過ぎて血の気が引く。次の瞬間、背後から何かが飛び、カタリナの肩に命中した。彼女は低く呻いて踵を返す。床に落ちたのは弾倉で、アーサーがカタリナに投げつけたらしい。思わず振り返れば、まだ辛そうに目を眇めたアーサーが見たこともないような形相で睨んでいた。
「出るなっつってんだろ」
「いやっ……ごめん」
今のは不可抗力だと反論したかったが、リツヤは剣幕に負けて素直に謝った。すると、逆側からフェルンの体当たりを受ける。探るように両腕を伸ばしている彼女もやはり目がまだよく見えないらしく、視線が定まらない。
「フェルン!?」
「リツヤね! 動けるならカタリナを追って!」
フェルンの示す方へ目を向ければ、カタリナに腕を掴まれたラスが、引き摺られるようにして連れて行かれるところだった。
「ラス!」
声が届いたのか、ラスが振り返る。ラスならばカタリナを振り切るのは容易いだろうが、泣き出しそうな表情でカタリナとリツヤを交互に見るだけで、カタリナを振り解こうとはしない。振り解けないのかもしれない。
カタリナはラスを掴まえている方の肩から、透明なブリーフケースを提げていた。その中には兎とリスの間のような生き物が入っている。「マザー」がいたはずの培養槽は空になっており、信じ難いことに姿が変わっているが、あの小動物が「マザー」なのだろう。銃と閃光弾でリツヤたちの足止めをしている間に移し替えたらしい。
「てめ、逃げるなら一人で行きやがれ!」
カタリナが応える代わりに振り向き様に銃を撃ってくる。リツヤは事務机の陰に隠れてそれをやり過ごした。銃撃がなくなってから立ち上がれば、先程カタリナが座っていた場所の後ろの壁が四角く口を開けていた。
「待て!」
「マザー」はともかく、ラスを連れて行かれるわけにはいかない。リツヤはカタリナを追いかけ、非常脱出路と思しき通路へ飛び込んだ。そして、非常灯の薄暗い光の下、思いの外近くで銃を構えているカタリナと相対して息を呑む。
(……やべ)
笑みの形に唇を歪めたカタリナが引き金にかけた人差し指に力を込めるのが、やけにゆっくりと目に映る。避けなければと考え、しかし同時に、この距離では避けきれないと悟る。瞬きすらできないままリツヤは銃口を見つめていた。
「いや……!」
酷く掠れた、ともすれば衣擦れに紛れてしまいそうなか細い声を上げて動いたのは、ラスだった。腕にしがみつかれたカタリナが放った銃弾は狙いを逸れ、リツヤの左肩を掠めて壁に跳ね返る。衝撃で体勢を崩しながらリツヤは、カタリナが驚愕の表情でラスを振り返るのを見た。彼女はすぐに顔を憤怒に染め、手にした銃を振り上げる。
「この……、
銃床でこめかみを殴りつけられ、声もなくラスが膝を折る。壁に手をついて立て直し、リツヤはカタリナに飛びついた。
「やめろ!」
まだ銃を握っている手を掴み、動きを封じる。カタリナは身を捩るようにして藻掻いた。
「放せ! 貴様さえいなければ……!」
「俺がいなくても同じだよ!」
叫び返してリツヤはカタリナの鳩尾に肘を叩き込む。
「かっ……」
短く呻き、カタリナはその場に頽れた。まだ手首を掴まれたままだったラスも、脱力したかのようにへたりこむ。どこか傷めたのだろうかと、リツヤは片膝をついてラスを覗き込んだ。カタリナの手を外してやる。
「ラス? 大丈夫か?」
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