011.02

     *     *     *


 飛行場とはいえ、ただ滑走路が伸びているだけである。

 カタリナの住居とされている建物は、その飛行場のすぐ近くにあった。外から見る限りでは、なんの変哲もない一戸建ての家に見える。しかし、滑走路以外に人工物は何もない場所に突然現れる民家は、リツヤの目には異様に映った。

「こんなところに一人暮らしか……怪しまれないのかな」

「変わり者の世捨て人だと思わせられれば、納得されるんじゃないの? チャイムを鳴らしたら出てきてくれないかな」

 隣に並び、屋根を見上げながら言うアーサーにリツヤは苦笑を返す。

「それだと手間が省けていいんですが」

「研究所のセキュリティはおれたちがいた頃から凄かったからね。そのまま残ってるとしたら、侵入するとなると骨が折れると思うよ」

「アーサーさん……やる気を削ぐようなこと言わないでください」

 何故か笑い混じりで言うアーサーにげんなりと返し、リツヤはラスを振り返った。

 この島に上陸してから、明らかにラスの様子がおかしい。落ち着きなく周囲を見回し、時折じっと耳を澄ますように目を閉じている。体調が悪いのかと尋ねても、本人は問題ないの一点張りである。

「ラス、大丈夫か?」

「はい。私は平気です」

「辛かったら無理しないで言えよ。引き返してもいいんだからな」

「本当に大丈夫です。私は、体調が悪いのではなく……」

 珍しく言いさしてやめ、ラスは胸元に手を当てた。己の思いを持て余しているような風情でかぶりを振り、顔を上げる。

「……行きましょう。行かなければ」

 常にはない強い口調で言うのが心配に拍車をかけるが、反駁できずにリツヤは頷いた。同時に、少しでも具合の悪そうな素振りを見せたら引っ張ってでも連れて帰ろうと決める。

 細身のカーゴパンツとTシャツという服装に着替えたフェルンは、玄関の扉に近付いて軽くノックした。インターフォンはついていないらしい。しばし待ち、扉に鍵がかかっているのを確かめてから斜め上を睨んで指を突きつける。

「いるのはわかってんのよ。今から行くから首を洗って待ってなさい」

 なんの宣言だろうとリツヤは首を捻りながら尋ねた。

「……どうした?」

「監視カメラがあるわ。まあ、当然でしょうけど」

 玄関前だけでも二箇所あるらしく、フェルンはそれぞれの場所を示して見せた。この分では家の周囲には死角がなさそうだと、リツヤは頭に手を遣る。

「隠れる場所もないしな。仕方ない、正面から乗り込むか」

「オッケー」

 何故か楽しそうに言い、アーサーは三人を下がらせると腰のベルトから銃を抜いた。何発か打って鍵をすべて吹き飛ばし、言う。

「こんな場所に住んでても、鍵をかけなきゃ不安なものかね」

「相当に後ろめたいことをしていることの証拠じゃないですか? それはそうと、正面から乗り込むかっつったのは俺なんですが、不法侵入で訴えられるかもしれませんね」

 リツヤの言葉に、フェルンが呆れた様子で片手を振った。

「あのね。あたしたちはもう私有地に飛行機を乗り付けてんのよ、無断で堂々とね。今更細かいことは気にしない。乗り込んで、あの女を一発殴ってやるわ」

 拳を握り締めるフェルンにアーサーが苦笑する。

「フェルン、目的が変わってるよ」

「いいのよ。ラスだって殴ってやりたいでしょ?」

 話を向けられ、ラスは戸惑った様子でフェルンを見た。

「いいえ、私は……」

「遠慮しなくていいわよ。さあ、行きましょ」

 困り顔だったラスは気を取り直したように頷き、銃を抜いた。念のために、四人ともそれぞれ自分が扱える武器を携えてきている。

「先行します。皆さんは私の後ろをきてください」

「じゃあおれが殿を。リツヤとフェルンはおれとラスから離れないで」

 リツヤとフェルンは特に異議もなく頷いた。身体能力に関しては明らかに二人の方が勝る。もしかするとフェルンにも負けるかも知れないと考えて、リツヤは再び落ち込みそうになった。銃は撃てるが撃てるだけで、普段はデスクワークの多いリツヤと違い、彼女はパイロットであるので、日頃から鍛えている。

 四人はそれぞれ銃を片手にカタリナ宅へ踏み込んだ。玄関ホールに人気はなく、いきなり何かが襲ってくるようなこともない。

 周囲を見回し、やはり死角がなくなるような配置でカメラが設置されているのを見つけ、リツヤは眉を顰めた。どこで見ているのかは知らないが、よほど後ろめたいことがあるらしい。

 玄関ホールを抜けるとリビングがあった。家具は一通りそろっているが、床には埃一つ落ちておらず、生活感がまるでない。この家は本当にカモフラージュで、カタリナは殆ど地下から出てこないのかも知れない。

「研究所は地下だったな? 入り口を探そう」

 リツヤの言葉を聞いているのかいないのか、ラスがふらりと歩き出した。

「入り口は……こちらです……」

「ラス? おい」

 リツヤが呼び止めても、ラスは心ここにあらずといった雰囲気で歩いて行く。リツヤたちは顔を見合わせ、とりあえずラスを追った。

 ラスは迷いのない足取りで寝室らしき部屋まで来ると、クローゼットの扉を開いた。新品のまま吊されただけのような服を左右に分け、現れた壁に巧妙に隠された扉がもう一枚ある。その向こう側には、木製の壁や扉とは不似合いの、無機質な金属でできた扉があった。脇にはコンソール・パネルがあり、地下へと降りるエレベータのようだった。

「研究所へ向かいます」

 パネルを操作し、エレベータの扉を開いてラスは三人を招き入れた。十人乗りほどのエレベータに全員が乗り込むと、ラスは内側のパネルを操作して扉を閉め、程なくケージが動き出す。三人はわけがわからぬまま目を見交わした。

 リツヤはコンソール・パネルをじっと見つめているラスに声をかける。

「知ってたのか?」

「いいえ、私はここにくるのは初めてです。ですが……」

 ラスは顔を伏せ、リツヤの存在を忘れたかのように言葉を紡ぎ始める。

「知っている……見たことがある……一度外へ出されて、また運び込まれるときにここを通った……ここへきた? 透明な箱の中から、外を……違う、私では……これは、この記憶は、『マザー』のもの……」

『え?』

 ラスの声に耳を傾けていた三人の声が重なった。ラスの呟きは混迷の度合いを深めてゆく。

「カタリナは、『マザー』を隠そうと……隠さなければならなかった……他の人間に見つかれば……、いえ、私を……? 私は……閉じ込められて、『マザー』は……私は……」

 このままではいけないと、リツヤは呟き続けるラスの両肩を掴み、強引に自分の方を向かせた。

「ラス!」

 強く呼べば、ラスは小さく息を呑んだ。頼りなげに揺れていた琥珀の双眸がリツヤの上で焦点を結ぶ。

「リツ、ヤ」

「おまえはラスだ。『マザー』じゃない。わかるな?」

「……はい。私は『ラス』です。『マザー』ではありません」

 表情の消えた顔で機械的に復唱する様子のラスに一抹の不安を覚えつつも、リツヤはラスの肩から手を離した。

 心配そうにしていたフェルンは、ラスがひとまず自分を取り戻したのを見て安堵したようだった。腕組みをして悪態のように言う。

箪笥たんすの奥に別の場所に繋がる扉って、カタリナは案外ロマンチストなのかしらね」

 ラスは困った様子で眉を下げた。

「よく、わかりません」

「古い児童文学にそういうのがあるのよ、気にしないで。―――ここに『マザー』がいるのね?」

「はい。声が聞こえます」

 思いがけないことを言われて、リツヤは思わず問い返す。

「声? 『マザー』のか?」

「はい。地上ではよく聞こえませんでしたが、エレベータで降り始めてからはっきりと聞こえるようになりました。歌を歌っています」

「歌? どんな?」

 リツヤが問うと、ラスは小さく歌い出した。歌詞はなくただ旋律を辿っているだけのようだが、ラスの歌なぞ初めて耳にするリツヤは目を丸くする。

「歌……だな。確かに」

 アーサーが同意するように首肯した。

「童謡……いや、子守歌みたいだね」

「聞いたことないわね。もう一回歌ってみて」

「はい」

 フェルンの要請に頷いてラスは再び同じ旋律を歌う。優しいがどこか物悲しく、柔らかいそれを聞いていると、突然アーサーが片手で顔を覆った。

「懐かしいって、こういう感覚を言うのかな。子守歌なんて歌ってもらったことないはずなんだけど……なんでだろう、凄く懐かしい。初めて聞く歌のはずなのに」

 ラスは俯き加減に、片手を胸元に当てて口を開く。

「『マザー』は、いくつかの歌を繰り返し歌っていました。昔から、ずっと。この歌もそのうちの一つです」

 アーサーは納得したように頷いた。

「そうか……おれがここにいた頃にも歌ってたのかな、今のと同じ歌を。おれには『マザー』の声は聞こえないけど、覚えているのかもしれない。どこか、深いところで」

「詩人ね、アーサー」

 フェルンが短く言ったところでエレベータが下降をやめ、小さな電子音が鳴った。開き始めた扉を振り返りつつ、リツヤはラスに尋ねる。

「ラス、『マザー』がどこにいるかわかるか?」

「正確な場所はわかりませんが、歌の聞こえてくる方向はわかります。そちらにいるのだと思います」

「そうか。なら、案内を頼……」

 扉が開ききり、その先に伸びる廊下に一抱えはありそうな立方体が三つ並んでいるのを見て、リツヤは言葉を切った。黒っぽい金属でできているらしいそれらは、リツヤを認めたとでも言うように前面の中央にあるセンサーを点灯した。緑色のそれが何度か点滅し、赤に色を変える。同時に、立方体の四面から足のようなものが生えた―――生えたように見えた。

(あ、まずい)

 次の瞬間、リツヤは強い力で壁に押しつけられていた。刹那、耳を聾する音と共に目の前を銃弾が切り裂いていく。

 リツヤから手を離し、アーサーが逆側で同じようにフェルンを庇っているラスに叫ぶ。

「ラス! 扉を閉めろ!」

「はい!」

 ラスがパネルを操作し、閉まり始める扉の隙間にアーサーが何かを放る。扉が閉まると同時にその向こう側から爆発音が聞こえ、静かになる。

 リツヤは傍らのアーサーを見上げた。

「……手榴弾なんて持ってきてたんですか」

 アーサーは唇の端で笑い、薄手のジャケットの裏を示してみせる。

「こんなこともあろうかと」

「どんな……いや、助かりました。ありがとうございます」

 どこから入手したのか、と言う問いは藪蛇になってしまいそうなので、リツヤは口を噤んで振り返った。無数の銃弾を浴びせられたせいで大穴が開いてしまっている壁を見て、戦慄する。あれを正面から喰らっていたら、今頃は肉片の浮かぶ血溜まりになっていた。

 気にするなというふうに片手を振って、アーサーは呆れたように言う。

「どういたしまして。しかし、いきなり小型自律兵器オート・アームズとは……ここは軍事施設か何かかい? おれがいた頃、あんなのいたっけかな。遭遇しなかっただけかな?」

 フェルンが渋い顔で金属の破片を蹴飛ばした。

「あのタイプのオート・アームズは、攻撃目標を設定できるわ。味方を攻撃対象から外すこともできる。研究所のスタッフや、アーサーたちは対象外にされてたんじゃないの?」

「そうかもね。せっかく作ったのに壊れちゃ元も子もない」

 どこか投げやりなアーサーの言葉を聞いて、リツヤは僅かに眉を寄せた。

「アーサーさん」

「客観的事実だよ。気に障ったのならごめん」

「謝って貰うことじゃないですけど……そういう物言いはやめてください」

「もう癖みたいなものなんだ。昔を思い出したよ。忘れたと思ったけど、覚えてるもんだね」

 アーサーは明るく言うが、その奥に隠された鋭く冷たいものを感じ取り、リツヤは唇を引き結んだ。言葉を探している間に、フェルンが口を開く。

「なんにせよ、なりり構わなくなってきたのはたしかね。よっぽどきて欲しくないらしいわ」

「だからって帰るわけにはいかないな。乗り込んでやろうじゃないか」

 半ば捨て鉢で言うリツヤに、アーサーが釘を刺す。

「乗り込むのはいいけど、注意してね。ちょっとこれは洒落にならない」

「それはアーサーさんも同じです。ラスも、フェルンも」

 形振り構わなくなってきたというフェルンの言葉通り、カタリナは本気でこちらを殺しにかかってきている。四人の存在を完全に消すことに自信があるのかも知れない。リツヤたちの足取りは簡単に辿れるだろうから、ここで消息を絶ったことが判明したら、カタリナが真っ先に疑われるということに考えが至らないほど愚かではあるまい。

(いや、でも……あれだけラスに執着してるようだったのに、殺そうとするか?)

 今のは先頭にいたリツヤを敵と認識して攻撃してきたのだろう。ラスだけは攻撃対象から外れているのかもしれないが、だからといって試すわけにもいかない。

(なんにせよ、気を付けて進むしかないか)

 簡単に殺されてやるものかと拳を握り、リツヤはラスを振り返った。

「ラス、『マザー』のところまで連れて行ってくれるか?」

「はい。ご案内します」

 ラスはしっかりと頷き、リツヤを見上げた。その双眸に最早頼りなげな色はない。

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