011.01

011


 名もなき小島へ向かって、リツヤ、ラス、アーサー、フェルンの四人は機上の人となっていた。

 四人が地球に降り立ったのが六日前、内四日間は欧州のルール地方にあるアインホルン社所有のPD起動試験場で、大気圏内対応型戦闘用PDの性能テストを見学した。テストの日程は四日しかないので、ぎりぎり引き延ばして十日だったとウォンは出張を命じてくれた。リツヤとしては正直もう少し時間が欲しいのだが、この際贅沢は言っていられない。

 移動に思いのほか時間がかかり、アラスカに着いたのが昨日の夜のこと。カタリナの研究所がある小島へ向かって飛び立ったのが今朝、今から数時間前である。

 フェルンが披露したカタリナの行動ルートは、単純にアラスカから飛行機ということだった。判明した小島の場所から直線距離で最も近い人口密集地がアラスカだからだろう。

 小島自体がカタリナの持ち物とされていて、[DCP]研究所があったころの名残の飛行場があるという。と言うよりも、飛行場しかないらしい。

 表向きカタリナは島に一人で住んでおり、アラスカの小さな航空会社と契約しているということだった。定期便はない。リツヤたちはその航空会社に事前に交渉し、小型機を借りた。パイロットは、連合軍にいた頃に輸送機を使うために航空ライセンスを取らされたというアーサーである。航空機の免許は持たないがPDを操縦できるラスが、何か手伝えるかもしれないと副機長席に座っている。

(しかし、フェルンの家が大富豪だったとは……)

 リツヤは小さな窓から外を眺めた。天気はいいのだが洋上を飛んでいるので、景色は空と海、雲しか見えない。

 カタリナと同じようにアラスカから飛行機を使おうと言ったリツヤへ、フェルンは至極あっさりと、親がハワイに別邸を持っている、自家用機もあるからそれを使えばいいと言い放ったのだ。

 私有地に無断で乗り込むことになるし、カタリナとはまず間違いなく揉める。下手をすればゼファー家にまで類が及ぶからとフェルンを説得し、当初の予定通りアラスカ経由でカタリナの島を目指すことになった。

(あるところにはあるもんだな)

 リツヤはフェルンのことを漠然と、裕福な家の出なのだろうと思っていた。実際は裕福どころではなく、とんでもない金持ちの令嬢だったらしい。天は二物を与えずと言うが、それは嘘だとリツヤは思う。持っている者は、二物も三物も手にしている。

(適材適所とは言うが……うーん)

 もしかして自分はこの場に要らないのではないだろうかとリツヤが落ち込んでいると、横から飲み物のカップが差し出された。

「暗い顔。今から思い詰めてるともたないわよ」

 突然現れたそれに驚いてフェルンを見上げながら、リツヤはコーヒーらしきものが入ったカップを受け取る。

「ああ……うん。ありがとう」

 どういたしまして、と向かいの席に座ったフェルンが、今度はチョコレートを差し出してくる。

「食べる?」

「いい」

「そう。美味しいのに」

 チョコレートは無理に勧めてこず、フェルンは手を引っ込めた。眩しそうに外を眺めながらチョコレートを摘んでいるフェルンを見ていると、遠足にでも来たような気がしてきて、リツヤは苦笑する。

 口の中のものを飲み込み、フェルンは首をかしげた。

「何笑ってるの?」

「いや。―――そうだな、あんまり深く考えない方がいいんだろうな」

「そうよ。研究所は逃げないわ、カタリナは逃げるかも知れないけど」

「それは困る。……ん? 困らないか? 『マザー』さえ置いていってくれれば」

「置いていくと思う?」

「思わない」

 自分で言ったことだが、リツヤは即答した。同意するように頷きつつ、フェルンは言う。

「定期的に運び込まれてる機材とか薬品とかを見ると、やっぱり生物っぽいのよね、研究の内容が。カタリナが『マザー』を持ってる証拠は掴めなかったんだけど、十中八九ってところかしら」

「十分だ。ありがとう」

 「マザー」がカタリナと共にあるという保障がないことは、最初からわかっていたことだ。それでもリツヤにはカタリナ以外に手掛かりも心当たりもない。可能性に賭けるしかないのだから、それを高めてくれるのはありがたい。

 フェルンは口に運びかけたカップを途中で止め、まじまじとリツヤを見た。

「な、何よ急に」

「カタリナのことを細かく調べてくれたのに、フェルンにはちゃんとお礼を言っていなかったと思って」

「そ……そんなの、改めて言われることじゃないわよ。カタリナのことはあたしが調べたいから調べただけ。誰のためでもないわ、勘違いしないで」

 言い訳じみたことを言い、ぷいとそっぽを向いたフェルンに、リツヤは笑いを噛み殺す。

「そうか。うん、ありがとう」

「リツヤ……あたしの話聞いてる?」

 半眼でリツヤを睨んだフェルンは、何かに気付いた様子で窓の外へ顔を向けた。

「見えたわ。もうすぐ着くわね」

「あれか」

 リツヤも窓から外界を見下ろし、大海の中にぽつんと小さな点が浮かんでいるのを見て呟く。周囲に空と海しかない場所にたった一人で益体もない研究を続けているのかと考えると、頭がおかしくなりそうな気がする。

 リツヤの胸中を読んだかのように、フェルンが窓から顔を離して身震いした。

「本当に一人で[DCP]の続きみたいなことしてるんだったら……ああ、やだやだ。正気の沙汰じゃないわ」

「フェルンもそういうの嫌いなのか」

「あたし?」

 言い回しが引っかかったらしいフェルンが眉を顰め、言葉が足りなかったかとリツヤは付け加える。

「俺も嫌いだ」

「なるほどね。―――別に、生体実験を全否定するわけじゃないけど……薬とか医療とか、あたしも恩恵を受けてるし。でも、[DCP]みたいなのは駄目。必要に迫られてじゃなく、個人の興味とか趣味とかの延長で命を弄ぶなんて冗談じゃないわ。生命に敬意を払えなくて、何が生物学者よ」

 生体実験の必要性を認識した上で、生命に敬意を払えと憤るフェルンは、いい学者になるだろう。世の学者が皆彼女のようだったら、きっと[DCP]は発足すらしなかったのにと、リツヤは目を伏せた。

(でも、そうするとラスやアーサーさんは生まれなかったわけで……)

「何よ、ため息なんかついて」

「うん?」

 無意識のうちに嘆息していたらしい。いつの間にか落ちていた視線を上げて、リツヤは薄く笑む。

「いや、世界ってのはままならないなあと思って」

「当たり前のこと言わないでよ。全部思い通りになったら気持ち悪いじゃない」

 顔を顰めて言うフェルンを束の間見つめ、リツヤはしみじみと呟いた。

「今、なんだか凄くフェルンを羨ましいと思った」

「リツヤ、物凄く失礼なこと考えてない?」

 フェルンが更に渋面になったところで、アーサーの放送が入った。

『もうすぐ着くよ。ベルト締めてね』

「あら。じゃあ着替えてくるわ」

 言いながらフェルンは立ち上がる。それを見上げ、リツヤは首をかしげた。

「着替えるのか?」

「こんな動きづらい格好で敵地に乗り込むわけないでしょ」

 あっさり言い、フェルンは白いワンピースを翻して奥のキャビンへ行ってしまった。ならば最初から動きやすい服を着ればいいのにとリツヤは思うのだが、それを告げればフェルンは怒るのだろう。機内は空調が効いているからワンピース一枚でも大丈夫だろうが、アラスカから出発してきた身としては、見ているだけで寒々しいことこの上ない。

(敵地、か)

 あまり深い意味はなく口にしたのだろうが、フェルンの言葉は的を射ているようにも外しているようにも思える。今わかるのは、リツヤたちが訪ねて行って、カタリナが歓迎してくれることはないに違いないことだけだ。

(なるべく荒っぽいことにはなりませんように)

 何にともなく祈り、リツヤは徐々に姿を大きくする小島を見下ろした。

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