009.02
フェルンのことはとりあえず棚上げすることにして、リツヤはラスに向き直った。
「そろそろ寝た方がいい。たくさん喋って疲れただろ」
全部喋ってしまって気が済んだのか、ラスはこくりと頷いた。大人しく横になるのに上掛けを引っ張り上げてやる。
「俺とアーサーさんはリビングにいるから。何かあったら呼んでくれ」
「はい」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
ラスの頭を軽く撫で、リツヤはアーサーと共に寝室を出た。買い物袋が乗せられたままの食卓へ戻る。すっかり冷めてしまったお茶を飲み、不意に空腹を覚えたリツヤは袋からサンドイッチを取り出した。
(ラス……カタリナ……「マザー」……)
今聞いた話は、リツヤの想像を超えていた。地球外生命体など物語の中だけのことだと思っていたし、ラスとアーサーの身の上も予想だにしないものだった。遺伝子操作だの人を滅ぼしにきただのと話が大きくなりすぎて、自分の手に負えるのか、そもそも関わっていいものか不安すら覚える。
「まあそう悩まないで」
目を上げれば、向かい側に座って同じように冷めたお茶を飲んでいたアーサーは淡く笑んだ。
「悩んでるわけじゃありませんけど。と言うか、悩むのはもう……無意味とは言いませんけど、既に関わっちゃってますから」
「はは、リツヤらしいね」
「どういう意味ですか」
アーサーはにこにこと笑って答えない。仕方がないので、リツヤは話を変えることにした。
「思い違いをしていましたよ」
「何をだい?」
「俺はてっきり、[DCP]って最初から連合軍が絡んでるものだと思ってました。違うんですね」
「うん? うーん、そうか、一般の人はそう思ってても不思議じゃないね」
アーサーは首を捻ったが、一人納得したように頷いた。
「軍が乗っかってきたのは、思いのほかディザスターとの戦いが長期化したからだよ。今じゃもう慢性化してるけど、最初は誰も何十年も続くなんて思ってなかったのさ。だから、子どもをゼロから育てて使うなんてのは笑い話だった。さすがに成長まで速めることはできないからね。―――おれが十歳くらいのときだったかな? 援助をするから、でき上がった強化人間は連合軍に寄越せって打診してきたのは」
リツヤは眉を寄せて呟いた。
「それを、博士は受け入れた……」
「そう。そりゃ、お金はあって困るものじゃないからね。単に自分が造ったものの性能を見たかっただけかもしれないけど」
「性能だなんて」
顔を顰めるリツヤに微かに笑んで、アーサーは続ける。
「そんなわけだから、連合軍は使えるようになったデザイナー・チャイルドを受け取りはしても、中身に干渉はしてなかった。それもあってか、連合軍に『マザー』の存在は明かされていない。軍が知ったら放っとくわけないだろうし、博士がそれを嫌がったとも考えられる。博士の娘―――カタリナが軍医の立場を利用して連合内部で上手く立ち回っていたのかもしれない」
「なるほど……。それで、つかぬことを聞きますがアーサーさん」
「うん?」
「[DCP]の研究所ってどこにあるんですか?」
アーサーは口元に運びかけたカップを止めて、束の間、真顔でリツヤを見つめた。そして、見づらいものを見ようとするかのように目を眇める。
「公にできないような研究をしてるのをいいことに、乗り込んで『マザー』を奪還しつつ、あらゆる破壊行為をし尽くしてこようって?」
「いや、あらゆる破壊は考えてませんけど」
アーサーはお茶を飲みながら片手を振った。
「地球の太平洋にある小島に建ってた。でも計画中止と同時に破棄されて、直後に謎の爆発事故で木っ端微塵になったよ」
「……なんだ」
拍子抜けしてリツヤはサンドイッチを
「そしたら、アーサーさんたちはどこにいたんです? 計画が中止されたのが十二年前なら、まだ……ええと」
「おれたち第一世代は十五歳。第二世代のラスは六歳だね。おれたちは軍に引き取られた。ラスは……どうだろうな。別の研究施設に移されたっていうのが、一番ありそうだけど」
「なるほど。……いや、ラスは動いていないはずです。月に移送されるまで研究所を出たことがないって言ってました」
「そうなのか。じゃあ、無事だった建物もあったのかもね。もしくは、別の場所に移されたけど外には出されなかったとか」
どういう意味だと訊き返しかけて察しがつき、リツヤは顔を顰めた。カプセルにでも入れられて眠っているうちに運ばれたら、移動したことにも気付かないだろう。
「『マザー』は今どこに?」
「さあ? 爆発事故で死んだってことになってたけど、ラスの言い方じゃ生きてるね。ラスが知ってるかも。カタリナ・ウェルシュあたりが持ってったんじゃないの」
「だとすると、研究所を爆破したのはカタリナでは……」
「かもね」
どこの研究所にいたとしても、ラスの保護者は良くも悪くもカタリナだったろう。彼女は、「マザー」の死を偽装するために、研究所ごと爆破するくらいやりかねない人間に思える。「マザー」は、研究者なら誰もが喉から手が出るほど欲しがるだろうが、死んでしまえば諦めざるを得ない。爆発なら死体が残らなくても不思議ではない。
「でも、本物の地球外生命体なんて、一個人の手には余るんじゃないですか? 第一、何に使うんです?」
「おれに言われても。研究でしょ? 何を研究してるのか知らないけど。ヘンリー・ウェルシュが生きてたらそっちの手に渡ってただろうから、似たようなもんじゃない?」
「父親が生きていたとしても、独占しようとしたら他の研究スタッフが異議を唱えるはずです。だから爆破したんでしょうけど」
「昔から謎の失踪が多い研究所だったからね。異議を唱えたら消されるかもよ」
「わあ。なんて殺伐とした職場。ブラック通り越してダークネス」
半笑いで軽口を叩いてから、リツヤは眉を顰めた。
「……ん? ちょっと待ってください。アーサーさんは『マザー』の存在を知ってたんですか?」
「うん」
アーサーは事も無げに頷く。
「そういうのがいるらしいって、小耳に挟んだ程度だけどね。いくら隠されてたっていっても、同じ施設の中にいたわけだし。スタッフ連中はおれたちが逆らうなんてほんの少しも疑ってなかったから、結構無用心に喋ってたのさ。頭いいのに、頭悪いよね」
軽い調子で紡がれる言葉から明らかな棘が感じられて、リツヤはなんとなく目を逸らしながらサンドイッチを囓った。アーサーも空腹なのか、袋を引き寄せて覗き込みながら続ける。
「まさかディザスターの目的が『マザー』だとは思わなかったし、人為的に『マザー』のコピーを作り出そうとしてたとは考えもしなかったけどね。狂気の沙汰だ。もしかすると、手を引いたスタッフでも『マザー』を知ってる人間は、全員消されてるかもしれないね」
「それが本当だったとして……やっぱり、カタリナ・ウェルシュは、一人で何をする気なんでしょう」
アーサーとラスがここにいるように、生き残ったデザイナー・チャイルドたちはカタリナの手を離れているだろう。彼女の手元に残ったのは『マザー』だけだ。それで何ができるのか、生物学は専門外のリツヤには想像もつかない。
クッキーの袋を開けながら、アーサーが首をかしげる。
「リツヤが『マザー』を奪還できたとしてさ、その後どうするつもり?」
「ディザスターに『マザー』を返します。上手くすれば、それでディザスターは撤退してくれる」
アーサーは面白そうに目を瞬いた。
「『マザー』が戻ったのをこれ幸いと攻めてきたら?」
「そこは連合軍にお出まし願います。ラスが狙われなくなればいいんですから、その先は知ったこっちゃありません」
リツヤは無責任に言い捨てる。片手で頬杖をついたアーサーは声を立てて笑った。
「いいなあ、その割り切り。もしかするとリツヤの親心が世界を救うかもしれないね」
思いがけないことを言われて、リツヤは慌てて手と首を振った。
「そんな大袈裟なものじゃないですよ。俺は俺がしたいようにするだけです」
「照れない照れない。いい話じゃないか」
にこにこと笑って言うアーサーの口調は完全に揶揄のそれで、リツヤは頬に血を上らせた。誤魔化すために残りのお茶を飲み干す。
笑いを噛み殺しながらアーサーは割ったクッキーの欠片を口に放り込んだ。
「本当に、懐に入れちゃうと甘いんだからなあ」
「甘いですかね?」
「甘いと言うか、面倒見がよすぎると言うか、お節介と言うか。どうしてそこまでって、おれが言えた義理じゃないけど、ちょっと思うよ」
理由を問われれば、放っておけないからとしか言えない。リツヤは目を伏せ、呟く。
「存在意義……」
「え?」
「存在意義って言ったんです、ラスが」
「言ってたね。軍は仕事ですが、私たちは存在意義です、だったかな」
覚えていたらしく、アーサーはラスの言葉を正確に繰り返した。胸が痛んでリツヤは拳を握り締めた。
「戦うことが、存在意義だなんて……自分のことを消耗品みたいに」
ラスの声音に迷いはなかった。偉そうに御託を並べておきながら結局何もできず、ラスに戦い殺すことが存在意義だと言わせてしまった己に腹が立つ。
「もう一つ、覚えてる? ラスが言ったこと」
「なんですか?」
「一人より二人の方が生還率が上がります、って」
「ええ……それが?」
「ラスは言いかたを間違えただけ。ここにきたばっかりの頃はともかく、今のあの子は自分を消耗品なんて思ってないよ。おれたちは生還率なんて気にしない。戦い続けて、限界まで敵を殺して壊れる道具だ」
「道具は自分の生き死になんて考えない。……違うな、考えないんじゃなく最初から頭にないんだよ。でも、ラスは生きて帰るつもりでいた。そういうふうに変えたのはリツヤだ」
そんなことはないと、リツヤは首を左右に振った。
「俺は関係ありません。ラスが変わったなら、ラス自身に変わる要素があったんです。それに……、俺はあなたたちを止められなかった」
「止められても出たさ。たとえ出るなって命令されてもね。リツヤはそんな言い方しないだろうけど」
「……命令だと言えば、戻ってくれましたか?」
「いいや。命令って言葉はもう効果がないよ。おれもラスも、自分で考えて動くことを覚えちゃったから。出撃は、おれとラスの意思だ」
ならばやはり、結局どうにもできなかったのではないかと、リツヤは隠しもせずにため息をついた。リツヤは無関係だと言ったフェルンは正しい。
「俺としては、どんな理由があっても、危ないことはして欲しくないです」
リツヤの言葉を聞き、アーサーが吹き出す。
「はは、その発想が既に親の領域だよ。よし、次はリツヤの子どもに生まれよう」
「まったく褒められてる気がしないんですが」
「褒めてないもん」
「もん、じゃありませんよ。勝手に来世まで割り振らないでください」
「現世は散々なところに生まれちゃったんだから、転生先くらい好きに選ばせて欲しいなあ。おれたちに人間と同じような魂があるのか知らないけど」
アーサーは冗談めかして言うが、リツヤには戯れには聞こえなかった。思わずアーサーを見てしまったのに気付いているのかいないのか、彼はテーブルに視線を落としたまま言う。
「でも、別の場所に生まれてたら……そもそも生まれてなかったら、リツヤたちにも会えなかったんだよね。人生って複雑だね」
静かに落とされた言葉に何も返せず、リツヤはただ同意した。
「……そうですね」
何がどう作用して、この先何が起きるのか、神ではないリツヤには知る由もない。先があるのかどうかもわからない。けれど一つ、やらなければならないことがある。
(『マザー』をディザスターに返すっていうのは、試す価値があると思うんだけどな……)
そのためには「マザー」の居場所を突き止め、手に入れなければならない。困難や苦労が伴うのは目に見えているが、それでもやらねばならない。己を廃棄してくれと―――殺してくれとせがんだラスが、自死を思いつく前に。
クッキーを飲み込んだアーサーが、事も無げに言う。
「自死の可能性は低いと思うよ。おれたちは、勝手に死ぬ権利もなかったからね」
リツヤは瞠目してアーサーを見つめ、眉を顰めた。
「……エスパーですか?」
アーサーは苦笑しながらかぶりを振った。
「リツヤは考えてることが顔に出るんだよ」
「そんなことありません」
「あるって。鏡持ってこようか?」
揶揄めいて笑うアーサーから視線を逸らし、リツヤは首を竦めた。
「アーサーさんがエスパーだとしても、驚きませんよ」
「とかなんとか言って、本当だったらドン引きするんでしょ?」
「何言ってんですか、今更その程度で引くわけないでしょう」
「……そう」
何故かアーサーが口を噤んでしまったので、リツヤは冗談めかして尋ねた。
「で、本当のところどうなんです?」
苦笑し、アーサーは打ち消すように片手を振る。
「違うに決まってんでしょ。おれがエスパーだったら、『マザー』とは別に、人為的に超能力者を創る研究が始まってたよ」
「『マザー』を創るよりは現実的に思えますけど。アーサーさんはどっちかって言うと、精神感応系じゃなく物理干渉系って感じですよね」
「それはおれが破壊的だって言いたいの?」
「破壊的って言うか、破滅的のほうがしっくりきます」
「……よろしい、ならば望み通り滅ぼしてくれよう」
「冗談。冗談です。魔王みたいなこと言わないでください」
笑顔で拳を握るアーサーへ、落ち着けと掌を向けながら、この人ならやりかねないとリツヤは胸中で呟いた。
「《レーヴェ》一機でもコロニーの二、三個は落とせると思う」
「やめてください、嫌疑がうちの班にかかるじゃないですか。大体、勝手にPD動かしたらすぐばれますって。アンノウンとして撃ち落されるかも……」
言いながらふと、ある考えが浮かんでリツヤは言葉を途切れさせた。
「どうしたの?」
「ここのところレーダーに引っかかっていた不明物は、ディザスターだったんじゃ?」
定期的に引っかかっていたのは、レーダー域を探るためだったのではないかとリツヤは考えた。ディザスターの知能は人と同等かそれ以上とラスは言った。月を避けて、域にあるフォルモーントを襲撃―――否、ラスを取り戻そうとしたのかもしれない。
意外そうな顔をしたアーサーが、やがて納得した様子で頷く。
「なるほど。《フォルモーント》だけに奇襲をかけるルートを探っていたと。月にいる連合軍と戦いたくなかったのか」
「戦いたくなかったかどうかは……目の前にラスがいたので、そっちを優先したのかも知れません」
「こればっかりはディザスターたちに訊いてみないとわからないな」
「そうですね。ディザスターが知的生命体だとは思いませんでしたから……っていうのは、人間の傲慢ですかね」
「人間が傲慢じゃなかったら、ここまで進出してないと思うよ」
「たしかに」
苦笑混じりに同意して、リツヤは大きく伸びをした。
「さて。俺が起きてますから、アーサーさんは寝てください。出撃で疲れているでしょう?」
「んー……俺はそんなでもないけど。って言っても、リツヤは納得してくれないんだよね?」
笑顔で言われて、リツヤも笑い返した。
「家に帰れとは言いませんから」
「まあ、気になって眠れないだろうからね。―――じゃあ、そこのソファを借りるとするよ。おやすみ」
片手を閃かせながらアーサーはソファへ移動し、横になった。ほどなくして寝息が聞こえてきたので、やはり疲れていたのだろう。ラスを起こさないように寝室に忍び込んで毛布か何か借りてこようと、リツヤは立ち上がった。
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